前作『Silence Will Speak』(2018年)で完全覚醒し、パンク/オルタナの括りを超えて〈インディー・シーン最大の怪物〉へと飛躍したGEZAN。その後はドキュメント映画「Tribe Called Discord:documentary of GEZAN」の公開、〈フジロック〉出演、さらに台風による中止決定から一転、渋谷7軒のライブハウスに人々が溢れかえった一夜の事件〈全感覚祭’19〉など、この一年半のあいだ彼らの周りには絶え間ない熱狂が渦巻いていた。

5作目のアルバム『狂(KLUE)』は、そこにさらなる燃料を投下し、一瞬の業火ですべてを跡形なく焼き尽くすだろう。さながらイメージは最終兵器か、禍々しいほどの怪物か。エンジニアにダブの巨匠、内田直之を迎えて録音されたのは、BPM100縛りのトライバル・ダンス・ミュージック。この新しい境地へと彼らが向かっていった理由とはなんだろう。前編・後編に分け、フロントマン、マヒトゥ・ザ・ピーポーへのインタビューをお届けする。

GEZAN 狂(KLUE) 十三月(2020)

生き物みたいなアルバムが生まれるまで

――凄まじい傑作だと思います。マヒトさんは、どういうものができたと思ってますか?

「なんか生き物っぽい感じはしてますね。生命体っぽい荒さもあるし、異物みたいなものができた感じ」

――そこは『Silence Will Speak』と地続きになっている印象です。

「うん。まぁドキュメント的にも、USツアーで見た景色がこのアルバムにも入ってる。アメリカから東京に戻ってきたときに〈自分の住んでるこの街ってどんな場所だろう〉って向き合わざるをえなかったし。そういう意味では地続きでしょうね」

――『Silence Will Speak』はスティーヴ・アルビニのプロデュースが決まってから曲の方向性を固めていった作品でした。そのUSでのレコーディングに合わせて一月ほど回った西海岸ツアーで、さらに感じたものがあったと。

「そうですね。なんか思いっきり振り切ると景色って一回変わるじゃないですか。ざっくり言えば映画「Tribe Called Discord:documentary of GEZAN」で記録されているようなことが大きかったかな。思ったよりいろんな人がいるんだなって。SNSとかニュースを見てていろんな人がいるって頭で理解したつもりではあったけど。でも皮膚感覚として、当たり前のように違う生き方をしてる人が隣にいる、そんな人たちと出会うってことがすごく刺激的だった」

「Tribe Called Discord:documentary of GEZAN」トレイラー映像
 

――ネイティヴ・アメリカンとの対話などで、肌の色による断絶を間近で体験したことが映画で語られていました。多様性って近年は毎日のように聞く言葉ですけど。それを聞くのと体感するのとでは大きく違う。

「うん。人間の持つ許容量って、ちゃんと限界とかキャパシティーがあって。人が現実に背負えるものよりいまは情報が多くなっているから、アンバランスになっちゃってることがたくさんある気がする。倫理観とか人の叡智が追いつかないまま、解決してない問題もなんとなく流れていったり。だからほんと、知識を得ることと体験することってまったく違うし、自分はもう生きた存在というか、ちゃんと存在してるものにしか興味が持てなくなってるんですよね。それはわりと、このアルバムの生き物っぽい感じに反映されてると思う」

 

いつも〈ひとりぼっち〉からはじめたい

――GEZANの音やメッセージは『Silence Will Speak』以降、どんどん時代にピントが合ってきた印象がありますが、それはいま言ったことと繋がっているんでしょうか?

「えっとね、たぶん真逆だと思う。仮にGEZANがいまの時代にチューニングが合ってるんだとしたら、俺らはどんどんヤケクソになっているからで」

――え(笑)。ヤケクソ?

「〈もう知ったこっちゃないよ!〉みたいな。こうするとトレンド入りします、こうするとバズりますよ、みたいなものから完全に開き直ってる。それが潔くて逆に時代っぽく見えるのかな。言ったら、配信の時代になってレコードが流行るみたいな、対岸のものがフックアップされるのと同じで。このアルバム、前のアルバムよりもさらにワガママになってる気もするし。こんなに音楽でいい思いをするのが難しくなった状況で、さらに自分がやる音楽まで不自由だったらキツいですよね。そういう単純なヤケクソ感、開き直りはあって」

『Silence Will Speak』収録曲”DNA”
 

――それはでも昔からですよね。上京してもメジャーをめざす気なしで、事務所とかメディアには期待したこともないって以前から話してました。

「そうなんですけどね。より、そういうものが強くなってる。前は〈期待したことない〉って言いながら期待してたとこもあるし。削ぎ落ちていったんじゃないかな。だからヤケクソ感の純度が高まってる。もう最後には、誰も触れられない祟り神みたいになる可能性もある(笑)」

――でも、前作と新作では聴いたときの刺さり方が違うんですよね。いちライターとしては、『NEVER END ROLL』(2016年)の頃のGEZANは〈ほんとマスを無視して自由に動いてるなぁ〉って見ていられた。でもいまの音は、こちらの属性に関係なく個人として聴かざるをえない、聴いたら動かざるをえない。聴き手を個に立ち返らせるものだと思います。

「あぁ……これ答えになってるかわかんないけど、自分たちだけでやってる、特に期待もせずひとりぼっちでいるって、誰かと出会わないってことではまったくなくて。ひとりっていうのは、いろんなものとの共同作業が始まる起点ですよね。〈誰にも期待しない〉って言葉はいまも言えるし、〈自分はひとりぼっちでいる〉っていまも思うけど、だからこそ誰かと会っていける。俺はコミュニティーに関してはそういう感覚を持ってる。〈みんな〉をどう解体して〈個人〉という一人称になっていけるか。その挑戦はいまもあるんですね」

――まず肩書を破壊する。そしてひとりになってから話を始めよう、っていうことですよね。そこに私が気づいたのかもしれない。

「そうですね。ひとりになるってことは、すべてを拒絶して孤立することではなくて、むしろ世界と対等に付き合えるイメージなんですね。〈誰のことも信用しない〉ところから関係性を始めたいってすごく思う。友達っていう枠組み、恋人っていう言葉、○○クルーみたいな言葉を先に作って、わかりやすく自分の居場所を得てしまうと、安心はするんだけど、たぶん安心なんかしちゃいけないんですよ。

世の中はすごく流動的だし、自分自身が考えてることも5年前とは違うから。自分ですら流動的なのに、人との関わりなんてほんの一瞬の点の輝きですよね。それをひとつの言葉でカテゴライズしちゃうのって暴力的だし、ファシズムとか宗教みたいなものに近い空気だと思う」

――ええ。

「〈全感覚祭〉のLINEグループがあって、まぁ2018年、2019年と毎回作るんですけど、俺は毎回、年越した瞬間に全部消すんですよ。で、毎回1から、最小の単位からまたグループを増やしていって。まぁあんま意味ないし、結局同じようなメンツになったりもするんだけど(笑)」

――でも、消したい、ちゃんとリセットしたいと。

「絶対消したい。去年と今年が同じだと思わないし、出ていく人もいれば入ってくる人もいて。〈十三月〉は特に出入り自由。常に〈ひとりぼっち〉だし〈はじめまして〉みたいな前提から始めたい」

※GEZANが主催するレーベルで〈全感覚祭〉の運営も行っている
 
〈全感覚祭大阪2019〉でのライブ映像