新作『A Different Forest』で森を散策し映画『ホテル・ムンバイ』でテロと闘う
ハウシュカと、フォルカー・ベルテルマン。プリペアドピアノと、アコースティックピアノ。ノイズやエレクトロニクスを用いた抽象的な音楽と、伝統的な記譜法に基づく具象的な音楽。ソロ・アルバムの自由な製作と、あえて自分に制約を課す映画音楽作曲。自然を題材にした音楽と、テロを描いた音楽。インディ・レーベルへのこだわりと、メジャー・レーベルからのデビュー。多様性に満ちた現代がそうであるように、ハウシュカすなわちフォルカー・ベルテルマンという音楽家の中には、互いに相反する要素が矛盾することなく同居している。
「これまで私のアルバムはすべてインディ・レーベルからリリースしてきました。ところが今回の新作『A Different Forest』はプリペアドピアノではない、アコースティックピアノで楽譜に書かれた曲を演奏しているので(注:Hal Leonardより出版)、今までのレーベルだと扱いにくい。そこでソニークラシカルに話を持っていきました。決してメジャー・レーベルに移籍したわけではなく、プロジェクトに見合ったオプションを使い分けているんですよ」
そもそも、プリペアドピアノで名声を確立したハウシュカが、なぜ、アコースティックピアノの録音を思い立ったのだろうか。
「自分の音楽の方向性に変化が出てきたと感じたんです。静寂に満ちた素朴なアプローチをしてみたいと。そのアプローチが、ちょうど森の散策に近いと感じました。私の生家は200メートルほどに離れたところに広大な森林地帯があって、週末になるとリュックに食料を詰めて森を散策したものです。森の中を歩いていると、人は日常とは違った話題を口にし始めます。町のカフェとは同じ話題にならない。会話そのものが変化してくる。そこで、自分にとって森が何を意味するのか、重要なポイントをタイトルに書き出し、そのタイトルと自分が書き始めた音楽を結びつけたのです」
言うまでもなく、プリペアドピアノは通常のピアノの弦に消しゴムやネジを挟み込む“加工された”不自然なピアノである。それに対し、特に加工を加えないアコースティックピアノ――しかも森で育った木材が多く用いられている――は、いわば“手つかずの自然”。だから、彼がアコースティックピアノのアルバムのテーマに“森”という自然を選んだのは、極めて象徴的と言えるのではないか。
「その通り。もうひとつ付け加えると、例えばシェーンベルクとカンディンスキーの往復書簡を読めば、彼らが具象的な表現から、より抽象的な表現に向かい始めた時、聴衆や観客を失うのではないかと恐れていたのが伝わってきます。シェーンベルクを例に挙げると、《浄められた夜》を最後に調性音楽と決別し、よりドラスティックな12音音楽に向かったわけです。ところが私の場合は、今までの抽象的で人工的な音楽から、より具象的でメロディアスな『A Different Forest』に向かいました。つまり、ちょうどシェーンベルクやカンディンスキーとは逆の形で、聴衆を失うのではないかと恐れていたんですよ。幸いなことに、稀有に終わりましたが(笑)」
アルバム最後の2曲《Everyone Sleeps》と《Woodworkers》を聴いた時、筆者はブラームス後期の内省的なピアノ小品を即座に思い浮かべた。
「もともとシンプルなピアノ演奏が好きなんです。コード進行は絶えず変化しますが、カオスにはならない。それが、いまの自分の内面を表現するのに適しているのではないかと。そうした点が、私の2曲にもブラームスの小品にも共通していると思います。若い頃はパンクはやっていても、『人生は短い』と感じ始めると音楽の書き方が変わるのは事実ですね」
とは言え、《Urban Forest》や《Skating Through the Woods》といった曲では、これまでの彼のアルバム同様、エレクトロニクスやサウンドエフェクトが用いられている。ファンにとってはお馴染みのサウンドスケープ(音風景)だ。リスナーはアコースティックピアノという異なる森(=A different forest)を歩き始めたからと言って、決してハウシュカという音楽家の方向性を見失うことはない。
「森を散策する時、太陽や月が方向感覚の頼りになりますが、都市のアーバン・ジャングルを歩く時は別の手段に頼らざるを得ない。特に地下では、太陽や月は見えませんからね。エレクトロニクスやサウンドエフェクトを用いたのは、現在の自分を見失いたくなかったし、過度にロマンティックな表現で森を描きたくなかったからです。アーティストとしてのハウシュカは、どんな自由な音楽表現も許されるので、音楽が凡俗になりすぎないよう常に注意を払いながら、より暗い実験的な音楽を書いています。それに対し、映画音楽作曲家としてのフォルカー・ベルテルマンは、何でも自由に書けるわけではない。観客の心を動かすため、時には美しいメロディを書く必要も出てくるし、エンタテインメントの要素が求められることもあります。でも、ハウシュカの私なら絶対に書かないような音楽も、映画音楽作曲家のベルテルマンなら挑戦出来るし、何よりも自分を再発見する良い機会にもなります」
先月より日本公開が始まった『ホテル・ムンバイ』は、2008年ムンバイ同時多発テロの実話を映画化した作品。そのスコアで、ベルテルマンは容赦ないノイズやエレクトロニクスを用い、タージマハル・ホテルを襲撃したテロリストたちを描いている。
「通常、音楽とテロの暴力が結びつくことは有り得ませんが、この映画のスコアに限っては、音楽と暴力の関係を探求してみようと。もちろん、テロリストたちをヒロイックに表現したくなかったので、ドライで緊張感あふれる音楽で彼らを表現しました。同時に、一般観客が鑑賞に耐えうる映画にするためには、何らかの温かみが必要とも感じました。つまり、音楽のどこかに人間性を残さなければならない。そこで、テロに屈せず闘い続ける主人公たちと、この映画の観客をアコースティックピアノ、プリペアドピアノ、チェロなどの楽器で繋いだのです」
ミニマリズムの影響を受けたソロ・アーティストのハウシュカに対し、映画音楽作曲家ベルテルマンはどのような作曲家の影響を受けたのだろうか。
「いわゆるオールド・スクールだと、エンニオ・モリコーネとジョン・ウィリアムズの大ファンです。他にもクリフ・マルティネスやジョン・パウエル、坂本龍一とカーステン・ニコライ(アルヴァ・ノト)の『レヴェナント:蘇りし者』、ニコラス・ブリテルの心のこもった『ムーンライト』も大好きですし、ハンス・ジマーが『ダンケルク』をミニマルで書いたのは素晴らしいアイディアだと思いました。それと、私と同じ音楽シーンで活躍する仲間のひとり、ヒドゥル・グドナドッティルはドラマ『チェルノブイリ』で素晴らしいスコアを書いています。まだまだ他にも名前を挙げることが出来ますよ」
『A Different Forest』にせよ『ホテル・ムンバイ』のサントラにせよ、我々はハウシュカ/フォルカー・ベルテルマンの音楽性をパッケージ化された音源で楽しむことが出来る。しかしながら、ライヴ・アーティストとしての凄さ――とりわけ「ザ・ピアノエラ 2017」で披露した『What if』の強烈なノンストップ・パフォーマンス――を抜きにして、彼の全体像を語ることは出来ない。あれから2年、来日公演を首を長くして待ち望んでいるファンも多いはずだ。
「これだけ長期間来日しなかったのは、私のキャリアでも初めて。『A Different Forest』のリリースに際して招聘を期待していたのですが、結局何も起きなかったので、今は自分から動かなければと思っています。東京や大阪といった大都会だけでなく、京都や金沢のような都市、あるいは小さなライヴハウスで演奏するのも大好きなんですよ。そういう街には、美味しいご当地ラーメンもありますしね(笑)」
(取材協力:ソニークラシカル)
ハウシュカ(Hauschka)/フォルカー・ベルテルマン(Volker Bertelmann)
1966年ドイツ・クロイツタール生まれ。ヒップホップ・デュオ「God’s Favorite Dog」で活動後、18世紀ボヘミアの作曲家ホウシュカに因んだステージネーム、ハウシュカを名乗る。アルバム『The Prepared Piano』(2005)でプリペアドピアノ奏者としての評価を確立。ダスティン・オハロランと共作した『LION/ライオン~25年目のただいま~』(2016)で米アカデミー作曲賞候補。
寄稿者プロフィール
前島秀国(Hidekuni Maejima)
サウンド&ヴィジュアル・ライター。2019年3月開催「マックス・リヒター・プロジェクト」および「クリスチャン・ヤルヴィ サウンド・エクスペリエンス」企画監修を務め、リヒター15年ぶりの来日公演を実現させる。久石譲presents「MUSIC FUTURE」第3回「Young Composer’s Competition」審査員。現在、久石譲概論を英語で執筆中。
CINEMA INFORMATION
映画「ホテル・ムンバイ」
監督・脚本・編集:アンソニー・マラス
音楽:フォルカー・ベルテルマン
出演:デヴ・パテル/アーミー・ハマー/ナザニン・ボニアディ/ティルダ・コブハム・ハーヴェイ/アヌパム・カー/ジェイソン・アイザックス
配給:ギャガ(2018年 オーストラリア・アメリカ・インド 123分)
◎TOHOシネマズ日比谷他にて絶賛公開中!
gaga.ne.jp/hotelmumbai