ときをへてにじみだす手仕事のあたたかさ
『ハンド・クランクト』はスティーヴン・ウィルキンソンのソロ名義であるビビオの2作目で、2021年1月現在9作目を数えるディスコグラフィーでも最大の転機だったともうして、まずまちがいないであろう。なんとなれば、ビビオは本作で古巣の米国のマッシュから英国のワープに所属先をうつした。移籍にあたってはエディンバラの電子音楽デュオ、ボーズ・オブ・カナダのマーカス・イオンの口添えもあったというが、前作にあたる2005年のデビュー作『Fi』と『ハンド・クランクト』の2作をもって、ウィルキンソンの才能は同業者はじめシーンの注目を集めるほどになっていたということであろう。ときは2000年代なかば、世紀の変わり目に出現したエレクトロニカ勢はリスニング・タイプのテクノという出自そのものののりこえをはかっていた。むろん道のりは幾通りもあり、目的地もそれぞれだが、最初の一歩のふみだす先を、仮に実験性を高める方向と審美主義的な向きに大別するならウィルキンソンの選択肢は後者にあたる。というのもいささか乱暴だが、ビビオの卓抜たるメロディー・センスと絶妙なバランス感覚、音色の探求とそれらが身体にはたらきかけ喚起する郷愁と親密感はデビューからいまにいたるもゆらがない、いわば美質というほかないものが彼の音楽の底流をなしており、それらは既製品の効率的なゆたかさよりありあわせの手仕事のあたたかさに多くを負っていた。
BIBIO 『Hand Cranked (Deluxe Edition)』 Warp/BEAT(2020, 2021)
イングランド西部ウェスト・ミッドランズ在住のビビオはこのたびデラックス版となった『ハンド・クラックト』によせたセルフ・ライナーで録音当時の2003年から2005年をふりかえり、以下のようなことを述べている。当時つきあっていた彼女の実家の空き部屋になっていたベッドルームに数本のマイクと各種の録音機、手頃なサンプラーと手頃なギター数本と1台のiMacをもちこみ制作したのだ、と。そこでビビオは前作にあたる2005年のデビュー・アルバム『Fi』にも聴こえる方法論をさらにつきつめている。それすなわちサンプラーの荒削りな使い方であり、ループやサンプリングレイトから意図的に滑らかさをはぶくことで、音素材の肌理は粗くなり、リズムにも予想外のアクセントが生じてくる。機械的でありながらどこか有機的なこの手法をさしてウィルキンソンは〈hand crack=手回し〉と呼び、タイトルにも採用したこの字句はジャケットの意匠ともあいまって、退色した写真におぼえるのにも似たノスタルジーを呼びさます。
その印象を補強するのは音響の特性であり、簡素な使用機材が生み出す『ハンド・クランクト』のくぐもったロウファイなサウンドは、発表から15年のときを経た地点から眺めると、2000年代後半のインディー・ロックやシンセ・ポップ・リヴァイバルをさきがけていたのがわかる。次作以降、ワープ期のビビオは楽曲の書法と作品づくりの手法を洗練し、ロウファイな傾向は2010年代には『マインド・ボケ』でのヒップホップ的な手法や、『ア・ミネラル・ラブ』でのシティ・ポップさえ連想する記号性に収斂し、審美性が趣味性に勝ったかにみえたが、2019年の最新作『リボンズ』にいたるも、音楽と記憶をめぐるウィルキンソンの志向と思考はビビオの可能性の中心を担いつづけている。『ハンド・クランクト』は源流の間近にあってやがて多方向に分岐する流れをもっとも象徴する作品といえるであろう。“Marram”の回転数を落としたヒバリの鳴き声やティンホイッスルの音、逆回転のしゃくりあげるような音が耳をひく“Zoopraxiphone”や、ウィルキンソンの地元の渓谷のフィールド録音をもちいた“Ffwrnais”など、ロウファイなテクスチャーの影に隠れがちだった楽曲の細部にあらためて耳をやると、ビビオの多彩なアイデアが随所で多重露光のようににじみだしてくるのに気づかされる。このたびのデラックス盤にはファースト所収の“Cantaloup Carousel”の原曲ともいえそうな99年録音のヴァージョンはじめ、5曲の未発表曲を加えるとあってはその効果もひとしおである。
ビビオ (Bibio)
英ウェストミッドランズ在住のスティーヴン・ウィルキンソンによるソロ・ユニット/〈Warp〉所属プロデューサー。学生時代、エイフェックス・ツインやオウテカ、ボーズ・オブ・カナダなどに大きな影響を受ける。ボーズ・オブ・カナダのマーカス・イオンの紹介を経て、2004年にアルバム『Fi』でデビュー。アシッドでアンビエントな世界観が各誌で絶賛され、早くから注目と人気を集める。その後〈Warp〉に移籍し、これまでに7枚目のアルバムをリリース。またamazon、Googleといった世界的企業のCMに音楽を提供しており、2012年には、音楽を手がけた HONDAのCM「負けるもんか」がADCグランプリを受賞。