アーシーでソウルフルでブルージーでファンクネスに溢れたサウンドをアトランタから送り出し、一時代を築き上げたプロデュース・チーム、オーガナイズド・ノイズ。その大首領にしてダンジョン・ファミリーを率いるリコ・ウェイドが4月にこの世を去った。今回は彼が残した多彩な仕事やファミリーの重要作品たちを改めて振り返ってみよう!!!!!!!!!!!

 アトランタを拠点に活動するプロデュース・チーム、オーガナイズド・ノイズを率いたリコ・ウェイドが、去る4月12日に逝去した。72年生まれだからまだ52歳の若さだ。オーガナイズド・ノイズといえば、いまも愛されるTLCの世界的なヒット“Waterfalls”(94年)を手掛けたチームだという程度には有名かもしれないし、もっと突っ込んで多くのラッパーたちの名を挙げることのできる人も多いはずで、ある世代のリスナーにとって濃厚すぎるインパクトを残してきたビッグネームなのは確かだ。ただ、それ以上に重鎮として現在までトップ・クリエイターの地位に君臨しているティンバランドやジャーメイン・デュプリ、ファレル・ウィリアムズ、あるいはそれより先達にあたるベイビーフェイスのようなレジェンドたちと比べても、近年は目立つ仕事量が多くなかったこともあり、その影響が語られる機会もほとんどなくなっていた。そんなわけで、ここでは改めてオーガナイズド・ノイズのキャリアや仕事を振り返りつつ、リコが組織したダンジョン・ファミリーの過去と現在についても簡単に紹介しておきたい。

 

地下室での始まり

 ミーゴスが猛威を振るった時期にヒップホップの先進地として取り上げられる流れがあったジョージア州アトランタだが、90年代や00年代のR&B/ヒップホップにリアルタイムで親しんでいたリスナーであれば、そこに地続きとなる状況がすでに存在していたことは先刻承知だろう。アトランタ五輪の開催を96年に控えた90年代初頭から、LA・リード(とベイビーフェイス)のレーベル=ラフェイスがアトランタに拠点を置き、もともと同地にいたダラス・オースティンや後発のジャーメイン・デュプリらと並んで、アトランタから新しい音楽を送り出し時代があった。そんな熱気を受けてローカルから世界の舞台へ飛躍したチームが、リコ・ウェイドとレイ・マレイ、スリーピー・ブラウンから成るオーガナイズド・ノイズ(以下ON)である。

 もともと彼らと仲間のラッパーたちは、リコの母親の家の地下室に集まって音楽を作っていた。その地下室=ダンジョンに出入りしていた面々がヒップホップの勢力図をわずか数年で塗り替えることになるのだ。発端はリコの友人だったT・ボズのグループ=TLCがラフェイスと契約したことだった。彼女たちのシングル“What About Your Friends”(92年)でONがいきなりリミキサーに抜擢されたのはそうした関係性によるものだろう。そこからラフェイスを率いるLA・リードやTLCをマネージメントしていたペブルス(当時はLA・リードの妻でもあった)もONと繋がる。ペブルスはサヴィーという自身のレーベルから93年にペアレンタル・アドヴァイザリーなるラップ・トリオの初作『Ghetto Street Funk』を送り出すのだが、そこで全曲をプロデュースしていたのが無名のONだったのだ。

 同じ93年にはデュプリが送り出したエクスケイプのデビュー作でも起用されていて、ONの存在は密かに知れ渡っていたに違いない。ラフェイスのクリスマス作品『A Laface Family Christmas』に参加する機会を得たONは、先述のTLCのリミックスにも参加していたアウトキャストの楽曲“Player’s Ball”をそこに提供。そこからアウトキャストはラフェイスと契約し、さらにダンジョンからはグッディ・モブがそれに続く。アウトキャストのデビュー作『Southernplayalisticadillacmuzik』がプラチナ・ヒットに輝いたのと同じ年には先述の“Waterfalls”も生まれており、ONの音作りがメインストリームで通用することも証明された。ウィッチドクター、クール・ブリーズ、バックボーンらダンジョンの住人たちもONサウンドの実績と信頼を後ろ盾にして、次々に新しいチャンスを掴んでいくことになる。