Page 2 / 6 1ページ目から読む

ceroらとの出会いが気付かせた、日本の音楽としてのHALFBY

――急激な方向転換の背景は?

「もちろん大きなきっかけとしては、自分のハワイへの初渡航があるんですが、音楽家としても制作に行き詰まっていて、音楽との距離が決定的に離れていた時期があったんです。DJも全然楽しくなかったし、〈もう音楽辞めます!〉みたいなときってこういうタイミングなのかなーと思っていました。

そんななかで、ceroやVIDEOTAPEMUSICくんのライブを京都で観る機会があって、そこで新しい世代の音楽の始まりを告げられたというか、自分のなかに初期衝動のようなピュアな高揚感を覚えて。HALFBYの音楽とは一見似てない彼らの音楽のなかに、いままで自分が聴いてきた音楽の欠片が見えたことに刺激を受けたんです。HALFBYでめざしたものとは別の音楽ながら、あらためて好きな音楽と向き合うようなデジャヴ的な感覚もあって、新しい制作モードが芽生えてきた」

――新しい世代の日本のインディーに感化されたと。

「僕は邦楽と括られるような音楽からは、ほとんど影響を受けたことがないんです。例えばいままた盛り上がってる〈シティポップ〉というワードに付随するイメージだと、山下達郎さんや細野晴臣さんって日本の音楽史的には絶対に避けて通れない存在だと思うんだけど、捻くれた性格のせいか、僕は奇跡的にそういうのをすべて避けてきていて。はっぴいえんどや大瀧詠一さんとかも、謎にアルバムは持っていても、しっかり聴いてこなかったんですよ。〈だからHALFBYはダメなのか〉って言われそうですが、良くも悪くもずっと王道から外れてきたんです。 

加えて、20代の頃に働いていたZESTというレコードショップでは、セレクトの観点からほとんど邦楽を扱えなかったし、そのなかで育った天邪鬼だという自覚もあって。その一方で(ZESTには)渋谷系は絶対正義という価値観が根付いていたから、そこに大きく影響を受けてはいるんですけど」

――なるほど。HALFBYのキャリアを10年ごとに分けると、最初の10年は洋楽インディーのリスナーから支持されて、後半の10年は日本のインディーのリスナーに愛されてきた、といえるのかもしれません。

「『INNN HAWAII』(2015年)以降のHALFBYの音楽が、ceroやVIDEOくんを好きなリスナーからもなんとなく受け入れられている理由は、僕の音楽にも日本経由のいわゆる〈シティポップ〉や〈エキゾ〉なんかの要素を内包しているからなのでは、と感じています。それはceroやVIDEOくんから逆輸入的に受けた影響だと思う」

――うんうん。

「といいながら、自分のヒーローはCorneliusこと小山田圭吾氏なんですよね。彼を取り巻く渋谷系のすべてが僕の青春であって、20年間の活動の基盤となっていることは間違いないんです」

――話を戻すと、ceroやVIDEOTAPEMUSICの音楽から受けた興奮が『INNN HAWAII』に繋がったということでしょうか?

「同時にDorianの『midori』(2013年)やYettiの『Farmer Gone To Heaven』(2012年)もよく聴いていたので、その2枚からも大きく影響を受けたんですが、それらの興奮が『INNN HAWAII』ではクロスオーバーしたと思っています。

そして、その余韻かどうかはわからないんですが、音楽との接し方も変わってきて。例えばダンスミュージックの12インチをまったく買わなくなったし、DJ的なレコードの聴き方をあまりしなくなった。自分も歳をとったし、身近にいる人たちも同じように歳をとったことも大きく関係していて、HALFBYの音楽性は大きく変わりました。実際、HALFBYを始めたときから思ってたんですよ。クールな音楽や暗い音楽は歳を取ってからやればいいなって」

――つまり、年相応の表現になっていったと。あと音楽家としての大きな変化として、高橋さんは『INNN HAWAII』から鍵盤を弾くようになりましたよね?

「あのアルバムで、初めてキーボードを弾きながらメロディーを作りました。〈等身大をめざした〉とかいうとおっちょこちょいな感じがありますけど、それまでアイデアやスピード感で補っていた部分を、自分の表現としてしっかり作り込むようにしたかったんです。現在の自分のなかにあるものを、できるだけ作品に反映させたいという想いが出てきました」

2015年作『INNN HAWAII』収録曲“Slow Banana feat. Alfred Beach Sandal”

 

田舎暮らしとアンビエント音楽との相性

――では、『INNN HAWAII』の続編にあたるハワイ第二作『LAST ALOHA』(2018年)は、どういう方向性で作られたんですか?

「はっきりとは覚えてないんですが、パーソナルな環境の変化もあったし、それゆえに室内楽的な音楽を好んで聴いていた時期があって。仕事柄、夜中にゴソゴソと何かを始めることが多いんですが、田舎の夜の雰囲気のなかで自分が聴きたいと思う音楽を並べていくと、アンビエントなものやニューエイジ的なサウンドとナチュラルにリンクする感じがあったんです。

それは加齢による音楽志向の変化もあったんでしょうけど、たとえばピーター・ポール・ケロッグとアーサー・A・アレンが34匹のカエルやヒキガエルの鳴き声を収録したフィールドレコーディングのアルバム『Voices Of The Night』(1953年)をレコードプレイヤーで聴き流しながら、ミュージック・フロム・メモリーズの新作なんかをPCでチェックしていると、すごく気持ち良さを感じたんです。その擬似的な音像を経て、草むらや川辺から聴こえる虫の鳴き声、田んぼの蛙の鳴き声なんかが、窓を開ければ聴こえてくるという自室の環境をあらためて確認したり。そこで〈この感覚は田舎というかローカルに留まって音楽制作をしていくことと地続きなのでは?〉と考えたりしたことが、大きく『LAST ALOHA』に反映されたと思います。

その時期はもう世界的にもアンビエント/ニューエイジの再発や現行アーティストの作品などが盛り上がっていたんですが、自分の感覚がハマったのには、Corneliusの『Point』(2001年)や『Sensuous』(2006年)からの影響もあったのかなと思ったりもしました。Corneliusの音楽性の変化にしがみ付いていくことで、シンセの音像やリズムトラックの配置、ドラムマシーンのエディットの方法などについては、音楽家として知らず識らずのうちにトレーニングされていた気がするんです。リスナーとしてはポップミュージックの延長として聴いていたんですけどね。

ともあれフアナ・モリーナなどのエレクトロニカが盛り上がった2000年代と似たような感覚のもとで、アンビエントやニューエイジのレコードがすごく心地よく聴こえるようになったんですよ。その感覚をシンクロさせながら『INNN HAWAII』の発展形を作れないかという考えだったんじゃないかな」

2018年作『LAST ALOHA』収録曲“Diamond Head”
 

――ちなみに『LAST ALOHA』はリリース時に〈ハワイ最終章〉と打ち出していましたよね。それが新作の『Loco』のキャッチコピーでは〈ハワイ三部作完結編〉となっていて(笑)。

「(笑)。『LAST ALOHA』はタイトルが先に決まっていたし、タイトルに沿って楽曲を作っていたのもあって、出来た頃はすべてに満足していたんです。だから〈もうこれでラストでいいんじゃないかな〉と思ったんですが、それから時間が経ち、コロナ禍でハワイが遠くなったことでハワイへの気持ちも強くなってきて、アイデアもいろいろと生まれた。じゃあ、もう一枚作ろうとなったんです」

――ちなみに『LAST ALOHA』から新作までの3年間はどのように過ごされていたんですか?

「アルバムをリリースしたあとはオリジナル曲の制作への欲求がほぼなくなるので、クライアントワークをこなしながら2年くらいはだいたいボーっと過ごすんですよ。今回もそういう感じを踏襲したうえで、おもちゃや陶器製の置物、レコードなんかを販売する謎のオンラインショップ〈Chewiie〉を立ち上げて、運営したりしていました。

そんななかでコロナ禍になり、世の中がガラリと変わって。さまざまな制限のなかでの生活は、ローカルライフでの日々を見直すことに直結したように思います。そして、日々のストレスの拠り所としてハワイの記憶へと漂流し、思い焦がれる気持ちを音楽に変換していった結果、『Loco』に成長していきました」