日本ロック黎明期に異彩を放ったバンド、ロスト・アラーフ。そのメンバー、灰野敬二と髙橋廣行の監修による集大成的な2枚組CD『LOST AARAAF』が結成50周年の2020年12月30日(水)に、豪華仕様コレクターズ・エディション完全限定盤と通常盤の2種で同時リリースされる。ドラマー、髙橋廣行氏に話をうかがった。
様々な文化が渦巻いていたアップルハウス
――今年の3月に出た髙橋さんの著書「イベント仕掛人が語る『70年代ロック実話』」には、中学生の時からジャズ喫茶通い、とありますね。
「10歳くらいからラジオでFEN(現AFN)というアメリカの進駐軍放送を聴いていたので、ジャズ、ロック、カントリー、ブルースなどに触れる機会が多く、多感な年頃なのですごく興味を持っていたんだよね。
中学に入った頃から新宿のラ・セーヌや銀座のACB(アシベ)という今で言うライブハウスに通い始め、日本やフィリピンのロック・バンドの音楽に触れるようになり、その合間にジャズ喫茶に入るようになって、そこで聴いたのがジョン・コルトレーンで凄い衝撃を受けたんだよ。また、その店に置いてあったジャズ関連の本や植草甚一氏の本を熟読し、音楽だけでなく絵や映画他、多くの文化と出会ったんだ」
――最初からドラムをやろうと思っていたんですか?
「バンドをやろうと思って質屋でアンプとギターとベースを買ったんだよ。ところが、ギター2人とベースとヴォーカルが決まりドラムをやるのがいなかったので仕方なく私がやることになったんだね。忘れもしない、パールの一番安いドラム・セットを買ったんだよ」
――今回発売されたCD『LOST AARAAF』のブックレットに収めた灰野敬二さんとの対談や著書にも出て来るアップルハウスについて詳しく教えていただきたいです。ロスト・アラーフの活動にも大きく関わってくる場所ですね。
「渋谷の南平台に2階建ての一軒家があって、ビートルズのファンクラブ(ザ・ビートルズ・シネ・クラブ、B・C・C)と(ローリング・)ストーンズのファンクラブが運営していた、学校と家の中間の溜まり場的フリー・スペース、それがアップルハウスだったんだよ。2階が事務所で1階には双方のファンや家出してきた人たちがその雰囲気を自由に楽しんでいたと思う。
私は友人に誘われて通うようになり、ブルース・クリエイションの竹田(和夫)君やカルメン・マキ、天井桟敷の寺山修司さん、東京キッドブラザースの東由多加さん他、多くの方と出会った場所なんだ。
アップルハウスは広い敷地の中にあり、隣の洋館アドハウスでは当時創刊した雑誌『anan』の撮影でカメラマンの立木義浩さんや篠山紀信さん、モデルでは秋川リサさんがよく来ていた。他には寺子屋やプレハブなどのスペースがあり、毛沢東を研究している人や学生運動をしている人など、様々な人が出入りしていたと思う。
そう言えば、イエロー・サブマリンという映画サークルもあり、後に広末涼子のデビュー作(97年作『20世紀ノスタルジア』)を撮った原將人さんや、『原宿ゴールドラッシュ』という本を書いたエディターの森永博志さんもいたな。とにかく面白そうな人が多かったよ」