〈非クラシック〉なアーティストが、クラシックに新たな角度から光を当てる

〈クラシック音楽の敷居を低くして、もっと多くの人に届けたい〉という意図のもと、これまで数多くの試みがなされてきた。たとえば、クラシックの演奏家がポップスやロックなどをカヴァーすることで親しみを持ってもらおうという〈クラシック側〉からのアプローチも多い。それに対し、本稿でご紹介する〈RE-CLASSIC STUDIES〉というプロジェクトは、〈非クラシック〉のフィールドで活躍するアーティストがクラシック作品に取り組み、新たな角度から光を当てることで、その魅力を伝えるというもの。カール・クレイグやマシュー・ハーバートらがクラシック作品を再構築したドイツ・グラモフォンの〈Recomposed〉シリーズを思い出す方も多いことだろう。

第1弾として2017年にリリースされた『RE-FAURÉ』では、Ngatariのヴォーカリストであり、MONOやworld's end girlfriendなど多くのアーティストとの共作も行うJessicaが、フランスの作曲家ガブリエル・フォーレの歌曲を歌った。ピアノはフランスで研鑽を積んだMizuha Nakagawa、さらにエレクトロニカ・ヒップホップの先駆者Prefuse73(ギレルモ・スコット・ヘレン)が参加し、インタールード・トラックの制作を担当したことでも話題を呼んだ。

Jessica,Mizuha Nakagawa,Prefuse73 RE-FAURÉgood umbrella record(2017)

そしてこのたびリリースされた第2弾『RE-DEBUSSY』では、クロード・ドビュッシー(1862~1918年)の歌曲を取り上げる。第1弾と同じJessica、Mizuha Nakagawaというコンビに加え、ポスト・クラシカル・シーンを代表するドイツのピアニスト/作曲家ハウシュカ(フォルカー・ベルテルマン)を迎えて制作された。

Jessica,Mizuha Nakagawa,HAUSCHKA RE-DEBUSSY good umbrella record(2019)

 

こうも違うのか!――ドビュッシーの先進性を現代に伝える作品

Jessicaが歌うドビュッシーを一聴して驚くのは、〈こうも違うのか!〉ということ。いままで私たちは、クラシックの声楽家がクラシックの発声法で歌うドビュッシーしか聴いたことがなかった(バーブラ・ストライサンドの“美しい夕暮れ”など、ポップスやジャズの歌手が1曲だけカヴァーするといったことはあったが)。

Jessicaは原詩のままのフランス語で、原曲と同じピアノ伴奏で、シンプルにドビュッシーの歌を紡いでいる。しかし、ヴィブラートを使わずにまっすぐと伸びていく声、エッジのきいたリズムの取り方、さまざまな声色を駆使したエモーショナルな表現など、Jessicaというフィルターを通して届けられるドビュッシーの歌曲は、100年以上前に作曲されたクラシック(古典)には聴こえない。確実に〈いま〉という、われわれの生きる時代の音楽として語りかけてくる。それこそが、クラシック歌曲を現代の音楽へと〈翻訳〉する〈RE-CLASSIC STUDIES〉が目指すところなのであろう。

近代フランス音楽を代表する作曲家ドビュッシーはピアノ曲をはじめ、室内楽曲、オーケストラ曲などで多くの革新的な作品を残した。ときに既存の構成やスケール(音階)、ハーモニー(和声)から逸脱し、音の響きや音色に重点を置いた独自の書法を確立したドビュッシーは、前衛的な20世紀の音楽への扉を開いた人物として、のちの音楽家たちに多大なる影響を与え続けている。「ドビュッシーは、僕がよりクラシックを好きになるきっかけとなった作曲家」だと語るハウシュカもそのひとり。このアルバムでは、プリペアード・ピアノ(弦にネジやゴム、フェルトといった異物を装着して音を変化させたピアノ)や弦楽器のピッツィカート、エレクトロニクスを駆使して制作された5つのインタールード・トラックが、ドビュッシーの先進性を現代に伝える橋渡しの役割を果たしている。

※出典元の『RE-DEBUSSY』に関するハウシュカへのインタヴューはこちら

(上から時計回りに)Jessica、Mizuha Nakagawa、ハウシュカ

 

ドビュッシーの音楽に流れるポップネスをあぶり出す、Jessicaの歌唱

同時代の文学界や美術界の潮流とも交わりながら、音楽界で大きな成功を収めたドビュッシーだが、一方で大衆的な芸能にアンテナを張っていたことにも着目したい。頽廃の香りを放つ19世紀末のパリ、モンマルトルの歓楽街で青春時代を送ったドビュッシーは、文学キャバレー〈黒猫(ル・シャ・ノワール)〉の常連だった。ここではエリック・サティがピアノを弾き、詩人や画家たちが芸術談義を交わし、人気歌手がシャンソンを歌った。そういった意味でも、ハウシュカいわく「ジャズのような音楽を奏でずに、ジャズ的なアプローチをしている」Jessicaの歌唱は、ドビュッシーの音楽の中に流れるポップネスをあぶり出すものなのかもしれない。

レコーディング風景
 

このアルバムに収められた歌曲の多くは、ドビュッシーがまだ20代だった1880年代に書かれたものである。当時のドビュッシーは、歳上のマリ=ブランシュ・ヴァニエ夫人と恋に落ち、ポール・ヴェルレーヌやポール・ブルジェ、テオドール・ド・バンヴィルらの詩に曲をつけた多くの歌曲が夫人に捧げられた。美しい自然と揺れ動く人間の心を描いた言葉たちは、ドビュッシーの手によって翳りを帯びた、甘美で官能的な音楽となって聴く者の心に響いてくる。

それらの歌曲をいまの時代に合った音楽に翻訳するにあたっては、演奏だけでなくサウンド・メイキングの上でもこまやかな工夫が施されているのが興味深い。たとえばアルバムの冒頭、“Interlude I”に続く“Beau soir(美しい夕暮れ)”では、ブルジェによる詩の「あらゆる声が〈幸せになりなさい〉と言っているかのようだ」という部分で、「あらゆる声」を表すかのごとくヴォーカルが多重録音になっている。また、同じ曲の最後、「さざめく波は海へ、私たちは墓場へ」と歌う〈tombeau(=墓)〉の響きの切ないことといったら……。このようにフランス語の詩を追いかけながら聴いていくと、より深く楽しむことができるのも歌曲の魅力である。

同じくブルジェの詩による“Les cloches(鐘)”では、森の中に響きわたる鐘の音をピアノの音型が表現し、その上でメランコリックで優しいメロディーが歌われる。Jessicaが歌うと日本の童謡のように聴こえる箇所があるのもおもしろい。さらに「“Les cloches”は、僕にポップソングを想起させるものだった」と語るハウシュカが手がけたリミックス・ヴァージョンもアルバムの終盤に収録されている。リズムが前面に出たエレクトロニカ的なアプローチは非常に洗練されていて、普段クラシックをまったく聴かない若者にもすんなり受け入れられそうだ。

その次のトラックは、ピアノ曲として有名な“Reverie(夢想)”に歌詞をつけたヴァージョン。そして最後にはピアノだけの演奏で“Clair de lune(月の光)”が置かれている。アルバム全体を通してMizuha Nakagawaのピアノは、ドビュッシーらしいひんやりと透徹した音色を聴かせながらも、歌にそっと寄り添う柔軟性に満ちた卓越した演奏だった。

最後の一音が空気に溶けていったあとも、しばらく甘やかな余韻の中に浸っていたい――そんな気持ちにさせるアルバムである。