時にはポップに、時には実験的に……ベルリンを拠点に90年代初頭から活動するエレクトロニック・デュオの、〈無秩序な人工知能〉と名付けられた新作。彼らの尽きることのない遊び心と想像力は、ついに作曲にAIを持ち込んだ! 軽快に跳ねる細切れのエレクトロニクスとうねる低音の生み出すポリリズムがダンス・ミュージックとの絶妙な距離感を保ち、我々リスナーの脳と身体をこれでもかと揺らしてくる。

 


ドイツ電子音楽界きっての知性派にして、キッチュな茶目っ気やユーモアを音楽に込める変わり者2人――ヤン・ヴェルナーとアンディ・トーマからなるデュオ、マウス・オン・マーズ(以下、MOM)。93年の結成からすでに28年が経ち、リリースしたスタジオ・アルバムは本作を含めて12を数える。いわゆるIDMやエレクトロニカの潮流の先駆けと言っていいヴェテランはしかし、いまだにエッジを保ちつづけており、電子音で織りなすその世界はますます研ぎ澄まされていっている(そのすごみは、傑作『SIGN』をリリースしたばかりのオウテカにも似ている)。一方で、いつまでも変わらないというか、はじめに書いた諧謔精神や〈てへぺろ〉なセンスを常に携えており、それが彼らの作品をポップなものにしている。しかし考えてみれば、優れたユーモアとは知性からひねり出されるものである。

そのMOMの前作は、2018年に発表した『Dimensional People』だ。現代音楽方面でも才能を発揮するブライス・デスナーの存在もきっかけのひとつだったのだろうか、彼がメンバーであるナショナルとMOMは近年、密な共同制作を行っており、『Dimensional People』にはアーロン&ブライス・デスナー兄弟が参加している(木津毅は、ボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンとアーロンが主催するフェスティヴァル〈Eaux Claires〉での共演経験がもとになっている作品だと指摘する)。

『Dimensional People』の特徴は、人々(people)の声を呼び込み、招き入れていたことだった。デスナー兄弟の盟友ヴァーノン、『Love, Loss, And Auto-Tune』(2018年)でヴァーノンとの共演が話題になったスワンプ・ドッグ、ラッパーであるスパンク・ロックやアマンダ・ブランク……と、多様な表現者が同作に貢献している。人々がそれぞれに次元(dimensional)をなした、二次元では表現できない多面体のような、多次元的な作品が『Dimensional People』だった。

それに対してこの新作『AAI』は、声とアコースティック楽器をふんだんに使った前作とは好対照をなす。というのも、技術者やプログラマーたち――〈理系〉(とカッコをつけておく)の鋭才たちとの協働で新たに開発したソフトウェアによる、AIでの作曲がアルバムの核なのだ。アルバム・タイトルは〈Anarchic Artificial Intelligence〉の頭文字を取ったもので、直訳すると〈無政府主義的、無秩序な人工知能〉だろうか。アトランダムに音が暴れまわる本作を聴いていると、そんな題が作品性のすべてを物語っているように感じられる。

もうひとつ、『AAI』には重要なエレメントがある。それは、米ボストン大学の英文学教授でアフリカン・アメリカン研究の第一人者であるルイス・シュデ=ソケイの言葉だ。彼のテクスト、そしてAIが合成した彼の声は、アルバムのいたるところに散りばめられている。ここでもまた、前作の〈多声〉に対する今作の〈一声〉という点が対照的で、とても示唆的だ。

『AAI』でフィーチャーされたシュデ=ソケイは、アフリカン・ディアスポラの文学、政治、文化の研究者だという。彼の声を作品の中心に置いていることはつまり、2020年にアメリカから燃え広がり、人類社会一般を世界的に変容させたブラック・ライヴズ・マターを受けたMOMのアティテュードの表明だと考えていい。

『AAI』に持ち込まれた、ひじょうに示唆に富むシュデ=ソケイの2つのテクスト「Anarchic Artificial Intelligence」と「Walking And Talking」は、〈人間と機械(≒AI)〉をテーマとするものだ。特に前者は重要で、〈歴史〉をアングロ・サクソン的で横柄な人間中心主義的態度から解放して、〈人間なんてそんなたいしたものではない〉とより大きなものとして捉えようとしている。その過程でシュデ=ソケイは、〈人種〉を支配者側の〈終わりのないフィクション〉、そして〈アルゴリズム〉と言い切る。〈白人〉や〈黒人〉といった言葉はまったく現れないものの、彼が人種差別、人種主義の問題を大局的な視座からおおらかに、しかし怒りに煮えたぎった眼差しで見据えているのが伝わってくる。

音楽の話に戻ろう。『AAI』ではシュデ=ソケイの声に呼応して、いきいきとしたアフリカン・パーカッションとアフリカン・リズムが取り入れられている。電子音も躍動感にあふれていて、舞い踊っている。AIが産み落としたヴォイス・サンプルはチョップされ、奇妙に歪んではいるが、その変調やエディットはふんわりとした柔らかさと温かみに包まれており、聴き手を不気味の谷底に誘うことはない。電子音にしてもそうで、ノイジーだが不思議とアナログな感触がベースになっており、丸みを帯びている。人工知能が生んだサウンドが、こんなにも人間味にあふれているのか。『AAI』の音は、エイリアンでもストレンジャーでもなく、まるで親しみやすい友人や同僚や隣人のように聴き手に語りかけてくる。アカデミックに、エクスペリメンタルに探求されたエッジーな音の親密さ。これも、MOMの茶目っ気のなせるわざだろう。

というわけで『AAI』では、跳ねて弾む電子音とユーモアと政治性とが、他にないかたちで同居することになった。それは、対立する〈人類 vs. 機械〉(あるいは、あまりにも不毛な人類どうし)の緊張が軋みを上げて響かせる現代のノイズの、とても優しく慈愛に満ちた昇華のしかたである。『AAI』は、いまだ最前線に立ちつづけるMOMが現代性、現在性に向き合った傑作と言っていい。

人間的な音とは何か。あるいは、人間味とは何か。そして、機械的、人工的な音とは何か。それらを分別する明確な差異や基準は存在するのか。突き詰めて考えてみれば究極的な答えを導きだすことができないその問いに、MOMはウィンクをしながら、みずからの作品でもって彼らならではの回答を差し出している。

※このレビューは2021年2月20日に発行された「intoxicate vol.150」に掲載された記事の拡大版です