Negiccoでの活躍はもちろん、ソロでも独自の世界を追求しているKaede。初のフル・アルバム『今の私は変わり続けてあの頃の私でいられてる。』に続く新作は、Lampの染谷大陽とウワノソラの角谷博栄をプロデューサーに迎えたコンセプチュアルなミニ・アルバムとなった。その両バンドの織り成す色合いが主役の味わい深いヴォーカルに融和した馥郁たる出来映えで、ヴィジュアルも含めてある種の品格が漂う一枚です。
“あの娘が暮らす街(まであとどれくらい?)”(2017年)、“ただいまの魔法”(2018年)、“クラウドナイン”(2019年)、『深夜。あなたは今日を振り返り、また新しい朝だね。』(2019年)、『今の私は変わり続けてあの頃の私でいられてる。』(2020年)と、いずれの作品でも洗練されたポップ・ミュージックを聴かせるNegiccoのKaedeのソロ・ワークス。ここにきて彼女が全面的に組んだのは、なんとLampの染谷大陽とウワノソラの角谷博栄。世代は異なるものの、音楽的な信頼感でしっかりと繋がれた2人の協働が、本作では見事な実を結んでいる。
Kaedeと染谷、角谷の鼎談で、「声から感じられる成分に切なさみたいなのがすごく多くあって、そこがKaedeさんの魅力だと思います」(染谷)、「どこかに消えちゃいそうな儚い感じというか、偶像的な声の要素があって、だけどそのなかに真っ直ぐ芯が通っていて」(角谷)と語られているとおり、この『秋の惑星、ハートはナイトブルー。』は、Kaedeの歌の〈旨味〉が凝縮された作品だと感じる。ちょっとかすれた声質や、高音を歌ったときのすっと立ち上がるような伸び方……そういった歌手としてのKaedeの個性が、ぞんぶんに活かされているのだ。
特に、冒頭の“君が大人になって”と、〈もしもし〉というフレーズが印象的な“モーニングコール”、そして“セピア色の九月”の3曲(“セピア色の九月”はLampの永井祐介が、あとの2曲は染谷が作曲)。アナログな音の質感もさることながら、ミックスによる音の定位感がかなり変わっていて、Kaedeのヴォーカルが右チャンネルに、バンドの演奏やコーラスが左チャンネルに、極端に割り振られている。これによってKaedeの歌が埋もれることなく、くっきりと際立って響いており、ヴォーカリストとしてのKaedeの表情がはっきりと前面に出ている(先のインタビューやWebVANDAのウチタカヒデのレビューでもこのミックスについての指摘があり、ウチは〈マルチ・レコーダーのチャンネル数が少なかった60年代サウンドに憧憬を抱く染谷らしい実験精神からだろう〉と分析している)。いずれも染谷のアレンジメント、優雅に上下するメロディー(“モーニングコール”)、見事なコーラス・ワークなどがLampのそれをほうふつとさせ、思わずその美しさに息をのむ。
一方、角谷が手掛けた楽曲はウワノソラの『陽だまり』(2017年)や『夜霧』(2019年)で聴けたエレガンスと躍動感が横溢しており、バリトン・サックスの低音が効いたミディアム・ナンバー“さよならはハート仕掛け”(作曲は角谷博栄で、作詞はLampの榊原香保里、というこの作品ならではのコラボレーション)、ラテン/ブラジリアン調のドラマティックでグルーヴィンな“ジュピター”の2曲は、華麗で軽快かつしなやか。こちらでは、アレンジと見事に溶け合ったKaedeの歌を聴くことができる(特に、“ジュピター”の冒頭のコーラスとささやきにしびれる)。
オープニングとクロージングがきっちりと配置された本作は、とても20分ほどの小品とは思えないほどの厚みとトータリティーを持っている。Kaedeのファンのみならず、60年代や70年代の音楽に惹かれてやまないミュージック・ラヴァーに広く開かれた、力強いポップ・アルバムだ。掛け値なしの、タイムレスなマスターピースだと強く思う。