アメリカ版レディオヘッド? ネクストR.E.M.? ザ・ナショナルのすごさとは
〈すごいすごいって言うけど、じゃあどうすごいの?〉と訊ねられたときに、いちばん答えに困るタイプだ。インテリジェントで音楽的偏差値の高いアート・ロック・バンドとして、しばしばそう形容されているように、アメリカ版レディオヘッドと見做すのが手っ取り早いのだろう。もしくは、かつてR.E.M.が占めていたポジションに限りなく近い位置付けの、アメリカを代表する真の意味でのオルタナティヴ・ロック・バンド?
いつの間にかビッグになっていたみたいに感じられるかもしれないが、今年は結成20周年、地道なステップを積み重ねて世界中でアリーナ級のハコを一杯にするまでに成長したザ・ナショナルには、ファンにも簡単には説明できない魅力が無数にある。思い付くままに挙げてみると、ブライアン・デヴェンドーフの気持ち良くタイミングをはぐらかすドラミング。2組の兄弟※が縦横に構築する音のシンメトリー。マット・バーニンガーのバリトン・ヴォイス。彼が妻と共作する、絶望感とロマンティシズムが常に隣り合わせている歌詞。アルバムでの静のイメージとは対照的な、ステージでの彼のワイルドなカリスマ。マルチ・インストゥルメンタリストのアーロン&ブライス・デスナーが備えるマジシャンのごときミュージカリティー。途切れることのないメランコリー。出世作『Alligator』以降のアルバムの恐ろしく高いクォリティー。以上を全部足したとしても全貌を表わすには程遠いのだが、説明できないからこそ惹かれるというのも事実だ。
グラミー受賞の前作から早くも届けられた新作『I Am Easy To Find』
それにしても、グラミー賞最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム賞に輝き、キャリア最高の全米チャート2位を獲得した傑作『Sleep Well Beast』(2017年)に勝るとも劣らないニュー・アルバムが、こんなにも早く届いたことには驚きを禁じ得ない。7枚目にあたる『Sleep Well Beast』が登場したのは2017年9月のことで、その後長期にわたるワールド・ツアーをこなした彼らは、しばらく休みを取るはずだった。
にもかかわらずここに確かに存在する8枚目『I Am Easy To Find』は、アクシデントだと言っても過言じゃない。なぜって口火を切ったのはメンバーではなく、前作がリリースされて間もない頃にコラボの可能性を打診してきた、ヴィジュアル・アーティスト兼映画監督のマイク・ミルズ。かねてからザ・ナショナルの大ファンだった彼は、ソニック・ユースのアルバム・ジャケットやエールのミュージック・ビデオで、インディー・ロック・ファンにはお馴染みの人だ。これに応じて、『Sleep Well Beast』に収録しきれなかった音源をごく軽い気持ちでマイクに送ったところ、彼はそれらをインスピレーション源に、1本のショート・フィルムの制作に取り掛かる。
その経過を見守っていたザ・ナショナルの面々もやがて逆にインスパイアされて、新たに曲作りをスタート。フィルムの要素が歌詞に反映されたりと、お互いに影響を与えながらそれぞれに作業を続ける。そしてバンドはツアーの合間に世界各地でレコーディングを行ない、マイクが共同プロデューサーかつクリエイティヴ・ディレクターとしてクレジットされたアルバムが、スピーディーに完成。
念のために言っておくとサウンドトラックでは決してなく、マイクのフィルムとタイトルを共有するだけの独立した作品なのだが、『I Am Easy To Find』はいろんな意味で従来のザ・ナショナルの作品と一線を画し、いままでになく肩の力の抜けたフレキシブルなアプローチがとられている。例えば、不動のラインナップを誇る彼らが、外部のクリエイターをここまで深く音楽作りに関与させたことはなかった。
しかも、一挙6人の女性シンガーをゲストに迎えて、一部の曲とはいえ、初めてマット以外の歌い手にリード・ヴォーカルを委ねた。これもマイクの影響だ。彼がモノクロで撮影したのはひとりの女性の生涯を描くフィルムであり、文字によるナレーションとザ・ナショナルの曲だけを伴って、本作のジャケットにも写るスウェーデン人女優のアリシア・ヴィキャンデルが、全年齢の主人公を特殊メイクも使わずに演じきっているのである。
ハーモニーとストリングスに彩られた、フレンドリーで軽やかな絶好の入門作
そこで、前作にバッキング・ヴォーカルを添えたリサ・ハニガンや、アーロンがプロデューサーとしてコラボしたことがあるシャロン・ヴァン・エッテン、デヴィッド・ボウイのバンドに長年在籍したゲイル・アン・ドロシーといった面々を起用。さらにクワイアの参加も得た。従って、かねてから厚く緻密なレイヤーリングを特徴とするバンドではあったが、ここにきて声のハーモニーが新たに重要なレイヤーを加えることになる。それはまた、対話調のヴォーカル・パフォーマンスを可能にし、〈ひとりの人物の人生と人間性は他者との関わりによって形作られるのだ〉と説いているかのような、今回の歌詞の趣にも合致しているというものだ。
思えば『Sleep Well Beast』では、彼にしては率直な表現で、崩壊する人間関係をつぶさに考察していたマット。相変わらずメランコリックであることに変わりはないのだが、前作を包んでいた不穏極まりないエレクトロニック・テクスチュアの霧も晴れて、言葉もサウンド・プロダクションもぐっと穏やかな印象を与えている。
そう、そのエレクトロニック・テクスチュアに代わって全編にフィーチャーされているのは、シンフォニックなストリングス。ほかにも、ちらちらと瞬くギター、遠い彼方で鳴っているピアノ、前作のそれとは趣を異にした控えめで柔らかなエレクトロニック・テクスチュア……と、全体的に重量感のない淡い色合いの素材で形成された本作は、終始宙を漂い続ける。こんなにも軽やかに音楽を奏でる彼らと対面するのは初めてだ。
こうした新機軸が、ザ・ナショナルをさらに多くのリスナーに近づけることになるのか否か、定かではない。彼らがこのまま光が差す場所に留まる保証があるわけでもない。が、タイトルに偽りはなく、〈僕を見つけることは難しくない〉といつになくフレンドリーに手招きしている本作は、このバンドを知るには絶好の機会を提供している。