Page 2 / 5 1ページ目から読む

東京ユニオンからオルケスタ・デ・ラ・ルスへ、そして大儀見元との出会い

――東京ユニオン(89年に解散した名門ジャズビッグバンド)にも入っていたんですよね。当時って、ビッグバンドのギャラは悪くなかったんですよね。

「平成元年くらいまでビッグバンドはどこも給料制でボーナスもあって、いわゆるプロミュージシャンという感じではなくて、サラリーマンみたいな感じもありました。待遇は良かったですね」

――バイオに東京ユニオンと書いてあったので、ぼくはスタート地点にきっちりジャズがあるのかと思っていました。

「いまだにいろんなものが好きです。トロンボーン1本でやっていくのだったら、やっぱり最終的な目標はジャズソリストなので、いわゆるジャズという分野のものを極めねばと思い、今も一生懸命やっていますけど」

――東京ユニオンに入れたということは、優秀な奏者だったわけですよね。

「26歳のときでした。要求されるテクニックや最低限のマナーとかは持ち合わせていたので、なんとかなりました」

――これは転機だったなという出来事はありますか。

「結構いろいろあるんですけど、ユニオンに入ったものの半年で(リーダーの高橋達也が心筋梗塞で倒れてしまい)バンドが解散しちゃったんです。それに入るため東京に出たので、何もなくなってしまいました。

そうしたら、その前の年にオルケスタ・デ・ラ・ルスが自分たちで海外に行っていきなりブレイクして、いよいよCDを作ってメジャーデビューするという時期に重なったんですよね」

オルケスタ・デ・ラ・ルスの90年作『デ・ラ・ルス』収録曲“トゥ・エレス・エル・オンブレ”。同作は米ビルボードのラテンチャートで11週間1位になった

――デ・ラ・ルスには何年に入ったんですか。

「僕が入ったのは90年で、村田陽一さんともう1人のトロンボーンが同時に辞められて、僕と青木タイセイが入ったんです」

――デ・ラ・ルスに入るまでは、ラテンに関してはどうだったんですか。

「全然です」

――じゃあいきなりサルサバンドに入り、現場で流儀を会得していったという感じでしょうか。

「入って2~3回リハをやり、2~3回ライブをやってレコーディングですよ。

関西のビッグバンド時代に一回だけ東京キューバン・ボーイズ(1949年結成の日本を代表する大編成のラテンバンド)のリーダーの見砂(直照)さんがゲストで入ってキューバン・ボーイズの曲をやった際に、ものすごい興奮したんですよ。スウィングジャズと違ってこんなに興奮する音楽があるんだなと思ったのは確かで、それ以外はラテン音楽とは接触がなかったです」

――そのとき、今も付き合いが密なパーカッショニストの大儀見元さんはデ・ラ・ルスをすでに辞めていました?

「いやいや、いました。ですが、僕が入ってから1年ほどで大儀見君が辞めちゃって。その頃まだ僕は京都から出てきたばかりで、関西弁なので東京の人と喋れなかったんです。だから、その頃はあまりコミュニケートしてなかったですね」

――同い年であり、大儀見さんが率いるサルサ・スウィンゴサでも一緒で、お2人はとても仲良しなイメージがあります。

「大儀見君がデ・ラ・ルスを辞めてNYに渡って、いろいろ疲弊して日本に帰ってきたんですよ。それからスウィンゴサ、熱帯JAZZ楽団を共にやるようになり、こっちもいろいろ誘うようになってからですね、濃い付き合いになったのは」

熱帯JAZZ楽団の2020年のライブ動画

 

トロンボーン1本でもバンドのフロントに立てる

――それほどラテンの素養がなくてデ・ラ・ルスに入り、そこからラテンのどういうところに惹かれ、面白さを覚えるようになったのでしょう。

「元々は向井滋春さんや松岡直也さんのようなラテンの混じったフュージョンがすごい好きだったので、そういうバンドをいつかやりたいと思っていたんです」

――向井さんはブラジルっぽいのをやっていた印象があります。

「向井さんのバンドは一時期ペッカーさんや(高橋)ゲタオさん、津垣(博道)さんがいたので、今聴くとラテンなんです。そういうのをやりたいけど、実際のサルサの現場は思っていたのと違って歌がメインとなるし、曲もシンプルなものが多いので、〈ずっとこれを自分がやっていくのかな〉と思ったりもしたんです。

でも、NYやヨーロッパに行くと現地のミュージシャンがラテンジャズをやっていて、それがすごいかっこいい。これだったら日本でやっている人はあまりいないからやりたい、向井さんが昔やっていて今はやめてしまったようなことを引き継ぎ自分のバンドでできないかと思ってやり始めました」

――あと、ジャズだとトロンボーンよりアタックの強いテナーサックスとかトランペットとかが前に出る傾向がありますが、ラテンの場合はロマンチックなダンスミュージックなので、滑らかな音を持つトロンボーンが効果的に顔を出せるのではないかと。

「そのとおりなんです。とはいえ、トロンボーン自体にいろんな演奏スタイルがあるのでどれがいいとは一概には言えないんですが、自分が演奏すると自然にこういう形になります。というのが、今のオバタラや熱帯ですね」

――やっぱり、ラテンはトロンボーン奏者がでかい顔ができますよね。

「それがいいことなのか、悪いことなのか分かりませんが(笑)」

――サルサ・スウィンゴサはトロンボーンを4本並べています。

「うるさいですよ(笑)。海外だと多いんです。昔誰かに聞いたんですけど、赤道に近い国は楽器のメンテナンスが大変なので、サックスやトランペットよりトロンボーンがメインになるという。構造が単純なのでわりとトラブルに強いらしいんです」

サルサ・スウィンゴサの2021年の楽曲“Salsa Es Mi Energia (We will defeat it. ver.)”

――スライドの腕の動きの裁量でなんとかできるという。話は前後しますが、中学のときにトロンボーンを手にし、今までやってこられていますが、トロンボーンのどういうところに一番惹かれていますか。

「いやー、いまだに惹かれてないと思いますね(笑)。ただ自分にとって、インプロビゼーションとか瞬発力とかを表現するにはトロンボーンが一番適しています。自分としては、〈これでいいのかな〉みたいな、自問自答の連続です」

――横でサックス奏者が吹いていて、〈うらやましいな〉とか思うことはありますか。

「いっぱいありますよ(笑)」

――ラテンはともかく、トロンボーンって一番暇な管楽器なんですよね。村田陽一さんが昔言っていたのは、トロンボーンは暇なせいで他の人の音をいっぱい聴くから、結果トロンボーン奏者はアレンジができる人が多いんだと。

「そのとおりです。オバタラの目的の一つは〈トロンボーン1本でこういう形態のバンドでもフロントに立てるんだよ〉と示したいということなんです。それで、続けているというのもあります」