MITTEN WIR IM LEBEN SIND/BACH 6 CELLOSUITEN ©Anne Van Aerschot

 

我ら重力のただ中にあって
バッハとコルトレーンとローザス

 言わずと知れたモダンジャズの金字塔、コルトレーンの『至上の愛』と、バロック音楽の巨匠、バッハの『無伴奏チェロ組曲』。時代も場所も、スタイルも使用楽器もまったく異なる楽曲が、コンテンポラリーダンスとなって出現する。現代ダンス界をリードする振付家/ダンサーのアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル率いるローザスの、2年ぶり来日だ。

 

コンテンポラリーダンスという問い

 最初に、しばしば耳にする〈コンテンポラリーダンス〉という言葉に、少し説明が必要かもしれない。1980年代から今まで〈同時代〉を意味するこの語で呼ばれていたり、それが指すものが地域で微妙に異なったり、スタイルが多様だったり、一筋縄ではいかないからだ。だがごく単純に言えば、コンテンポラリーダンスとは、バレエ(仏語でダンス・クラシックともいう)、モダン、ポストモダンの後に現れた芸術ダンスのジャンル概念である。

 ダンスの歴史は弁証法的に展開してきた。バレエの形式性や美学的理想のために身体を変形させる〈不自然さ〉に対して、20世紀初頭に重力や率直な感情表現を肯定するモダンダンスが登場し、世紀半ばにはモダンダンスの情動性を排除して動きや視覚性を追求するポストモダンダンスが登場する。60年代からその中心地・NYでは多くのヨーロッパの若いダンサーが学び、帰国後にポストモダンダンスを批判的に継承して、ヨーロッパの文化・社会のコードを組み込んだ、既存の美学にとらわれない創作を開始する。それらが80年代からコンテンポラリーダンスと呼ばれるようになった。

 その後、時代や地域、振付家によりテーマは多様に展開し、ポップカルチャー(ストリートダンス)の影響を受けたものもある。だがあくまでも、コンテンポラリーダンスは芸術史を前提としたアートの一分野であり、自己を表現する〈なんでもありのダンス〉では決してない。もし〈なんでもあり〉に見えても、そのベースにはバレエに端を発する身体技法、数世紀に渡る芸術史を前提とした知的な問いかけが存在している。

 

孤高のカンパニー、ローザス

 1960年ベルギーに生まれたケースマイケルも、バレエを学んだ。だが彼女の学校は、バレエの伝統にモダンダンスや演劇、オペラなどあらゆる舞台芸術を融合させた振付家モーリス・ベジャールが創設した、ムードラという全く新しい舞踊学校だった。その後ケースマイケルはNYに渡り、ポストモダンダンスの洗礼を受け、帰国して「ファーズ」(1982)を発表した。ミニマルな作曲原理を追求した時期のスティーヴ・ライヒの4楽曲を用い、女性2人が踊る。シンプルな振付が基本フレーズに従って反復され、そこから僅かずつ差異が生じ、いつしか180度異なる結果を生む。それでもムーヴメントは僅かずつずれ続け、再び元の風景へと回帰していく…。偶然も感情も排除し、緻密に計算されたダンスは、個人の意思を超越した自然のサイクルにまで意識を運ぶ、誰も見たことのないダンスだった。対して、翌年に発表したグループ作品、「ローザス・ダンス・ローザス」は、教室で椅子に座る4人の少女が、無表情で繰り出す日常のしぐさ―あくびをし、髪をかき上げ、視線を投げ、脱力する―に潜むエネルギーを解き放ち、新鮮な振付に反復とずらしを巧みに加え、退屈な日常をグルーヴィなダンスに変える。ケースマイケルの名を知らしめた2作品であり、今見ても新鮮な20世紀の傑作だ。

 「ローザス・ダンス・ローザス」を発表すると、ケースマイケルはムードラ時代の盟友とダンスカンパニー、ローザスを立ち上げた。ローザスは1992年から2007年までベルギー王立モネ劇場のレジデンスカンパニーとなり、1995年にはダンス学校P.A.R.T.S.(The Performing Arts Research and Training  Studios)も設立。次々と新作を発表し、世界中で公演する一方で、ケースマイケルは自身のソロや他の振付家や劇団、バレエ団とのコラボレーション、オペラの振付等を行い、舞台芸術の最先端を走り続けている。昨年の秋には、パリのドートンヌがローザスの新旧13作品を特集上演し、全体で32,300人を動員したという。

 

音楽とダンスをめぐる絶え間ざる実験

 20代前半で彗星のごとく登場し、数十年間も第一線にありつづけること自体が驚異的だが、その作品の多彩さ、強度は、常に観客に衝撃を与えてきた。精密でクールなダンスから、「ドラミング」(1998)、「レイン」(2001)といった踊る快楽を爆発させる振付、自伝的ソロ「ワンス Once」(2002)や恋人たちの葛藤を語る「Verklärte Nacht 浄められた夜」(2014)(日本未上演)、等の物語性を含む作品、踊り手が語り出す「3 Abschied ドライアップシート(3つの別れ)」(2010)といった、常に更新されるダンス芸術の極北を進む探究。そこで通奏低音をなしているのは、音楽とダンスの関係性の探求だ。

 「20世紀のコンテンポラリーダンスはダンスを音楽から切断した。私はすぐに両者の結合は自然だと思い、多様なストラテジーを長年発展させてきた」と、最新作(今年3月にパリ・オペラ座で初演された「The Six Brandenburg Concertos ブランデンブルク協奏曲」(日本未上演)のインタヴューでケースマイケルは語っている。たしかに、コンテンポラリーダンスでは、身体性やセノグラフィといった視覚的要素、思想的・社会的な問題提起が前景化するに従って、音楽への関心は減じられていった。振付家は作品コンセプトに応じて複数の楽曲を編集し、ノイズや無音を使うことも増えた。ムーヴメントと切り結ぶより、音楽は場面が求めるムードの醸成に奉仕するようになった。

 では〈ダンスと音楽の結合〉とは何か。まず思いつくのは、音楽にあわせて規定の振付を踊る、あるいは音楽を聴きながらダンサーが感情を動きに変換して踊ることだろう。だがケースマイケルの場合、ことはそれほど単純でない。リズムのカウントやメロディのムードに身を委ねることに満足せず、彼女は幾何学や数学の知を用い、楽曲の構造を丹念に分析する。それは時代を越えて聴く者の精神に深い快楽を生む楽曲の原理を抽出し、研ぎ澄まされた身体でそれを自在に増幅させるためだ。シンプルな衣装、装置のない舞台は、動きと音楽、身体と空間の関係を際立たせる。振付には派手なアクションも演技もなく、印象的ならせんを描くオーガニックなムーヴメントが音に乗り滑らかに、時に鋭く続いていく。ケースマイケルのダンスは数学原理が秘めた美を解き放ち、未知の次元へと観客を導いていくのだ。

 

A Love Supreme ©Anne Van Aerschot

崇高の境地へ誘う2つのダンス

 「A Love Supreme ~至上の愛」は、1964年にスタジオ録音された伝説的名盤に、ケースマイケルがダンサーのサルヴァ・サンチスと振り付けた。コルトレーン(テナー・サックス)、マッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラム)のモダン・ジャズ・カルテットは男性4人のダンスに転移され、意表を突く幕開けからじわじわと舞台は熱を帯び、狂おしいダンスへと突き進む。冴えわたるダンサーのムーヴメントに目を奪われつつも、刻一刻変化するダンサーの連係から、徐々にカルテットと4人の動きの関係性が視覚的に浮かび上がってくる。ダンスは、インド哲学、カバラの思想―ここにも数学が潜んでいる―からもインスピレーションを得たといわれる曲と融け合い、秩序と即興の狭間をスリリングに疾走し、観る者を陶酔へといざなう。

MITTEN WIR IM LEBEN SIND/BACH 6 CELLOSUITEN ©Anne Van Aerschot

 「我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲」は、バッハの6曲からなるチェロ組曲を選び、世界的チェロ奏者ジャン=ギアン・ケラスとの対話からケースマイケルが振り付け、彼女自身を含めた5人が踊る。バッハの楽曲の構造を身体に受肉させるために、振付家はニュートンとライプニッツの重力論を検討し、西洋と東洋の空間概念の違いにまで考察を進めたという。床に描かれた幾何学図形も作品の鍵だが、振付の立位と臥位、前進と後退、集団の遠心性と求心性もまた象徴的な意味を担い、魂に深く語りかけるライヴ演奏のチェロの響きと共に、崇高の境地を追い求めてやまない人間精神の旅を喚起する。

 ダンスも音楽も、一瞬で消滅する宿命を持った芸術だ。しかし記憶の底で静かに響き続ける調べがあるように、ローザスのダンスの衝撃はいつまでも心を共鳴させ続ける。ぜひ見て欲しい。それはいつも美しい事件だから。

 


アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル©Hugo Glendinning

 

ローザス(Rosas)
芸術監督のアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルを中心に、ベルギー/ブリュッセルで1983年に設立されたダンスカンパニー。毎年1~2作品の ペースで精力的に新作を発表し、王立モネ劇場やカイシアターはもとより、ロンドン・サドラーズ・ウェルズ、パリ市立劇場や国立オペラ座、NYのBAMな ど、世界各国で上演を続けている。代表作に「Fase - Four Movements To The Music Of Steve Reich」(1982)、「Rosas danst Rosas」(1983)、「Drumming」(1998)、「Rain」(2001)、「Zeitung」(2008)、「Vortex Temporum」(2013)、「WORK/TRAVAIL/ARBEID」(2015)など。 www.rosas.be

 


寄稿者プロフィール
岡見さえ(Sae Okami)

東京都出身。トゥールーズ・ミライユ(現ジャン・ジョレス)大学および上智大学にて博士号(文学)。2003年から「ダンスマガジン」(新書館)、産経新聞、朝日新聞、読売新聞などに舞踊評を執筆。日本ダンスフォーラムメンバー、2017年、2018年横浜ダンスコレクションコンペティションⅠ審査員。舞踊、文学関連のフランス語翻訳も手がけ、フランス語、フランス文学、舞踊史を慶應義塾大学他にて教えている。

 


DANCE INFORMATION

Rosas
○5/09 (木) ~12 (日)「A Love Supreme ~至上の愛」
○5/18 (土)・19 (日)「我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲」
会場:東京芸術劇場 プレイハウス  www.geigeki.jp/performance/theater208/
○5/17 (金)・18 (土)「A Love Supreme ~至上の愛」 
会場:名古屋市芸術創造センター  www-stage.aac.pref.aichi.jp/event/detail/000125.html

「A Love Supreme~至上の愛」
振付:サルヴァ・サンチス Salva Sanchis
アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル Anne Teresa De Keersmaeker
音楽:ジョン・コルトレーン《至上の愛》 John Coltrane《A Love Supreme》
出演:ローザス
José Paulo dos Santos, Bilal El Had(東京公演のみ), Robin Haghi(愛知公演のみ), Jason Respilieux, Thomas Vantuycom
上演時間:約50分(途中休憩なし)

「我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲」Mitten wir im Leben sind/Bach6Cellosuiten
振付:アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル Anne Teresa De Keersmaeker
音楽:J.S.バッハ《無伴奏チェロ組曲》J.S.Bach《6 Cello Suites》BWV 1007 – 1012
チェロ:ジャン=ギアン・ケラス Jean-Guihen Queyras
出演:ローザス
Boštjan Antončič, Anne Teresa De Keersmaeker, Marie Goudot, Julien Monty, Michaël Pomero
上演時間:約2時間(途中休憩なし)

A Love Supreme ©Anne Van Aerschot