異端なメンバーのオルタナな志向性

――清志郎さんの曲作りだけじゃなく、他のメンバーにもそういう要素を感じていたということですか。

「チャボさん(仲井戸麗市)のギター・プレイにも大きく関連していると思いますし、当時、ファースト・コール・セッション・ドラマーだった新井田(耕造)さんと、藝大に通って音楽理論を勉強して、エレクトリック・ベースからアップライト、フレットレスまで、弓もピックもなんでも弾けるリンコさん(小林和生)のコンビネーションによる強靭なリズム隊の存在もあったと思います。

あとはやっぱり、この時期は小川銀次さんのフリーキーなスケールのギター。一瞬、スケールから外れているようなフレーズを使うんですよ。僕がクロスウインドを初めて観たとき、フュージョンというにはあまりにも異端で自由なバンドだなと思いました。

そして決定的だったのはgee2woさんの参加でした」

※編集部注 RCサクセションと並行して小川銀次が参加していたプログレッシヴ・ロック・バンド。76~84年に活動

――gee2woさんはもともとジャズから来た人ですよね。

「gee2woさんはキャリアのスタートはジャズ・ミュージシャンで、それから世界中のあらゆる音楽を吸収して、RCに参加した時は当時のイギリスのインディペンデント・レーベルの新しい音楽を意欲的に取り入れていたので、日本のインテリジェンスではカテゴライズできない、どこにもはまらないバンドになったのだと思います。それでいて、とてもポップでした。

時代が70年代から80年代へ移り、作られたポップから自分たちで作るポップへ変化した季節で、RCはみんなでいろんな音楽を持ち寄って作っていったバンドだったので、鳴らしている音が僕たちの日常にとてもフィットしていました」

『RHAPSODY NAKED Deluxe Edition』限定盤のLPサイズ・ブックレット。限定盤にのみ高橋Rock Me Babyによるgee2woへのインタビューが掲載されている

――いろんな音楽を持ち寄って作っていてもバラバラな印象にならないのは、やはり忌野清志郎の圧倒的なヴォーカルがあったからでしょうか。

「そうだと思います。僕が言うまでもありませんが、清志郎さんのヴォーカルには様々なテクニックが入っています。だから、多種多様の声で多面的な歌い方ができる。

『RHAPSODY NAKED Deluxe Edition』収録曲“ラプソディー”

そして何よりそれまでの日本のロック音楽にはなかった〈日本語の言葉のリズム〉が特徴的でした。70年代の日本のロックは洋楽ロックの強い影響下にありました。特にヴォーカルにはそれが顕著に表れていて、英語で歌う、または日本語を英語のようなリズムで歌い、歌詞も日本語と英語を混ぜたものが主流でした。ポップスのフィールドでは日本語の響きを持った新しい音楽が出てきていましたが、ロックの分野ではヴォーカルとソングライティングがまだまだ発展途上でした。

今回の作品で金子マリさんがゲストで参加されている曲を聴くとその対比がよくわかります。金子マリさんのヴォ―カルは声が出た瞬間のインパクトが突き抜けていて、〈凄い!〉とか〈圧倒!〉というのはこういうことを言うのだと思いました。英語のような語感でたたみかけてくる金子マリさんの凄いヴォーカルに対して、清志郎さんは日本語の響きやリズムで歌っている。しかも僕たちが日常的に使う言葉で。

『RHAPSODY NAKED Deluxe Edition』収録曲“まりんブルース”。金子マリが参加

清志郎さんのヴォーカルは60年代のロックやソウル・ミュージックにルーツを持ちながら、それまでの〈凄い!〉という概念をひっくり返す、パワーやインパクトで押しまくるスタイルとは異なる、チャーミングでポップで文学的な全く新しいスタイルでした。どこかで聴いたことがあるけど、どこにもなかったヴォーカルとソングライティングにとても親近感を感じました」

――“よォーこそ”や“エネルギー Oh エネルギー”は久保講堂公演の前からやっていたそうですけど、それを初めて観たときにそれまで観てきたRCとはガラッと印象が変わったわけですか。

「79年に小川銀次さんとgee2woさんが入って、1つのバンドになりました。特に小川銀次さんに関しては、〈ストーンズにヴァン・ヘイレンが入ったみたいで、それがよくなかった〉というような感想を聞いたことがありますが、僕たち10代の新しい音楽を探しているリスナーたちには〈ストーンズにヴァン・ヘイレンが入ったようなサウンド〉がとても新鮮で最高でした。

RCのスタイルが確立して、何よりポップになった! 春日さんがいたときは、重厚で精度が高いロック・バンドだったので、大人の論客たちが好きなものでしたが、僕たち10代にはまだ敷居が高かった。それが6人編成になったらいきなりチャーミングなサウンドになり、驚きました(笑)。いまでいうオルタナティヴになりました。

清志郎さんのヴォーカルも含めて、ロックというにはビート的なものではなく、ソウルやブルースというにはあまり黒っぽくないなと。だから日本人としてのオリジナリティーを持った音楽だったのだと思います。

しかもバンドのモデル・ケースは70年代のギラギラしている時のストーンズ。最高のアイデアだと思いました。ロックやバンドはこうじゃなくちゃいけないというのをぶち壊したはじめてのバンドでした」

『RHAPSODY NAKED Deluxe Edition』限定盤

――リンコさんは3人編成のアコースティック時代(68~77年)からのメンバーなわけですが、エレクトリック・ベースを弾くようになりました。この時期のRCにおいてリンコさんのプレイはどんな役割を担っていたと思いますか。

「その当時は知らなかったんですけど、gee2woさんに最近聞いた話だと、リンコさんはドナルド・フェイゲンとかスティーリー・ダンが好きで、ああいう音楽をやりたいって言っていたそうです。

スタイルの違いはあっても、メンバーは相当色んな音楽を聴いていたと思います。あの頃のバンド・サウンドを考えると、吸収率が半端じゃなかったと思います」

――1人1人のプレイヤーが色んな音楽を持ち寄ったオルタナティヴ・バンドがRCサクセションということですか。

「たぶん、1つの音楽が好きで集まっていたバンドじゃなかったと思います。じゃあ、中心が何で集まっているのかっていうと、清志郎さんのヴォーカルだと思います」

『RHAPSODY NAKED Deluxe Edition』限定盤。LPのジャケットは3面見開き仕様

――久保講堂のライブで、歌以外のステージングで清志郎さんはまだロックスターになりきってないというか、MCをがんばって喋っている感じがします。それまでのライブってどうだったんですか?

「それまで、屋根裏とかのライブは自由自在にやってました。ただ、久保講堂のライブは最初からレコーディングする前提だったので、マルチ・テープを回せる限界があって、時間どおりに収めないといけなかった。それはたぶん、強く言われてたと思います。だから、普通のコンサートより短いMCでした」

※編集部注 75年にオープンした東京・渋谷のライブハウス。RCサクセションが77年以降、活動の拠点にしていた。RCは80年1月に4日間連続の公演を行い、記録的な動員数が話題に

――いつもはもっと長かった?

「“スローバラード”の前なんてめちゃくちゃ長かったですよ(笑)。〈今日朝起きたら俺は眠かった〉みたいな話で笑いを取ってからだんだん物語になっていって、最後に〈みんなに聞きたいことがあるんだ。愛しあってるかい?〉ってなるんです」