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波乱に満ちた足取り

 度重なる成功によってグラミー受賞にまで至った3人だったが、収入はそれに見合わず、ペブルズとの契約や訴訟を巡って破産に至るなど、グループの停滞と共に個々の活動が活発化していく。T・ボズはソロ・シングル“Touch Myself”(96年)を発表し、レフト・アイはリル・キムの“Not Tonight(Remix)”(97年)などの客演でラップ欲を発散。一方で97年にチリはダラスとの息子を出産し、グループは休止状態になった。そんなブランクを置いて発表したのがサード・アルバム『Fanmail』(99年)だ。グループのフューチャリスティックな側面を音で体現すべく作られたこの作品は、TLCの不在時に台頭したティンバランドらのビート革新に呼応した、キャリア中でもっともプログレッシヴなアルバムである。とはいえ、ここから全米1位を記録したのは新鋭シェイクスピア作の“No Scrubs”とダラス制作のフォーキーで爽やかな“Unpretty”という、よりリリックに重きを置いたナンバーたち。前者はダメ男への辛辣な歌詞も話題となり(この路線はデスティニーズ・チャイルドが受け継いでいく)、後者はありのままの自分を見つめることの大切さを問いかけるもので、いずれも同性のリスナーを強く意識した作風と言える。サイバーながらも人間味に溢れたこの『Fanmail』は結果的に3人揃って完成させた最後のアルバムとなった。

 2000年にはT・ボズが結婚~出産。翌2001年には4作目の制作をスタートしたそうだが、ソロ・アルバム『Supernova』がLA・リードの反対でUSリリースを見送られたレフト・アイはN.I.N.A.名義でデス・ロウとソロ契約し、足並みも徐々に揃わなくなってしまったという。そして2002年4月25日、中米ホンジュラスでの交通事故によってレフト・アイは急逝してしまう。喪失のなかで仕上げられたのが、途中までレフト・アイが関わり、彼女が名付けたという4作目『3D』であった。

 以降のストーリーは、替えの効かないメンバーを失ったトリオにとっては難しい日々だったはずだ。2005年にはリアリティー・ショウの企画で選ばれたメンバーを迎えてシングル“I Bet”を出すも当然パーマネントな活動には至らず。T・ボズはその前後に離婚と脳腫瘍の手術も経験。一時はアッシャーとの交際~破局で話題を撒いたチリはソロ作がお蔵入りするなど、それぞれの苦闘もあった。

 転機となったのはデビューから20周年を突破した2013年、彼女らの軌跡を物語にしたTVドラマ「CrazySexyCool: The TLC Story」が評判となって、ドラマ用にニーヨのペンによる久々の新曲“Meant To Be”もリリースされたのだ。そこからさらにクリエイティヴ・コントロールを模索し、クラウドファンディングの支援を選んだのが2015年。2人で作品を仕上げる覚悟を固めるには15年もの期間が必要だったのかもしれない。風通しの良い『TLC』にある気負いのなさは、そんな覚悟の成果でもあるのだろう。

 

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