じゃあ、お前は覚えておけ。俺はもう忘れた?? アフロジャックのダンス・ミュージックが降り注げば、その瞬間だけは、何も気にする必要はない。楽しすぎるピースフルな忘我の果てで、いま、踊れ!!!!!!!!

ヴォーカルがないのかよ!

 アヴィーチーやゼッドらと共にダンス・ミュージック界をリードする新世代の一人、アフロジャックことニック・ヴァン・デ・ウォール。「めちゃくちゃ高いんだぜ(笑)、1時間30万円。40万かな。だから2時間30分乗ったら……約100万……マジか(笑)」というプライヴェート・ジェット=アフロジェットに乗り、世界中を飛び回る彼は、オランダ出身、身長2mを超す巨漢の26歳だ。

 「11歳くらいからいろんな種類の音楽を作っていたんだ。で、14歳でそれがダンス・ミュージックだけになった。それから18歳でプロになったっていう流れだよ」。先述の2人やマデオン、マーティン・ギャリックスなど、EDMの最前線で輝きを放つプロデューサーたちと同様、早々と自身のやりたいことを見つけたアフロジャック。「オランダではもう20年もクラブ・カルチャーが存在してて、クラブに行くのがあたりまえなんだ」という環境を考えれば、自然の成り行きだったのかもしれない。とはいえ……。

 「俺が始めた時期はまだ全然シーンは大きくなくて、誰もEDMの話なんてしてなかった。周りの人たちは皆、〈お前、これからどうするんだ?〉って訊いてきたよ(笑)。俺のお袋に〈息子さんはDJやってるらしいけど、進路はどうなさるの?〉なんて訊いたりして」。

 彼が18歳でプロの世界に足を踏み入れた頃、まだ世界的なムーヴメントという意味での〈EDM〉はなかった。しかしエレクトロが猛威を振るい、ハウスやユーロ・トランスを吸収し、彼自身もミニマルやプログレッシヴな要素をエレクトロに持ち込んで、アフロジャック流のダーティー・ダッチを完成させてコアなクラバーたちを虜にし、EDMの芽を徐々に成長させていったのだ。そんな彼のキャリアを、そして音楽業界の勢力図を一変する契機となったのが、「彼との作業はメチャクチャ楽しい。俺にとって兄貴みたいな存在だからね」と慕うデヴィッド・ゲッタとの出会いだ。共同作業は、アフロジャックが機材のテクニカル面、デヴィッドがソングライティングや曲のプロデュース面で舵を取って弱点を補完し合い、さらに各々のノウハウを共有することでお互いを成長へと導いていく。

 「デヴィッドはメインストリームで、俺はアンダーグラウンド。だから最初にやった時、彼の音を聴いて〈ダッセー!〉って思ったよ(笑)。でも彼は〈これがクールなんだ!〉って(笑)。その頃の俺には理解できなかったんだ。逆も同じ。俺のアンダーグラウンドなトラックを聴いて、〈ヴォーカルがないのかよ!〉って言われて(笑)。最初はおもしろかったね、二つの違うヴィジョンと世界観があって。でもそれが、グラミーを獲ったマドンナの“Revolver”とか、『Step Up 3D』のサントラとか……たくさんのことに繋がったんだよ」。