ユーミンが呉田軽穂をメインに活動していたら好敵手だったかもしれないね

――今シティ・ポップ視点で評価されている人たちって自作自演のいわゆるニューミュージック系アーティストが多くて、その当人にしかスポットが当たらない中で、作家としてスポットが当たる林さんのパターンは唯一なのかなとも思います。

「例えばユーミンをはじめとして何か新しい音楽をやりたいっていうアーティストがいた中で、たまたま僕は職業作家としての道を選んだということではあると思いますけどね。そういう意味でいうと、ユーミンが呉田軽穂という作家の方をメインに活動していたらけっこう好敵手になったのかもしれないなって今は思いますね」

――あとシティ・ポップとして取り上げられる曲って、〈当時は見向きもされなかった曲〉という側面が少なからずあって、若者を中心にしたブームというより、当時その曲の存在を知るに至らなかったリアルタイム世代が盛り上がっているという一面もあるんですよね。

「それが不思議ですよね」

――そう考えると“真夜中のドア”ってやっぱり異質で、当時もヒットした曲なんですよね。だから“真夜中のドア”に限ってはリバイバルと言ってもいいのかな、他はリバイバルじゃなく新発掘だよなって思ったりもして。

「DJの世界のことはよくわからないですけど、この曲をかけてくれていたDJにはリアルタイム世代の人もきっといますよね。そしてあらゆる年齢層がいるクラブでこの曲を耳にして、いわば年長者が盛り上がっているのを若い世代が目の当たりにすることで、〈なんだこの曲は〉みたいなことが起こって、世代を超えるような現象が起こるのかな。

YouTubeについてもアルゴリズムの先にNight TempoやRainychみたいなインフルエンサーがいれば、もう最初がなんだったんだかわからないくらいに分析の範疇を超えちゃうと思いますし」

Night Tempoの2021年作『松原みき – Night Tempo presents ザ・昭和グルーヴ』収録曲“真夜中のドア~stay with me (Night Tempo Showa Groove Mix)”

 

サウンドが海外から評価されたのは音楽家としてこの上ない喜び

――あと個人的に思うのが、当時は歌とメロディーが評価対象だった反面、今回のブームはバックの演奏への評価という側面もあるような気がしていて。

「今の日本のJ-Popやアニメも海外で一定の評価を受けているとは思うんですけど、ことシティ・ポップということで言うと、当時僕らがお手本にしていた、世界的に影響を与えたアメリカの音楽にいかずに、なぜ過去の日本の音楽なのか。そこはやはりしっくりこないところではあります(笑)」

――引き算してみると、そこに〈日本的な何か〉があるんでしょうね。

「“真夜中のドア”のレコーディングでアシスタント・エンジニアだった益本(憲之)さんが、その後LAに活動の場を移されたんですが、彼によれば〈アメリカ人と日本人が作るメロディーは近い部分もあるんだけど、ちょっとしたメロディー運びが日本人の方が繊細で、そっちを好むアメリカ人は確かにいる。結局のところ日本人って器用なんだよね〉って80年代の時点で言ってましたからね。かつて電化製品にしてもアメリカやイギリスに追いつけ追い越せで技術を真似していた時代を経て、日本はその後追い越しちゃうじゃないですか。なので、技術を転がして進化させて、新しいものを生み出すことに長けた民族だっていうことと通じる部分はあるのかもしれないですね。

あとは80年代後半以降、ラップ・ミュージックがストリートから出てきて世界の音楽を席巻していきますよね。そこでメロディーがおざなりにされて、音楽がパーツになっていくんですよ。いろんな要素がひとつに編成された〈楽曲〉としてではなく、パーツを組み合わせた集合体というか。その流れってすぐに廃れるかなって僕は思ってたんですけど、今もってその流れは続いている。だからそのアンチテーゼとして、(アメリカから見た)海外の音楽が入る余地があった。そこにシティ・ポップがうまくハマるのかもしれないなと。

海外の人が日本語で歌われている音楽を聴くのって、僕らが英語の曲を聴く感覚とイコールなわけだから、言葉や詞の響きも含めてトータルのサウンドとしてとらえているはずで、さっき話に出た〈演奏を聴いている〉ということとニアリーイコールで直結するんだと思いますね。なのでサウンド全体で評価されて、しかもそれが海外からの評価ということならば、音楽家としてはこの上ない喜びですよ。〈理解してもらえた〉っていうね。そういう意味では80年代当時以上に、作品そのものにスポットが当たっている気がします」

――Rainychが菊池桃子の“BLIND CURVE”というアルバム曲をカバーしていることも、その証左なのかもしれないですね。

「要因は複合的で縦糸と横糸が絡まってる状態。その中でたまたまシンボライズされた曲が“真夜中のドア”だっただけで、もしかしたら他の曲でも良かったのかもしれないしね。僕の経験上、ヒットする構造ってある一定のところを超えるともう理屈じゃないんですよ。隣の人が聴いてるから自分も聴かなきゃっていう状態までいくともう油紙に火がついた状況になってるってことなので」