シンガー・ソングライター、間慎太郎が紡ぐ〈究極のラヴソング〉。2020年にデビュー15周年を迎えた彼が久方ぶりにリリースするニュー・シングル“オッケー!”は、そう銘打たれている。曲を再生するとそこに見えてきたのは、いつものようにギターをかき鳴らしながらガムシャラに歌声を轟かせる姿ではなく、ちょっぴり落ち着いた装いで少しはにかんだ表情の彼。従来とガラリ異なる感触に戸惑いをおぼえたのもつかの間、エヴァーグリーンと称するのが相応しい色彩感豊かなサウンドを背に受け、味わいを増した歌は慈しみや寛容さを湛えている――そんな驚きのほうが上回った。一気にひと皮もふた皮も剥けてしまったな、なんて印象を抱いたのである。
クレジットを見ると、サウンド・プロデューサーの欄に瀬尾一三の名前があった。かぐや姫の“妹”(74年)やバンバンの“『いちご白書』をもう一度”(75年)、杏里の“オリビアを聴きながら”(78年)にCHAGE and ASKAの“ひとり咲き”(79年)といった時代を創った名曲たちのアレンジを手がけ、中島みゆき、吉田拓郎、長渕剛、徳永英明といった面々の作品作りを支えてきた、言わずと知れたレジェンド・ミュージシャンである。
作/編曲活動50周年イヤーとなった2020年にはみずからの音楽観や人生観を語った書籍「音楽と契約した男 瀬尾一三」を刊行して話題となったことも記憶に新しいが、そんな彼がもうじき40代を迎える間慎太郎に音楽の極意を伝授してみせる、というような興味深いシングルに仕上がっているのだ。今回の制作過程にはきっといろんなドラマが隠れているに違いない、と想像を膨らませながら、ふたりにインタビューを行った。まずは出会いのきっかけのお話から。
間慎太郎が書いた、瀬尾一三へのラブレター
――そもそものスタートは、慎太郎さんが瀬尾さんにお手紙を書いたことだったそうですね。
間慎太郎「そうなんです。昨年2月に瀬尾さんが出された本『音楽と契約した男 瀬尾一三』を読ませてもらって、いてもたってもいられなくなってしまって。筆ペンで丸一日かけて、失礼が無いように何回も直しながら手紙を書き上げました。中学生の頃から中島みゆきさんや長渕剛さんの音楽を聴いて育ったんですが、クレジットに〈編曲:瀬尾一三〉という名前をよく目にしていました。だから僕のDNAには瀬尾さんのサウンドが染み付いているんです。僕、今年40歳になるんですけど、その手前にこれまで作ってきた音楽を一度瀬尾さんに聴いていただきたいなという思いもありました」
――手紙には曲をアレンジないしはプロデュースしてほしい、という文言を添えたりもせずに?
間「ハイ、ただのラヴレターです」
――(笑)。それを受け取って瀬尾さんはどんなお気持ちになったんでしょうか?
瀬尾一三「申し訳ないんだけど、彼のことをぜんぜん存じ上げなくて、これは誰だ?って感じでしたよ(笑)。まったく知らない人からだし、何が書いてあるんだろう?っておそるおそる封を開けた。もしかしたらクレームかもしれないでしょ? そしたら中には熱い言葉が切々と綴られていた。それで一度会ってみることになったんだけど、そこでも手紙とおんなじ熱い想いを一所懸命に語ってくれるわけだよ(笑)。そんな感じだから、仕事をオファーされたときには、これはもうやるしかねえな、ってなってたね」
――(笑)。
瀬尾「まずは曲作りから始めたんだけども、メアドを交換した直後からどんどん曲が送られてきて。毎晩来るもんだから、もう彼の名前を見るだけでうんざりしてさ」
間「(笑)。7月から11月ぐらいまで5か月間ずっと曲を書いてましたから」
瀬尾「5か月間ずっとだよ(笑)。それに対して僕が、ああでもないこうでもないと注文を投げ返す。彼がゼロから作っているものにあれこれ注文を付けたくないんだけど、(一緒にやるからには)僕なりに考えた慎太郎くんの新しい色を出したいという気持ちがあって。やっぱり僕といっしょに仕事をしたいと言ってくれた以上、個性はそのままにしつつ少し違った面を見つけてあげないと。そういう思いからちょっと粘りすぎちゃった。慎太郎君は、どんな曲を書いても却下されるからどうしたらいいのか、って混乱したと思うよ」
間「でも最後の最後まで作り続けたんですよ。もうこれで最後、と言われたその夜にもまた新しいのを書いて送ったりして」
――今回にかける気迫が伝わってきますね。
瀬尾「そんななか、これを録音してみようという曲が生まれて。それが今回シングルに入った2曲」
間「カップリングの“足跡”は最後の最後に出来た曲ですね」
――やり取りの過程ではどんなサジェスチョンをしていたのですか?
瀬尾「彼のデモ・テープは弾き語りがメイン。で、僕の主義は、レコーディングでは(実際の)ミュージシャンを入れてやること。いまの時代ではなかなか難しいけどね。それをふまえてのサジェスチョンは、テンポとかキーとかをこういうふうにしたほうがいいよ、といった具合だね。だからデモとはだいぶ雰囲気が変わった。
僕としては慎太郎くんもある程度の年齢になっているし、壮年の男としての包容力とか寛容さが出るような曲を作ってほしかった。あと青年期の音楽にありがちな感情に流されているだけのものじゃなく、自分をちゃんと俯瞰で見られているような曲になってほしかった。自分のことって本人がいちばん解ってなかったりするし、客観的に見るってかなり難しいこと。でもそういった曲が彼から届いたからOKを出した。40代に入る頃って青年期が完全に終わるときで、熱だけではもう動けなくなったりするし、どうしたらいいのか迷うことも多い。そんなタイミングに僕が関わることで、彼が次の段階へと向かう手助けができるんじゃないかと思ったんです」