ビギナー揃いを公言しているわがMikikiネット音楽部、過去2回はイントロということで、私たちのいまさらな初心者ぶりを恥ずかしげもなく露わにしてみましたが、今回からネット音楽について詳しい人から話に訊いてみることにしました! まず最初は、インターネット界隈から登場したアーティストのなかで、いまもっとも活躍していると言っても過言ではないtofubeats氏を鎌倉まで追いかけて直撃。インターネット育ちだからこそと言うべきか、知らなかったよ……そんなこと……というお話が満載でした。もしかしたら知らないほうがおかしいことなのかも(泣)と思ったりしたけど、まあいいか!
――すでにさまざまなインタヴューで話していらっしゃると思いますが、改めてtofubeatsさんが自身でトラックを作るようになった経緯を教えていただけますか?
「中学の頃、親にベースを買ってもらって。本当はバンドを組みたかったんですけど、同級生たちはすでに他でバンドを組んでいたのでできなくて、1週間くらいで友達にそのベースをあげちゃったんです」
――あげちゃったんですか(笑)。
「親からも〈何やってんだ〉と叱られて。でも中一の時に日本語ラップにハマって、1年ほどいろいろ聴いていくなかパソコンで調べていたら、ヒップホップは一人でも作れるらしいということを知ったわけです。これなら僕一人でできるからと、また親に2万円くらいのサンプラーを買ってほしいとお願いしたところ、ダメだと。そこで買ってくれ、いや無理だと押し問答になりまして、じゃあ英検準2級に受かったらいいよと言われたんですよね。で、一生懸命勉強して合格して、中2の時にやっと買ってもらえました」
――そこからすぐにトラックを作りはじめて、ネット上に自分の曲をアップするようになるんですか?
「そうですね。その頃にはすでに一般の人が自分で作っている曲を公開している掲示板を見ていたので、そのコミュニティーに入っていった感じです。その頃チェックしていたのは2ちゃんねるとか、ザ掲示板、muzieやNEXTMUSIC(共に無料音楽配信/コミュニティー・サイト)ですかね。その頃僕と同じ掲示板のスレッドにいて、いま活躍しているのはSeihoやEccy、あとらっぷびともそうですね。らっぷびとなんて、彼が前の前の名前の頃から同じ掲示板にいました」
――なんと! そのスレッドはダイヤモンドの原石揃いですね!
「Seihoさんは昔、TM Seihoって名前でやっていて、最初にSeihoさんと会った時はお互いに顔と名前がまったく結び付かなくて。そういうのは結構ありましたけど(笑)」
――そうか、バンドやろうとかではないから、直接顔を合わせることもないですもんね、掲示板時代は(笑)。
「そうですね。僕が初めてMaltineと関わったのは中3の頃なんですけど、実際にtomadと初めて会ったのは高校3年の時に出演した2008年の〈WIRE〉の現場でしたし」
――知り合ってから3年も会ってなかったんですか!? なんともネット界隈らしい、〈ならでは〉な展開ですね。
「いまMOGRAでPAをやっているミズベくんっていう、いまnotuvという名前で音楽をやっている人は、いまだにちゃんと喋ったことはないんですけど、中学の頃のトラックメイクの師匠と言ってもいいくらい、MSNメッセンジャーで毎日作り方を教えてもらったりしてました。あと、そんな感じでまだまともに会ったことないけど中高生の頃からずっと同じ掲示板にいた人で、頭角を現していてびっくりしたのが北海道のJazadocument(北海道を拠点に活動するクルー・REFUGEE CAMPに所属し、今年6月にDJ BEERTとのコラボ作『THE DOCUMENTARY』を発表したトラックメイカー)!」
――へぇ~!
「まあでも、同じ掲示板にいた人たちと実際に顔を合わせるようになったのはほぼ同時期で、東京でMaltineがイヴェントをやるようになって、僕がそこへ行くようになってからなんですよ。Seihoさんと初めて会ったのはMOGRAですし」