ローファイ・ヒップホップが人気ジャンルになる以前からローファイな温かいエレクトロニック・フォーク・サウンドを究め、心地よくノスタルジックなフォークトロニカを紡ぐ音楽家のビビオ。ここ日本でも多くのファンに愛される彼は、2019年に9作目のアルバム『Ribbons』を、2020年にEP『Sleep On The Wing』をリリース。その音は、コロナ禍を生きる寄る辺なき人々の心に寄り添っている。

今回彼から届けられたのは、セカンド・アルバム『Hand Cranked』(2006年)のリイシューだ。マッシュ(Mush)からリリースされた本作は、最低限の機材で制作されたというビビオの原点にして、いま聴いても胸を打たれるタイムレスでエヴァーグリーンな一枚。そんな『Hand Cranked』に初CD化の5曲を追加し、セルフ・ライナーノーツを封入した、紙ジャケット仕様のデラックス・エディションがワープ/BEATよりリリースされた。

このリイシューを機に改めて『Hand Cranked』からビビオの作家性を見つめ直すため、音楽評論家の高橋健太郎とトラックメイカー/プロデューサーのin the blue shirtによるクロス・レビューをお届けしよう。 *Mikiki編集部

BIBIO 『Hand Cranked (Deluxe Edition)』 Warp/BEAT(2020, 2021)

 

手回しのムジーク・メカニカルに見出したフォークロア
by 高橋健太郎

ビビオの『Hand Cranked』を初めて聴いたのはいつ頃だったろうか? 記憶は曖昧だ。ワープからのアルバム『Ambivalence Avenue』(2009年)より前に彼のことは知っていたから、2007〜2008年くらいかもしれないが、出会いがいつだったとしても抱く感想はあまり変わらなかっただろう。多くの人が同じことを言っているが、聴いたことがない音楽なのに、なぜか懐かしい。子供の頃の記憶が呼び覚まされたりする。それはビビオが過去に生み出してきた音楽すべてに言えることかもしれないが、『Hand Cranked』に聴けるオブスキュアなサウンドこそは、そのピークだったようにも思われる。

『Hand Cranked (Deluxe Edition)』収録曲“Dyfi”

時は2006年。ビビオは世代的にも人脈的にもエレクトロニカと近しかった。しかし、彼はシンセサイザーよりもアコースティック・ギターを操ったので、フォークトロニカと呼ばれたりもした。当たっているような、当たっていないような。あらためて考えてみると、彼の音楽の在り方を最もよく表わしていたのは、『Hand Cranked』というアルバム・タイトルだろう。〈手回し〉である。

電子的な音楽(エレクトロニカ)でもないし、アコースティックな生演奏の音楽(フォーク)でもない。〈手回し〉で動く音楽。そのプリミティヴなメカニカル性こそが、ビビオの音楽が持つ奇妙な懐かしさの源泉だったように思われる。

実際には、ビビオの音楽は〈手回し〉だった訳ではなく、『Hand Cranked』を埋め尽くす無数のギター・ループにはサンプラーが使われていただろう。だが、彼が最も愛情を注いだのは、テープ・レコーダーだった。古いカセット・レコーダーやオープン・リール・レコーダー。それらにあらかじめ録音したサウンドをコラージュする。テープは揺れて、ピッチは狂う。だが、その変調感こそがビビオのシグネイチャーになった。彼の音楽を耳にして、不思議な郷愁をくすぐられるのは、ワウ・フラッター、フェイジング、ディストーションなど、ハイファイ再生のためには本来は取り除かねばならない要素が、空間を染め上げているからだった。すべてが微妙にデフォルメされている。それが夢の中のような世界を感じさせるのかもしれない。

個人的な話をすると、僕の育った家にも古いテープ・レコーダーがあった。祖父の遺品で、アカイの第一号機だったいう。小学校高学年の頃には、父親が買ったテープ・レコーダーで遊んだ。時間を過去に巻き戻すことができる魔法の小箱。音楽の虜になっていったのも、ラジオから流れる音楽をテープ・レコーダーに録音するようになってからだった。まだカセットテープすらない時代の話だ。僕が書いた「ヘッドフォン・ガール」という小説も、そんな生家での体験が元になっている。だから、ビビオの感覚はよく分かるし、特別なシンパシーを感じるところもある。

『Hand Cranked (Deluxe Edition)』収録曲“Marram”

たぶん、テープ・レコーダーに象徴されるメカニカルなものに、彼はフォークロアを見出しているのだろう。自然とか、風土とか、民族とか、そうしたものだけがフォークロアを形作っているのではない。目の前で動く小さなメカニズムもまた、人間が作り出し、魂を吹き込んだものである。ビビオはそう信じているに違いない。

そして、自己流のアイデアで、それらを自在に組み合わせ、この世のどこにもない自分だけのオルゴールを生み出した。『Hand Cranked』はそういうビビオの試みを記録した記念碑的な作品に思われる。オートマチックではない。あくまで〈手回し〉のムジーク・メカニカル。その手触りは極めてプリミティヴだが、それゆえ、十数年経った今もインパクトを失わない。最新作の『Sleep On The Wing』(2020年)と聴き比べると、現在のビビオが獲得した手法的な洗練や音楽的な深みに驚かされることになるが、しかし、その底にある思想は変わっていないのが分かる。