前作『Silence Will Speak』(2018年)で完全覚醒し、パンク/オルタナの括りを超えて〈インディー・シーン最大の怪物〉へと飛躍したGEZAN。その後はドキュメント映画「Tribe Called Discord:documentary of GEZAN」の公開、〈フジロック〉出演、さらに台風による中止決定から一転、渋谷7軒のライブハウスに人々が溢れかえった一夜の事件〈全感覚祭’19〉など、この一年半のあいだ彼らの周りには絶え間ない熱狂が渦巻いていた。
5作目のアルバム『狂(KLUE)』は、そこにさらなる燃料を投下し、一瞬の業火ですべてを跡形なく焼き尽くすだろう。さながらイメージは最終兵器か、禍々しいほどの怪物か。エンジニアにダブの巨匠、内田直之を迎えて録音されたのは、BPM100縛りのトライバル・ダンス・ミュージック。この新しい境地へと彼らが向かっていった理由とはなんだろう。前編・後編に分け、フロントマン、マヒトゥ・ザ・ピーポーへのインタビューをお届けする。
生き物みたいなアルバムが生まれるまで
――凄まじい傑作だと思います。マヒトさんは、どういうものができたと思ってますか?
「なんか生き物っぽい感じはしてますね。生命体っぽい荒さもあるし、異物みたいなものができた感じ」
――そこは『Silence Will Speak』と地続きになっている印象です。
「うん。まぁドキュメント的にも、USツアーで見た景色がこのアルバムにも入ってる。アメリカから東京に戻ってきたときに〈自分の住んでるこの街ってどんな場所だろう〉って向き合わざるをえなかったし。そういう意味では地続きでしょうね」
――『Silence Will Speak』はスティーヴ・アルビニのプロデュースが決まってから曲の方向性を固めていった作品でした。そのUSでのレコーディングに合わせて一月ほど回った西海岸ツアーで、さらに感じたものがあったと。
「そうですね。なんか思いっきり振り切ると景色って一回変わるじゃないですか。ざっくり言えば映画「Tribe Called Discord:documentary of GEZAN」で記録されているようなことが大きかったかな。思ったよりいろんな人がいるんだなって。SNSとかニュースを見てていろんな人がいるって頭で理解したつもりではあったけど。でも皮膚感覚として、当たり前のように違う生き方をしてる人が隣にいる、そんな人たちと出会うってことがすごく刺激的だった」
――ネイティヴ・アメリカンとの対話などで、肌の色による断絶を間近で体験したことが映画で語られていました。多様性って近年は毎日のように聞く言葉ですけど。それを聞くのと体感するのとでは大きく違う。
「うん。人間の持つ許容量って、ちゃんと限界とかキャパシティーがあって。人が現実に背負えるものよりいまは情報が多くなっているから、アンバランスになっちゃってることがたくさんある気がする。倫理観とか人の叡智が追いつかないまま、解決してない問題もなんとなく流れていったり。だからほんと、知識を得ることと体験することってまったく違うし、自分はもう生きた存在というか、ちゃんと存在してるものにしか興味が持てなくなってるんですよね。それはわりと、このアルバムの生き物っぽい感じに反映されてると思う」
いつも〈ひとりぼっち〉からはじめたい
――GEZANの音やメッセージは『Silence Will Speak』以降、どんどん時代にピントが合ってきた印象がありますが、それはいま言ったことと繋がっているんでしょうか?
「えっとね、たぶん真逆だと思う。仮にGEZANがいまの時代にチューニングが合ってるんだとしたら、俺らはどんどんヤケクソになっているからで」
――え(笑)。ヤケクソ?
「〈もう知ったこっちゃないよ!〉みたいな。こうするとトレンド入りします、こうするとバズりますよ、みたいなものから完全に開き直ってる。それが潔くて逆に時代っぽく見えるのかな。言ったら、配信の時代になってレコードが流行るみたいな、対岸のものがフックアップされるのと同じで。このアルバム、前のアルバムよりもさらにワガママになってる気もするし。こんなに音楽でいい思いをするのが難しくなった状況で、さらに自分がやる音楽まで不自由だったらキツいですよね。そういう単純なヤケクソ感、開き直りはあって」
――それはでも昔からですよね。上京してもメジャーをめざす気なしで、事務所とかメディアには期待したこともないって以前から話してました。
「そうなんですけどね。より、そういうものが強くなってる。前は〈期待したことない〉って言いながら期待してたとこもあるし。削ぎ落ちていったんじゃないかな。だからヤケクソ感の純度が高まってる。もう最後には、誰も触れられない祟り神みたいになる可能性もある(笑)」
――でも、前作と新作では聴いたときの刺さり方が違うんですよね。いちライターとしては、『NEVER END ROLL』(2016年)の頃のGEZANは〈ほんとマスを無視して自由に動いてるなぁ〉って見ていられた。でもいまの音は、こちらの属性に関係なく個人として聴かざるをえない、聴いたら動かざるをえない。聴き手を個に立ち返らせるものだと思います。
「あぁ……これ答えになってるかわかんないけど、自分たちだけでやってる、特に期待もせずひとりぼっちでいるって、誰かと出会わないってことではまったくなくて。ひとりっていうのは、いろんなものとの共同作業が始まる起点ですよね。〈誰にも期待しない〉って言葉はいまも言えるし、〈自分はひとりぼっちでいる〉っていまも思うけど、だからこそ誰かと会っていける。俺はコミュニティーに関してはそういう感覚を持ってる。〈みんな〉をどう解体して〈個人〉という一人称になっていけるか。その挑戦はいまもあるんですね」

――まず肩書を破壊する。そしてひとりになってから話を始めよう、っていうことですよね。そこに私が気づいたのかもしれない。
「そうですね。ひとりになるってことは、すべてを拒絶して孤立することではなくて、むしろ世界と対等に付き合えるイメージなんですね。〈誰のことも信用しない〉ところから関係性を始めたいってすごく思う。友達っていう枠組み、恋人っていう言葉、○○クルーみたいな言葉を先に作って、わかりやすく自分の居場所を得てしまうと、安心はするんだけど、たぶん安心なんかしちゃいけないんですよ。
世の中はすごく流動的だし、自分自身が考えてることも5年前とは違うから。自分ですら流動的なのに、人との関わりなんてほんの一瞬の点の輝きですよね。それをひとつの言葉でカテゴライズしちゃうのって暴力的だし、ファシズムとか宗教みたいなものに近い空気だと思う」
――ええ。
「〈全感覚祭〉のLINEグループがあって、まぁ2018年、2019年と毎回作るんですけど、俺は毎回、年越した瞬間に全部消すんですよ。で、毎回1から、最小の単位からまたグループを増やしていって。まぁあんま意味ないし、結局同じようなメンツになったりもするんだけど(笑)」
――でも、消したい、ちゃんとリセットしたいと。
「絶対消したい。去年と今年が同じだと思わないし、出ていく人もいれば入ってくる人もいて。〈十三月〉※は特に出入り自由。常に〈ひとりぼっち〉だし〈はじめまして〉みたいな前提から始めたい」

誰のものでもないから、どのコミュニティーとも会える
――新作に至る流れを追っていくと、去年は〈フジロック〉への出演や〈全感覚祭〉も話題になりました。
「うん、〈フジロック〉は気持ち良かったです。いろんなフェスがあるけど、最初に実績のないものをバーンと誘ってくれるのは〈フジロック〉なんだなって。やっぱり気概があるところは先に動いてる。それは〈全感覚祭〉で関わってくれたライブハウスだったり、俺らに関係してくれる人のフットワークの軽さを見てても思います」
――コネはない、お金が動いているわけでもない。でも個と個の連帯が力を生み出していく実感が、去年は特に強かったのでは?
「そうですね。ひとりでいるってすごく存在が曖昧だから、余計に他者が必要になる気もする。わかると思うんですけど、俺らって別に人格的にも能力的にも優れてるわけではないし、4人ですべてを回せてしまうような力が備わってるわけじゃない。不完全なまま存在してるし、ドキュメントに対して率直に流されていく感覚がある。だからこそ毎回いろんな人が関わってくれたりするし。
俺にとっても結局は余所者なんですね、GEZANって。自分がやってるけど自分のモノになりきならないし。だけど誰のものでもないからどのコミュニティーにも会えるっていう状態が、けっこう去年は象徴的だったかな。誰のものでもないからみんなのものになれる。いまGEZANがやってるのはそういう動き方なのかな」
夜のクラブにこそ、求めているパンクがあった
――新作の話ですけど、BPM100縛りのダンス・ビートを取り入れたライブは2018年の末からやってましたよね。同じBPMで3曲くらい繋げて、最後にはすでに“東京”があった。さらには当時からライブのPAを、ダブの名手であるDRY&HEAVYの内田直之さんが手がけるようになった。これらのアイデアはどこから?
「いま再編集という感覚が空気として強いなと感じていて。街を見たってどんどん変わっていくし、東京は延々と工事している。必要だから工事してるっていうより、綺麗な建物でも再開発の名の下にどんどん壊しちゃう。そこがすごく東京らしいなと思うんですよね。そういう視点からダブっていうものに繋がった気がする。
まずRed Bullのスタジオで内田さんと録って、その時点では綺麗に録れてたし完成してたんですけど、それをまた(再編集して)汚してみたくなったんです。ダイヤモンドに爪でつけた傷っていうか。傷のあるダイヤモンドのほうが、ただ綺麗なダイヤよりも映画みたいな物語が始まりそうな気がして」
――もともと内田さんと交流はあったんですか。
「GEZANとDJのYELLOWUHURUとで、Contactとかでクラブ・カルチャーとバンドが一緒に出会うみたいなイヴェント、〈BODY ODD〉をやってるんですけど。そこで出会ったんです。〈BODY ODD〉をやったことは、俺にとってめちゃくちゃ大きい。パンク・シーンって言われる場所や音楽はいっぱいあるけど、正直、その現場に本当のパンク的なものを感じなくなってたんですよ。理由もない衝動や焦燥感を持ってる人のために音楽が必要だって、自分の経験としてあるんですけど、夜のクラブこそがそういう場所なんだとわかった。うん、このアルバムを作る最初の景色は〈BODY ODD〉にあるかもしれない」
踊ることで自分自身でしかなくなる、さらに自分自身ですらなくなる
――クラブ・カルチャーへの興味って、昔からありました?
「昔からけっこう遊んでましたけどね。でも、それが愛って言葉に近い空間なんだとわかったのは最近なのかな。一般的なクラブってパーティーみたいなイメージだと思うんだけど、でも本当にいいクラブ、たとえばDJ NOBUさんがやってる〈Future Terror〉とか、ほんと隣の人なんか見えない、友達同士でも顔わかんないくらい真っ暗な空間で。そこにはずっと音楽があって、ひたすら踊ってられる。たくさんの人がいるなかで自己との対話があって、日常のいろんなノイズをこの音で掻き消して欲しいっていう感覚もあるし」
――そっか。日常で踊っているから、今回〈ロックバンドがダンス・ビートを拝借して〉みたいな借り物感がまったくない。
「理屈で作ってなかった。俺らがそれぞれのフロアに散って夜遊んでたこともあるけど、これを作ってるときはダンスフロアの当事者でしかなかったから」
――うん。このアルバムは、〈踊る〉という概念自体が変わります。
「踊るって……自分の身体と居るってことだと思う。俯瞰で見て〈あぁ、こういう音楽ね、こういうフレーズ弾くんだ〉とか、頭で考えて音楽を聴いていると、自分自身からは離れていく感覚もある。でも踊るときって自分自身でしかなくなる。その果てには自分自身ですらなくなるっていう次元があって。
この『狂(KLUE)』のジャケットはひょっとこ踊りの写真ですけど、これ撮った岩根愛さん――内田さんの盟友で、そこも繋がっちゃったんですけど、この写真について教えてもらったんですね。これは福島県三春町のひょっとこ踊りを継いでる17代目橋本広司さんって方で、この踊りではお面をつけて自我がなくなるまで、意識がなくなるまで踊るんです。そうすると自分の後ろにいる先祖、自然と繋がることができるんだって。俺、そんなこと知らずにこの写真を〈おっ〉と思ったんだけど、その話を聞いてもうこのアルバムを象徴してると思えたから」

――ええ。
「あと盆踊りもそうですよね。ひとつのサークルでずっと同じ動きで踊り続けて、偉い人はこう踊る、偉くない人はこう踊らなきゃいけないなんて決まりもなくて。すごく平等で、ずっと延々と円を描いて踊る。それってトランスの状態だと思うし、そのなかで自分自身が背負ってきたプロフィールとか肩書も剥がれ落ちていく。
踊りにはもともとそういう力があって、このひょっとこ踊りに関して言えば、もう先祖とか歴史とすら合流できる。その感覚は自分がクラブで踊っててもわかるんですね。自分にすら縛られない自由があるっていうか。それはすごく優しいことだなって思う。踊りに対してはそういうイメージがあるし、アルバムもそういうものになればいいなって気持ちがありましたね」

LIVE INFORMATION
GEZAN 5th ALUBUM「狂(KLUE) 」release tour 2020
2020年2月13日(木)北海道・札幌 BESSIE HALL
2020年2月17日(月)青森・弘前 Mag-Net
2020年2月19日(水)山形・酒田 hope
2020年2月20日(木)宮城・仙台 enn2nd
2020年3月18日(水)大阪・梅田 UMEDA CLUB QUATTRO
2020年3月19日 (木)名古屋・新栄 APOLLO BASE
2020年4月1日(水)東京・恵比寿 LIQUIDROOM
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