2018年2月に発表したミュージック・ビデオ“Tic”が国内のみならず、海外のリスナーからも支持を集め、一躍時のバンドとなった東京在住の4人組、No Buses。アークティック・モンキーズの同名曲から取られたバンド名が示唆するように、2000年代のロックンロール・リヴァイヴァルに触発されたガレージ・ロックのスタイルを追求する彼らであるが、昨年、ラッパーのBIMのアルバム『Boston Bag』収録曲“Non fiction”に客演。ギター/ヴォーカルの近藤大彗はCwondo名義でも“Good Days”のトラックをBIMと共作したのと同時期に、ファーストEP『Too Hard EP』からソロ活動を始動した。
DTMのプロダクションから生み出される楽曲は、ヒップホップやエレクトロニカ、ベース・ミュージック、ハイパーポップの要素が混在するフリーフォームなサウンドを紡ぎはじめ、今回リリースされたファースト・アルバム『Hernia』では、No Busesのバンド・サウンドから想像も付かない多面的な音楽世界を描き出している。心地よさと実験性、メランコリックな歌心が共存する作品から垣間見える彼のユニークな音楽観、その全貌とは果たして?

近藤大彗の今のモードを反映する場=Cwondo
――まず、ソロ・プロジェクトを立ち上げた経緯を教えていただけますか?
「ソロ・プロジェクトは、一昨年の秋ごろ、一人で作ったデモを上げはじめたことがきっかけになりました。僕はほぼ毎日曲を作っているんですけど、バンドの音楽は時間をかけて作るものというか、自分にとって、そこでの音楽制作は外に向いているというより、内に向いていて、メンバーの関係性をもとに作り込まれていくものであって、曲を完成させるのにどうしても時間がかかってしまう。だから、バンドではそのときのモードに左右されない普遍的な音楽をやっていきたいし、その一方で今のモードをダイレクトに反映させる場として、ソロでの活動も必要不可欠になってきたんです」
――バンドとソロで、元となる曲作りに大きな違いはありますか。
「どちらも宅録でデモを作るところから始めるんですけど、以前はバンドとソロの曲に大きな違いはなくて、曲調とかライブ感が出るかどうかでなんとなく区別していたんです。最近ではバンド用の曲は、メンバーがアイデアを加えられるように余白を意識して、より簡素になっているのに対して、そのまま一人で作り込んでいくのがソロの曲。そのルーツになっているのは、ブックスやアイアン&ワインですかね」
――Cwondoでは、近藤さんのヴォーカルにオートチューンをかけていたり、曲の劇的な展開の仕方はハイパーポップの影響もあるように思いました。
「まさに。ハイパーポップもすごい好きで、それこそ、100・ゲックスやケロ・ケロ・ボニート、(Tugboatで)レーベル・メイトのアナマナグチとか。キャッチーさという点では、ハイパーポップのレヴェルにまで持っていきたいとは思いつつ、あそこまでギラついたサウンドは自分の今の気分ではなかったりして。そこでバンドをやっている人間のDTMの感覚が作品に反映されているというか、自分がDTMで作る音はやっぱりどこかバンドっぽいんですよね」
――昨年、BIMくんのアルバム『Boston Bag』で共作した“Good Days”はヒップホップ然としたトラックでしたけど、今回の作品における曲作りは、アップテンポなリズム・アプローチがバンドマンらしい1曲目の“Twwen”をはじめ、また別のモードですよね。
「BIMくんとの曲作りは、バンド以外の場で人と曲を作るのが初めてで、さらにジャンルも全然違うので、“Good Days”の制作ではヒップホップというフォーマットを強く意識したことがトラックにも表れているのに対して、自分の作品はリズムやローファイ感にバンドのバックグラウンドがナチュラルに反映されている気がします」
――今回のアルバム『Hernia』でもアルバム前半は低音が強調されていないですもんね。
「確かにそうですね。低い音は聴くぶんには好きなんですけど、自分の音楽ではそこまで強く出ていなくていいというか、アルバム後半の曲は低音が出ている曲がまとまっているんですけど、そもそも、方向性を限定せず、自由に曲を作りたいから、ソロをやっていたりもするので、作品全体のバランスを考えて音響面でメリハリをつけたり、低音に意識が向かないような曲作りを試してみたり。そうやって作った曲のストックから7曲を選んで今回のアルバムにまとめていったんですよ」
――作品のテーマはそのときのムードに左右される?
「そうですね。僕は極端に心配性というか、気持ちの浮き沈みが激しかったりして、特に沈んでいたときに作ったのが去年8月に出した最初の『Too Hard EP』。そこからじわじわ戻ってきて、他者に意識が向いたのが10月の『Visiting Grandma EP』。今回は自分がヘルニア持ちなので、自分らしいアルバム・タイトルにするべく『Hernia』にしたんですけど(笑)、後付けでヘルニアの語源を調べてみたら、〈脱出〉などの意味があることを知って、今の時代を考えるとポジティヴな言葉なのかなって。ヘルニアの痛そうなイメージを考えると、制作に苦しんだアルバムだと思われるかもしれませんけど、制作自体はいいテンションだったというか、スムーズに調子良く進行できた作品ですね(笑)」
声は楽器
――方向性を限定せず、自由に曲作りをしていらっしゃるということなので、曲ごとに解説をお願いしたんですが、1曲目“Twwen”のアップテンポなリズムは、エイフェックス・ツインに象徴されるブレイクコア的なアプローチであるようにも思いました。
「ああ、確かに。この曲とか4曲目の“Sorry”は、自分でもエイフェックス・ツインっぽいところがあるような気がします。曲作りはリズムから取り掛かるのか、メロディーから取り掛かるのか、曲によって違っていて、完成した曲には入っていないんですけど、この曲はもともとギターの弾き語りで作ったんです。その歌メロがすごい気に入っていたので、そのノスタルジックな響きに寄り添うストリングスっぽい奥行きのあるシンセの音を選んだり、ビートを当てはめていきました」
――近藤さんはロックンロール・バンドのヴォーカリストでもあるわけで、この曲をはじめ、Cwondoではオートチューンを多用しているのが意外な気がしました。
「最近は録音を重ねてきたこともあり慣れてはきたんですけど、元来自分の声を好きじゃないというところから来ているんだと思います。あと、No Busesでもそうなんですけど、声を声として捉えているというより、楽器のひとつとして考えていて、その声が担うメロディーの滑らかさを損なわないように歌詞も書いているところはどの曲にも共通する部分ですね」
――言葉の音声的な響きを意識しつつ、歌詞にはコロナ下の心境が綴られています。
「周りの友人にはまだ大学に通っている人たちもいて、(彼らにとっては)学生生活最後の年なのに、学校にも行けないし、卒業式もあるのかないのか。本来だったら充実した日々を過ごしていたはずなのに、それがなかったことになってしまうのがむなしいというか、多くの人がそういう状況に対して抱く、何できないむなしさやもやもやした気持ちを書き綴りました」
――続く、3曲目“Garbage”のリズム・パターンは2ステップ?
「ですね。この曲はリズムから作っていったんですけど、2ステップのビートに加えて、ラリ・プナに象徴される2000年くらいのエレクトロニカの雰囲気もあると思います。そこに乗る歌メロと途中で出てくるギター・ソロが気に入っているんですけど、No Busesのメロディーはバンドの雰囲気を保つための軸を意識しているのに対して、ソロのときはその軸がなくて、自分でもフレキシブルな拡がりを感じるんですよ。歌詞は余計なことを考えているとき、頭の中にあるものをつらつら書いていて、それを〈Garbage〉と呼んでいるという」
――4曲目の“Sorry”も1曲目の“Twwen”同様、ご自身でもエイフェックス・ツインの影響を感じる曲ということですが、どのように作っていった曲なんですか?
「エイフェックス・ツインっぽくしようと意識して作ったわけではなく、メロディーに合うリズムを当てはめていった感じで、一度完成したものの、納得がいかなくて。当初は『Too Hard EP』に収録を考えていたんですけど、それを見送って最初から作り直した曲です。歌詞は“Garbage”の内容をそのまま引きずっていて、主観的に書いた“Garbage”に対して、“Sorry”はいろんな人の視点から多角的に書きました」
気分が変われば、作る音楽も変わる
――5曲目の“Harder”以降はぐっと低音が前に出て、Cwondo流のダンス・トラックと形容できそうなベース・ミュージックですね。
「この曲は1年半前に作っていた曲で、当時のNo Busesのモードには合わないと思って、作りかけのままだったんですけど、ソロでも作品制作をしてみようと思って、かなり早い段階で完成させました。確かにこのアルバムではダンス・ミュージック色がいちばん強い曲ですよね。かつて自分は、ダンス・ミュージックに対してのっぺりした無機質な音楽という印象を持っていたんですけど、先日、BIMくんのライブでお会いしたSTUTSさんがYouTubeにアップしていたNYでのストリート・ライブの映像を観たとき、サンプラーを叩いて、ギターやドラムと同じような躍動感のあるグルーヴを生み出しているところがおもしろかったんです。
DTMやMIDIを用いて作った曲は、あまりに整えてしまうと、その整然とした部分に耳がいってしまうというか、そういう意味で僕は丁寧なだけの音楽が好きではなかったりするので、Cwondoの曲では揺れを持たせているんです。その揺れが自分にとって心地よかったりするし、No Busesと共通するグルーヴの考え方だと思いますね」
――6曲目の“Kochi”というのは〈高知〉のことですか?
「そう思いますよね。でも、そうではなく〈東風〉――春の季語でもある東から吹いてくる風のことなんですよ。曲が出来たとき、春っぽいなと思ってタイトルを付けました。楽器的なメロディーをなにより大切に考えていた曲だったので、その歌詞も言葉の響きを優先させていて、深い意味はないんです。それは続く7曲目の“Ginger”も同じ。この2曲は歌を楽器のひとつとして聴いて欲しいですね」
――“Kochi”はフォーキーでただただ心地良い曲であるのに対して、“Ginger”はトラップのリズム・パターンがドリルンベースに変化していく曲ですね。
「そうですね。サウンドの心地良さにフォーカスした曲は今まで作ってこなかったというか、、No Busesがやってるガレージ・ロックは落ち着くような音楽ではないですからね。だから、“Kochi”では耳触りのいいメロディーメイクを意識しましたし、“Ginger”はリズムこそ激しいんですけど、後半のギター・ソロがとにかく気に入っていて、ソロを聴いてもらえたらうれしいです」
――バンドというフォーマットから解き放たれた自由な音楽の作り方を多角的に形にした作品であると思うんですけど、同時代のアーティストで近藤さんがシンパシーを寄せるアーティスト、バンドはいらっしゃいますか?
「シンパシーというか形態の近い現行のアーティストなどで言うと、ヴィーガン(Vegyn)やヤング・リーン、ドミニク・ファイクなどが好きで聴いています。僕も今回はビートやシンセサイザーをフィーチャーした作品を作りましたけど、気分が変われば、ギターと歌だけで作品を作ることもあるかもしれませんし、そのときどきでバランスを取りながら、自分のなかにあるいろんな側面が出せたらいいなって思います」
