オバタラとは、アフリカ起源のカリブ界地域の多神教であるサンテリアの一人の神の名前だ。語感としてはどこか人を喰ったような、そんな言葉を掲げたグループが、トロンボーン奏者である中路英明が組む現在6人組のグループである。

中路はインターナショナルな人気を誇ったオルケスタ・デ・ラ・ルスに在籍後、熱帯JAZZ楽団やサルサ・スウィンゴサなどに関与する、ラテンジャズ系列の筆頭にいるトロンボーン奏者だ。そして、そんな彼が自らリーダーシップを取るグループとして97年にオバタラは結成された。その後、メンバー/音楽性の変更と共に、第2期オバタラを意味するオバタラ・セグンド(OBATALA SEGUNDO)と名前を変え、この新作『オラシオン(ORACIÒN)』は8年ぶりのアルバムとなる。

ビートルズ曲のカバーを除いては自作曲群でまとめられた同作には様々なラテンのリズムが技ありで混在し、そこに親しみやすいメロディや表情豊かなソロが舞う。かような華と躍動と成熟を持つラテン・ビヨンドのインストゥルメンタル表現はどのような思いのもと形作られたのか? 当人のこれまでのキャリアを確認しながら、〈私の考えるラテンジャズ〉〜〈私の考えるトロンボーン表現〉に鋭意取り組む中路の実像に迫った。

OBATALA SEGUNDO 『オラシオン』 TWIN MUSIC(2022)

 

トロンボーンの不思議さに惹かれたひねくれ者

――最初の楽器はトロンボーンですか。

「アコースティックギターとトロンボーンが同時だったんですよ。中学2年、14歳の頃です」

――きっかけは何かあったのでしょうか。

「もともと、音楽は好きだったんです。まったくそういう家庭でもないし、音楽の成績も悪かったのですが」

――ブラバンに入ったとか。

「中学に入学したときに、新入生歓迎会をやっていて、そのときに初めて同世代による電気を使わない生楽器の演奏に触れて、それで音楽が成立していることに感動したんです。でも、やってみたいけど恥ずかしいという気持ちがあって、1年のときはやらなかったんです。それで、2年になって我慢できなくなり途中から入ったので、同世代が全員先輩になり、1年下が同輩になっちゃいました。

それと、同時に中1の担任が学生運動上がりの方で、ホームルームの時間にギターを持ってきて弾き語りをするんですよ(笑)。今から思うとそんなにたいしたことではないんですが、生で見るとものすごいインパクトがあって、それでギターがやりたくなりました」

――最初から、管楽器だったらトロンボーンがいいと思ったんですか。

「そこも自分がひねくれていると思うんだけど、人が目立っていそうなのをやりたくなかったんですよ。見学のときに先輩が吹いているのを見て、大抵の楽器は指や腕を動かしているんだけれども、トロンボーンだけが何でああいう動きでああいう音が出るかさっぱりわからなくて、それでやりたいなと。大体、人がやりたがらないことをやりますね」

――その後、高校も吹奏楽部に?

「はい。それで、当時フュージョンブームでしたから、いろんなものを聴きましたね。渡辺貞夫さんとか、トロンボーンだと向井滋春さんとか。当時はスクェア(T-SQUARE)とかカシオペアが台頭してきたので、日本の音楽ばっかり聴いていました」

――それ以降は?

「高校が吹奏楽の推薦だったので、勉強を全然やっていなかったんです。コンクール狙いの強豪校だったので、〈吹奏楽を一生懸命やります〉って言ったら入れてくれていたんですよ。

でも、男子校で体育会系だったので、あまりにもつらくて1年で吹奏楽部を辞めてしまいました。成績も落ちちゃって、大学に行くよりも何か楽器を触る専門学校に行こうかと思っていました。それでピアノの調律学校とかのパンフレットを取り寄せたりしました」

――本当に控えめな性格なんですね。高校生でピアノの調律をしようとか普通は思わないかと。

「いやいや。でも、当時は演奏の仕事がいっぱいあったので、やっぱり演奏家になれたらなと思いました。でも、音大に行く技術もお金もなかったので、やっぱりジャズとかポピュラーをやりたいと思いました。

当時京都に住んでいたんですけど、神戸のジャズの専門学校に行きプロの先生について、それからずぶずぶプロの世界に入っていったという感じです。最初は関西で、ローカルのバンドで演歌や歌謡曲をやりました」