SING LIKE TALKINGはコロナ禍をどう過ごした?
――まずは新曲“生まれた理由”が作られた経緯からお聞かせください。
佐藤竹善(ヴォーカル/ギター/キーボード)「デビュー25周年(2013年)以降から年に1枚はシングルを出そうというプランがあったんです。コロナ禍の影響でライブが延期されたり、いろいろと予定が変更になったけど、シングルは予定どおりに出そうということになって。曲書きを始めたのは5月ぐらいだったかな」
――じゃあ緊急事態宣言が発令中だったわけですね。ということはやはりコロナ禍に入ってから見たもの感じたものが少なからず反映されていると?
佐藤「3月末に地方から帰ってきたあたりでコロナが猛威を奮い始め、そこから一切東京を出ていない。電車も乗ってないし、PASMOの履歴が3月末で止まっている。
4月は何もやる気が起きなくて、志村けんさんのこととかいろいろありましたし……。振り返ると、殺伐とした空気が流れていましたよね。で、自粛中に曲を書くという気分にはならなかったんですよね」
――音楽に向かうという気持ちにもならず。
佐藤「ダラダラ生活していました。ダラダラしながらもいろんなことを考えていましたけど、何かいい答えが出るわけでもなく。メディアから必要な情報を収集しながら、世の中の情勢をじっとうかがっていたというか」
藤田千章(キーボード/シンセサイザー)「僕は大学の仕事もしているので、オンライン授業に切り替わったことで、その準備に追われていた日々でした。時間に関係なくメールがガンガン届くこともあり、最初の頃はかなり疲弊しましたね」
西村智彦(ギター)「僕の場合は、使っていたパソコン周りの機材が最新の音楽制作には対応できない、ということで、この時期に総入れ替えを行いまして。組み立てやら何やらでてんやわんやの日々でした。
あとソロ・アルバムの制作も行っていたので、とにかく時間に追われていて。自粛期間中にソロ・アルバムのTDがあったんですが、作業現場が3密になってしまうので、自粛が明けてからようやく作業に着手できたってこともありました」
平時ではない状況で僕らは何を問われるのか
――藤田さんの歌詞を読ませてもらうと、端々に非常事態時のムードのなかで湧き出たと思わしき感情の発露が見て取れます。鋭い指摘もそこここに見られるし。
藤田「現状に対して何かを指摘しようという意図はそんなにありませんでしたよ。発想の元となっているのはあくまでも竹善の曲で、そこから発想を膨らませていった結果がこれだったんです。
竹善と話をしていくうえで、最近考えていることなどを自分なりに掬い上げながら、歌詞をまとめていった。だからいま何が必要なのかを言葉にしたってところですかね」
――いま必要なものは何かを考えたとき、現状に対して欠落感のようなものを抱いていたりするのでしょうか?
藤田「欠落感というものではないですね。世の中が日々動いているけれど、けっして平時ではない。そんな状況において僕らは何を問われるんだろうか。たえずそう感じているので」
――コロナから離れても、分断と対立の構造が世界的にさまざまな影響を与えているわけですが、そういう状況に対しての指摘も見て取れる。
藤田「その辺の解釈は自由に感じ取ってもらえればいいんじゃないかと。僕のほうからあえて何か言い加える必要もないかな、ハイ」
300曲以上書いてきたキャリアをリセットした
――抽象的な言い方になりますが、竹善さんが書いたメロディーはいつも以上に躍動感があって素晴らしい。曲のイメージの源泉はどこにあったのでしょうか?
佐藤「今回曲を書く姿勢として、いままでの自分の定番のスタイルを一度リセットしたかったんです。そのことはしばらく頭のどこかで考えていたものの、忙しさに追われて後回しになっていた。長く曲作りをしていると、いままで築き上げてきたやり方に向かってしまいがちになる。今回は、定型を壊しながら曲作りを実践してみたんです。
僕の場合、メロディーと和音が同時に進んで曲になるんですが、まずはそのやり方自体を疑ってみるところから始めてみた。微かにでも、つまんないなと思えたら、どんなに時間がかかろうが、どんなに面倒くさかろうが、取っ払っていくというチャレンジを課した。つまりより自由な創作方法をめざしていったわけです。
自分の奥にはこれまでにも自由さを求める気持ちはあったんですが、はたして100%やり切れていただろうか?と自問自答をすることがあって」
――コロナの自粛期間は自分自身を見つめなおすきっかけにもなったと。
佐藤「ええ、いままでの30数年のキャリアを完全に無視して、一回テンプレートを全部取っ払おうと。作業自体は、コンピューターを使って殴り書きを繰り返していく、みたいな。コンピューターとセッションしているような感じでしたけどね。
で、一回書き上げたんですが、和音やアンサンブルの展開が見えてきた段階で、99%書き直したんです。作っては捨て、作っては捨て、という作業を繰り返しながら、辿り着いた先にあったものは、自分としてはかなり不思議なメロディーだった。でも、300数曲書いてきたキャリアから逸脱できたという実感が得られたし、ここで新しいスタートが切れたかなと」
――躍動感のベースに流れていたのは、竹善さんのなかに流れていた自由な感覚だったんですね。それって竹善さんとしては、若さを取り戻せたという感覚に近いのでしょうか?
佐藤「そういう感じです。ただいつもそうなんですが、曲が出来たばかりの頃は、良し悪しの判断ってできないんですよ。その都度、メロディーに辿り着いたときにワクワクするかどうかを最優先させていった作業だったので、また違った感覚があります」
西村「曲はいつもと違っていて単純におもしろいなと思いましたよ」
藤田「竹善が何を考えながら曲を作ったのか、ということに関しては僕がいちばん探りたい部分なんですが、彼がいまどういう日々を過ごしているのか、とかすごく大事で、曲にダイレクトに表れるんです。曲だけでなく、音楽全体についてもそうですけどね。だからそこを拾い上げていくのはごく自然というか」
――創作についてのディスカッションってけっこうやったりします?
佐藤「ぜんぜんしないですねぇ。30代前半ぐらいまではしていたかな。でもさっき千章が話した、僕が曲で何を言わんとしているかを探るというようなことですが、彼の歌詞ができたときにほとんど違和感がないので、ちゃんと対話ができているということなんでしょうね、きっとね」