開放的かつ繊細に変化と成長を記録した、通算11枚目のニュー・アルバムが完成。シンプルに楽曲そのものの魅力を追求した穏やかで美しいバンドの新境地とは?

 革ジャンを着てルーツ・ロックを力強く鳴らすバンド……そんなイメージをステレオフォニックスに持っていたら、彼らのこの11枚目のアルバム『Kind』を聴いて驚くだろう。「とっても開放的で、正直で、繊細な楽曲たちが」自然に生まれた、「そういう曲が僕から出てくるタイミングだったんだろうね」とフロントマンのケリー・ジョーンズ(ヴォーカル/ギター)は話す。しかも「いままで、こういう曲を誰かが必要としているかもわからなかったし、気にすら留めてなかったんだ」とも。

 何しろ本作の曲たちには、重さや厚さが一切ない。アコースティック一辺倒とは言わないまでも、楽器は音を出し過ぎることなく、ソングライティングそのものとケリーの歌声のみを主軸にしている。彼らの近作で言えば8作目の『Graffiti On The Train』(2013年)に質感は近いものの、あの作品を特徴づけていた荘厳さや暗さのようなものはない。それこそ先に挙げたケリーの言葉のように、開放感のある、明るい、まるで夜明けを気持ちよく迎えた朝のような爽快感すらある一枚になっている。オルタナ・カントリーもあればフォーク、ゴスペル、ブルースとさまざまな要素が織り込まれているが、サウンドは軽やか。革ジャンから、洗いざらしのコットン・シャツへ……そんな変化だ。

STEREOPHONICS Kind Parlophone/ワーナー(2019)

 今年でデビュー22年目の彼ら。2作目から6作目まで連続5枚で全英1位を獲得するも、ちょうど10年前の7作目『Keep Calm And Carry On』(2009年)はまさかの全英11位。その後、自発的にレコード会社を離れて自分たちのレーベル=スタイラスを作り、ノエル・ギャラガーらのマネジメント会社によるレーベル=イグニッションより『Graffiti On The Train』(2013年)をリリース。DIYで作り上げたこのアルバムは高い評価を得て全英3位まで浮上し、同作と合わせて2部作と位置付けられている2015年の『Keep The Village Alive』ではふたたび全英1位を獲得した。前作『Scream Above The Sounds』(2017年)には初代ドラマーのスチュアート・ケーブルに捧げられたピアノ弾き語り曲“Before Anyone Knew Our Name”も収録。このアルバムの世界ツアーが終わったのが、2018年9月だった。

 充実した日々の反動だろう、海外のプレスによれば、実はケリーはバンドを辞めたいと思ったそうだ。もうやりきった、曲もインスピレーションもない、しばらく立ち止まりたい……そこまで燃え尽きたのが、むしろ良かったのだろう。そこから何もしないうちに、自然に曲が湧き出てきて、2か月後の11月にはすでにたくさんの曲が生まれていた。そこからバンドは、英国南西部のマールバラで、わずか11日間という短期間でレコーディングを実施。プロデューサーのジョージ・ドラクリアスとともに、限られた楽器や機材で本作を完成させた。プロデューサーには近作同様、ケリー自身も名を連ねている。

 ジョージ・ドラクリアスといえばまず脳裏に浮かぶのは、ブラック・クロウズやジェイホークスのアルバム群、そしてプライマル・スクリームの『Give Out But Don't Give Up』(94年)­­­­だろう。なるほど、短い期間でオーヴァーダブなしの録音、内側から自然に湧き出した曲、そしてジョージ・ドラクリアスというキーワードは、確かにこの美しくふくよかなオルタナ・カントリー調のサウンドにごく自然に結びつく。冒頭曲の“I Just Wanted The Goods”はグルーヴィーながらも軽やかで、9曲目の“Don't Let The Devil Take Another Day”はバンド・サウンドに力強さはあるものの、ミッドテンポの美メロ曲。少しでも重さを感じさせるのは、この2曲だけだ。6曲目の“Bust This Town”は4つ打ちのエレクトロという異色の試みでありつつ、この曲も、全体の流れにしっくり馴染んでいる。

 スティール・ギターを活かしつつシンプルさが美しい“Stitches”、ソウルとゴスペルの間を行き来するような“Make Friends With The Morning”をはじめ、身体に自然に染み込む曲調と演奏、そしてケリーの声を聴いていると、ふと、彼らがウェールズの何もないワーキング・クラス少年だった時代に生んだデビュー作『Word Gets Around』(97年)の、シンプルなのに耳に残って離れない曲たちを思い出す。本作も、飾り気がないのに美しい。

 創造過程のどこかの瞬間に間違いや過剰さがあれば、きっとこれほど、美しい作品にはならなかっただろう。歌われなければならない物語が、ケリーの身体を借りて生まれ、そして歌われ広がっていくかのような一枚だ。

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