別の表現を模索して生み出した初のシングルは……ブート盤?
ファースト・フル・アルバム『トーキョー・ネコダマシー』から1年ぶりとなるリリースは、少年がミルクにとって初のシングル『bootmilc』。今回の収録曲は、テンポが抑えめで生のバンド・サウンドを基調にした楽曲が揃った。それはアルバム以降、ライヴを重ねてきたなかで芽生えた思いが引き金となっているという。
「バンドのメンバーとライヴを煮詰めていた時期に、〈自分はもっと他のこともできるかも〉って思って。ライヴをあまりしていない頃は、情報量の多い、一聴しただけではよくわからないものが作りたかったんですけど、ライヴをしてみると、もうちょっとわかってほしいとか、もっとこの場で共有したいなという欲も出てきたんです。次に向けての制作は、別の方法を試してみてもいいんじゃないかなと思ったんです」。
少年がミルクの目まぐるしく情報量過多な都会のランドスケープのような、プログレッシヴな電子音や躁的なサウンドは、今作では影を潜めた。これまでの作品同様、作曲を手掛ける(同じコドモメンタルINC.所属の)水谷和樹と試行錯誤の日々を送り、引き算のサウンドを作り上げた。とはいえ、彼女の脳内世界はまったく引き算されることなく濃厚で、“嘔吐”では肉体と心がちぐはぐな退廃的な関係を、“アタシッテレコード”では受け止めきれぬ現実に自分の宇宙へ逃避行する様をサイケデリックに描く。不時着してしまった別の星で、見様見真似で生きるような不器用さやズレ、取り繕う居心地の悪さ、突如転げ出る皮肉や鋭い本音などをポップに描く、そのキレは絶品。今作では洒落たライトなサウンドで、ピリッと毒を聴かせているのが妙味だ。
「軽快な音楽が流行っていますけど、歌詞は退屈な人しかいないなって思うので。そのなかにうわーって入っていって暴れて帰るみたいなことはしたかったのかもしれない」。
風通しの良くなった作品のようで、根っこにあるパンク精神は消えない。今回のシングルは少年がミルクとして活動を始めてから初めて、自身でジャケットのアートワークを手掛け、表題を『bootmilc』と名付けた。
「ブート、偽物っていうのを自虐的に使うのが、少年がミルクっぽいなあって思って。今回は、偽物感みたいなのと、隠しきれない本当の自分みたいなものが、出ているのかなと」。
ミニ・アルバムを3作、そしてフル・アルバムを作り上げて、またライヴ活動を重ねながら、自分の音楽や自分をどうアウトプットするかにも向き合いはじめている少年がミルク。
「これはずっとそうなんですけど、自分の作品が好きじゃなかったんです、全部。イヤなんですよね。次の日になると、〈もう、やり直したい〉って思っちゃう感じで、それは小さい頃から何に関してもそうなんです。今日着ていく服が決められないとか。そういう病気なのかもしれないです(笑)。でも、リリースから時間が経って、このあいだ次のライヴのセットリストを決めるのに、ファースト・ミニ・アルバム『KYOKUTO参番地セピア座』とかを初めてイチから聴いたんです。飛ばさずに(笑)。そしたら、なんかわりとイイ曲だなって、初めて思えて。セカンド・ミニ・アルバムの『GYUNYU革命』とかいま聴くと〈めっちゃ怒ってるな〉とか。自分で聴くのはしんどい部分もありますけど、でもやっぱりイイなって思うんです。こうやって、時間が経ってみてわかることもあるなって思えたんですよね」。
さらに今回、新たなサウンドにトライしたことで、「ライトな音だとこういうふうになるんだなとか。今回作ったことで、これまでの情報量過多なものも悪くなかったんだなって思えた」と、いまなお自身のなかで音楽的な変革が続いていることを語る。
「今回の『bootmilc』も、これまでの作品も、そのどちらも少年がミルク。少年がミルクは、なんでもやりたいよっていうのを、ひとつ、受け入れてほしいです(笑)」。