2019年屈指の怪作『中学生』からおよそ1年。betcover!!ことヤナセジロウから、セカンド・アルバム『告白』が早くも届けられた。前回のインタビューでも触れた通り、『中学生』では異形のサウンドにまず耳を奪われたものだが、『告白』のオープニングを飾る“NOBORU”から聴こえてくるのは、もっとストレートで赤裸々な歌声だ。尾崎豊にも迫る青臭さと切迫感でもって、〈いかれた世界に火をつけて/君といたいな〉とヤナセは歌う。冷めきった苛立ちはそのままに、どっしり逞しく構えた姿は感動的ですらある。たった1年でここまで成長できるものだろうか。
『告白』はJ-Popの王道に軸足を置いているが、決して〈丸くなった〉作品ではない。以前からあったダブ/レゲエやパンク、フォークの要素に加えて、ブルース(“TOKYO”)、ネオアコ(“こどもたち”)、スカムなガレージ・ロック(“失踪”)、ラヴァーズ・ロック(“Jungle”)といったアルバム10曲の豊富なバリエーションは、同世代の誰とも似ていない音楽的好奇心の賜物だ。スミスとバットホール・サーファーズが、RCサクセションとゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーが組み合わさったら? そんな奇想天外の発想を〈かっこいいから〉で一点突破したアルバムでもある。
何より白眉は、まさかの(と言いつつ、どこか納得の)小袋成彬をプロデューサーに迎えた“Love and Destroy”だろう。繊細かつモダンなプロダクションに乗せて、ヤナセは〈誰ともわかり合いたくない〉と穏やかに歌う。正論ばかりが渦を巻くSNSや、同調圧力にまみれた世界にそっと拒否反応を示しながら、彼は自分の歌を自分のやり方で歌っている。
その姿に多くのアーティストが賛辞を寄せているわけだが、迎合するような気配は1ミリも見せず、いまも相変わらず孤高のまま。そういった不器用な生き様に、どうしても自分のような人間は一票を投じたくなるわけで……。殺伐とした『中学生』を経て、この包み込むような境地にどうやって辿り着いたのか。コスパを信仰する若者が増えるなか、生粋のアウトローはいま何を思うのか。
いまは本当に書くことがない
――最近はどんな暮らしをしてるんですか?
「前と変わったのは、曲を作らなくなったことですね」
――そういう気分じゃない?
「はい。今年に入ってからは全然作ってないですね。3曲ぐらいしか作ってない。最近はずっとアニメを観てます。高橋留美子の『うる星やつら』とか。心の安らぎを求めて(笑)」
――日々の生活は落ち着かない?
「というより、やることがないし、何もやる気が起きない(笑)。ライブしようにも……って感じじゃないですか。この先も控えてますけど、どうしようって不安になりますね」
――いろいろなミュージシャンにこの手の話を訊いてますけど、なかでもいちばん……。
「みなさん、どんな感じなんですか?」
――この期間に曲を書きますとか、配信をがんばりますとか。
「嘘ですよ、嘘。絶対作ってないですよ(笑)」
――前作『中学生』のインタビューで〈チルってる場合じゃない〉という発言が出たじゃないですか。あの言葉が一部で注目された印象があるんですよね。それから1年経って、世の中のムードとしては〈チルってる場合じゃない〉って傾向が一層強まっている気がするんですけど、ヤナセくんにもそういう実感はあるんじゃないですか?
「ないです(笑)。僕が音楽業界でいまいちばんチルってますよ。いまの空気感って、僕が言った〈チルってる場合じゃない〉っていうのとちょっと違うんですよね。僕は政治とか社会に対して直接的な意見を持っているわけじゃない。そういうのを見ると疲れちゃうんですよね。いまって皆コロナで家にいる時間が多くなったことで考える余裕ができたのか、それともストレスが溜まってるのか、どんどん活発になってきたじゃないですか。日本人が意見を持つようになったというか」
――そうですね。
「最近も〈ミュージシャンは政治を語るべきか〉みたいな話があるけど、そういう話をしてるアーティストの曲を聴いたら、普通の恋愛ソングだったりして。なんだよって(笑)。語るなら曲でも鳴らせよって」
――はい(笑)。
「自分はそこに乗っかって〈じゃあ俺も何か書くぞ〉みたいなのはないですね。そもそも、そういう世の中の動きが曲を作るエネルギー源ではないし。僕はもっと個人的なところのエネルギーが強いんで。だから、いまは本当に書くことがない」
――書くことがない……。この状況で?
「あるのかもしれないけど、僕としてはそんなにおもしろくないし、おもしろいものが出来ない。そんなメッセージもない。でも、今回のアルバムはわりかし〈いまっぽいな〉と思いましたね。録ったのは今年の2月とかですけど、このタイミングで出せてよかったと思います」