鷺巣詩郎が編曲を担い、六川正彦(ベース)、中西康晴(キーボード)、土屋潔(ギター)、長谷部徹(ドラムス)、数原晋(トランペット)、ジェイク・コンセプション(アルトサックス)といった豪華なプレイヤーが参加した、松原みきのラストアルバム『WINK』(88年)。同時代のUKのサウンドなどに共振した本作だが、オリジナルLPは長らく入手困難だった。そんななか、2022年4月23日(土)の〈RECORD STORE DAY 2022〉に、TOWER RECORDS LABEL/TOWER VINYLから本作のアナログ盤がリイシューされる。これを記念して、今回は特別に鷺巣詩郎によるセルフライナーノーツをお届けする。 *Mikiki編集部

松原みき 『WINK(RECORD STORE DAY対象商品/初回限定生産盤)』 TOWER RECORDS LABEL/TOWER VINYL(2022)

 

ミュージシャン・シップ=母船

 彼女がスタジオで大粒の涙を流したのを見たのは……もう38年前のことだ。

 (まだ無かった言葉だが)ハラスメントとかが原因ではなく、単に「音楽上の衝突」。まぁそんなのスタジオでは古今東西めずらしくも何ともない。逆に、アーティストの主張が何かとぶつかること無しに楽曲制作が進むことのほうが少なかろう。鷺巣と衝突したのではないが、幸か不幸かアレンジャーは中立ならぬ、どちらの主張も受け入れなくてはならないツラい立場だ。今ここに書きたいのは、涙の理由ではなく、色々あったからこそ信頼が深まり、その後このアルバム『WiNK』の全曲を託されたという経過説明である。

 初対面はその1年前の1983年、市ヶ谷のキャニオン会議室。渡辺有三プロデューサーが「(アイドルと違って)彼女はちゃんと打ち合わせに参加します」とニコニコしながら紹介してくれた。同時期ちょうど有三さんと掘ちえみの仕事をやってたからそう言ったのだろう。みきちゃんは〈Sweet サレンダー〉についていくつかの要望を鷺巣に明確に伝えた。彼女にとって11枚目のシングルであり、鷺巣より年下でも松原みきはすでにキャリア・ハイのキャニオン大看板だった。

 「思い切って、全編打ち込みにしても良いですか?」と問うたら、あの独特な声で「どんどん冒険してください!」と即答してくれた。話し声と歌い声がまったく同じシンガー、まったく違うシンガー両極端がいるが、前者の魅力の集大成が松原みきなのだと、目の前の地声から痛感した。やはりシンガーと至近距離で話すと、その音楽性までもが見えるものだ。打ち合わせどおり〈Sweet サレンダー〉は当時としては異色の制作風景となった。キャニオンの広いスタジオにミュージシャンは誰一人おらず鷺巣とエンジニアの益本憲之だけ。そして二人の間には鍵盤シンセのオーバーハイムOB-X、それにDMXとDSXという青い箱二個だけ。今じゃ自宅のパソコンでも出来る作業だが、39年前は高価な大スタジオで未知の機材相手に悪戦苦闘するしかなかった。

 その後『WiNK』までの5年間、何度か彼女と共にスタジオには入ったが、前述のとおり中断したり、お蔵入りになったセッションもあったので『WiNK』打ち合わせ席上、みきちゃんの第一声「ビクター移籍1枚目のアルバムは、どうしても鷺巣さんとまた一緒にやりたくて…」に、こちらとしても意気込まざるをえなかった。そう、シンガー・アーティストは第一にモチベーターでなくてはならない。続けて「固定メンバーでやりたい。だから我がチームという『US』をアルバムタイトルにしたい」とまで踏み込んだ。その鼻息に「みきちゃん、全然変わらないな」と安心したし「スタジオ・ミュージシャンってリハーサルしないでしょ? だけど今回はリハスタ押さえて、私も歌って皆で是非リハもやりたい!」とまで言ってのけたので、アッパレと感心した。

 矢継ぎ早にみきちゃんが「まずベーシストはお気に入りの六ちゃん(六川正彦) で」と提案する。ならばこちらも「じゃ鍵盤は、六ちゃんとも仲が良い鷺巣お気に入りの中西康晴にしない?」と返す。で、もうその場からミュージシャン達に直接電話をかけまくる。バンマスに据えられた六ちゃんが選んだギタリストは土屋 潔、最重要の相方ドラマーは「若い奴と組みたい」とのことで鷺巣が長谷部 徹を紹介して即刻メンバーが固まった。で、本当にリハスタを借りてアマバンドのように4名のリズム隊+みきちゃんが一緒に、特訓じみたリハを2回やった。驚いたのは、みきちゃん本人はともかくバンド全員かなり大マジで、1回目で主張をぶつけあい2回目のリハで協調していく形になった。リハ中「UsとAssは…」みたいなミュージシャン得意の無駄話から「タイトル変えるわ」となったり硬軟共に松原組は束ねられ、レコーディング前すでに満足気な彼女の笑顔に安堵し、数年前の涙のことなどいつの間にか忘れていた。

 みきちゃん肝いりのBV(バッキング・ヴォーカリスト)隊もまた「ファミリーによる統一感」を際立たせたし、打ち込みとホーン隊は「鷺巣さんにまかせるわ」との彼女の言葉の裏に「とにかくトータル・コンセプト!」の信念が透けて見えたので、心して取り掛かった。すべて彼女が描いた輪郭のままプロダクションは進み、まさにクレジットどおりプロデューサーとしても辣腕をふるった松原みきの……残念ながら最初で最期の一枚になってしまったが。

 曲ごとに作家が違うので、一貫した「音楽的な遊び」も意図的にやりたい……イントロで既視感=既聴感(BS&T、ボズ・スキャッグス、スウィング・アウト・シスター、ザ・ヤング・ラスカルズを連想させる)を提示したりするのは、もう制作開始前からみきちゃんとスタッフ皆でアイデアを出し合ったりしていた。彼女の作詞作曲〈Sorry〉でのレイドバック遊び感覚はお見事! とくにワンコーラス目にブルーノートでターンバックする声と節回しに「松原みき」ワン・アンド・オンリーの魅力が凝縮しているし、今なお海外でも人気が高いのが良くわかる。B面になると「いかにもリハを重ねた」バンドらしい完成度がジワジワとにじみ出てくるのも微笑ましい。一朝一夕でもアドヴァンテージはあったのだから、みきちゃんの提案は大正解だったわけだ。