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浅海章との出会いとロスト・アラーフ結成

――そこで、ピアニストの浅海章さんと知り合うのですね。

「そうなんだ。変わった人が多い中でも特に変わっていて、笑い方は〈フムフム〉、急に怒り出したり2週間いなくなったりして、変だったよ。大学生の浅海君から〈B・C・Cの映画上映会でピアノを弾くことになったんだけどドラムをやってくれない?〉と誘われ、ピアノとドラムのデュオで演奏し、それがきっかけでロスト・アラーフを作ることになったんだよ。

(初ライブの)場所は世田谷区民会館で曲はビートルズの“Revolution 9”(68年)。バンド名は最初はロスト・ブラックだったけど、ロスト・ア・ラーフ(失われた笑い)、次にロスト・アラーフとなった。全て浅海君が考えた」

――灰野敬二さんが加わったのは? 当初からヴォーカリストとして加入されたんですよね。

「アップルハウスの森永さんから、7月に開催される富士急(ハイランド)での〈ロック・イン・ハイランド〉(70年)というフェスの主催者・宇佐美さんを紹介され急遽出演が決まったんだよ。

野外フェスだからあと2人メンバーを探して4人くらいで演ろうということになり、1人は私の短い学生時代に知り合ったギタリスト、もう1人は宇佐美さんの紹介で前衛に興味があるというヴォーカルを入れることにした。それが灰野で、4人で一度リハをしてフェスまで2週間しかない中で曲決めをし、ロスト・アラーフのデビュー・ライブを迎えたんだよ」

――結成1ヶ月弱で大きなロック・フェスに出るって凄いですね。このフェスには山口冨士夫が参加している裸のラリーズも出演していますね。

「以前、(裸のラリーズの)水谷(孝)君と話をしたら、ちょうど彼らが会場に着いた時、私達が演奏していたと言っていた。ラリーズとは運命的な出会いで、その後急接近することになるんだけど。このフェスにはフラワー・トラヴェリン・バンド、トゥー・マッチやブルース・クリエイション他、30組近くが出ていたと思うよ」

――当初のロスト・アラーフは即興演奏が主ですが、どのようなレパートリーがありましたか? また、ヴォーカリスト・灰野敬二さんをどのように見ていましたか?

「最初はビートルズの曲をモチーフにしてたけど、すぐに浅海、髙橋、灰野、それぞれがオリジナルを作るようになったんだ。代表的なもので“アシュラ組曲”というのがあったけど、即興が多いので同じ曲でも毎回違う内容だったよ。したがって、音響設備の悪いところでは出来不出来が結構あったと思うよ。

灰野は結成当初からヴォーカルと言うよりはヴォイスとシャウトという感じで〈激闘〉という言葉が似合うステージングだった」

ロスト・アラーフのレパートリー

 

内田裕也「ついに日本でオリジナルをやるバンドを見つけた」

――10月には早くも自身で日比谷公園野外小音楽堂でのコンサートをプロデュースしますね。このチラシでは、ロスト・アラーフにブルース・クリエイション、ラスティー・シャック、パフが出演したとあります。

〈響〉(70年)フライヤー

「これは富士急が終わった後、アップルハウスで知り合った連中とフリー・コンサートをやろうということになり、ブルクリの竹田君に協力してもらって開催したんだよ。入場無料のカンパ制で、他の出演者は吉田美奈子さんと野地(義行)君のフォーク・デュオ、パフ。竹田君のお姉さんがヴォーカルのブルース・バンド、ラスティー・シャック。飛び入りでイラストレーターの成田ヒロシ君がサックスのGDB。このバンドはベースが南正人さん、ドラムが後にラリーズに加わる正田(俊一郎)君。頭脳警察も急遽駆けつけ出演してくれたんだ」

――浅海さんがクラシックと現代音楽、灰野さんがロックから世界中の音楽、髙橋さんがフリー・ジャズと実験音楽、と三者三様で面白いのですが、この頃からより多くのジャンルの方々との出会いもあったのだとか。

「スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』(68年)を何回も観て黒い板の意味を考えたり、上野で開催されたピカソ展に毎日通いピカソを知ろうとしたり、当時は貪欲に面白い文化に触れようとしていたんだけど、そんな時、フリー・ジャズの高木元輝さんや現代音楽の有田数朗さん他と知り合い、音楽だけでなく感性が激しく磨かれたと思う。

〈精進湖ロックーン〉(71年)フライヤー

グループ結成の1年後に出演した、〈精進湖ロックーン〉(71年8月8~9日)や〈三里塚幻野祭〉(同年8月14~16日)、池田正一さん主宰の劇団・円劇場との1ヶ月間のコラボは良き思い出かな。当時だててんりゅうにいたヒロシともこの頃出会い、エターナル・ウーム・デリラムや裸のラリーズで音楽活動を共にするきっかけになったんだよ。今でも仲良いけどね。

エターナル・ウーム・デリラムの2019年作『Eternal Womb Delirum #1』トレイラー

71年にピンク・フロイドの〈箱根アフロディーテ〉コンサートの前座オーディションがあり私等も参加したんだけど、演奏を始めたら審査員の多くが退場する中、内田裕也さんだけが最後まで聴いてくれて、演奏後〈ついに日本でオリジナルをやるバンドを見つけたよ〉と喜んでくれた。他の審査員の反対があり箱根には出演出来なかったけど、裕也さん主催のコンサートに多数出演させてもらった。その後も裕也さんとはイベンター時代を含め長くお付き合いさせてもらったよ」