(左から)中野俊成、鮫肌文殊

2022年に結成25周年を迎えるモーニング娘。の名曲“LOVEマシーン”(99年)、“恋のダンスサイト”(2000年)、“愛の種”(97年)が、初めて7インチシングルとして6月18日(土)にリリースされる。これらは、入手困難盤やアナログ盤化されていない作品をタワーレコードが独自にリリースする新企画の第1弾だ。そんな3枚の企画監修を担ったのは、日本のテレビ界を代表する放送作家でDJでもある鮫肌文殊と中野俊成からなるユニット〈ニッポンのレコード大将〉で、シリーズ名は題して〈TV DAYS(テレビ・デイズ)〉。今回の再発から、モー娘。と名曲たちが生まれた熱狂のテレビ時代、ニッポンのレコード大将としての活動や今後の展望まで、音楽ライターの南波一海が二人に訊いた。 *Mikiki編集部

 

絶対に盛り上がる3曲を放送作家が夢の7インチ化

――今回の再発プロジェクトはどういう経緯で立ち上がったのでしょうか。

鮫肌文殊「もともと僕と中野で『輝く!日本のレコード大将』というイベントを渋谷のオルガンバーでやってまして。でも、コロナでそのイベントは3年くらい休止になっていて、ユニットとしては二人で中央エフエムというコミュニティFMでラジオ番組をやる以外はなにもやってなかったんですね。

そんななかで、ちょうどタワーレコードの今村(方哉)さんのほうから二人のユニットで再発プロジェクトができませんか、という提案をいただきまして。僕らも渡りに船というか、そんな楽しいプロジェクトはないので、いいですねと」

中野俊成「もっと遡ると、今村さんがタワレコに来られる前に、(Pヴァインで)月亭可朝の再発を手掛けていて」

鮫肌「そうだそうだ。“借金のタンゴ”をね」

中野「それが意外とレア盤で、僕が持っているということを今村さんが聞き付けて。それがもとになって再発されたんですよね」

今村方哉(タワーレコード)「そうです。テレビ朝日までお借りしに行って。いくら探してもなかったのでありがたかったです」

中野「僕らは古い邦楽とか、珍盤、奇盤、名盤を持っているので、そういう情報が今村さんのほうに伝わって。それが今回のこういうお話に繋がったという感じですね」

鮫肌「自分たちの欲しいレコードを再発できるなんてこんな夢のような話はないので、二人とも諸手を挙げてこのプロジェクトの提案に賛成したという流れです」

――最初のリリースが初期のモーニング娘。になったのは、もちろん鮫肌さんが「ASAYAN」に関わっていたことも大きいのでしょうか。

鮫肌「それもありますし、自分たちが素人ながらDJのまねごとをしているなかで、盛り上がる曲というのがあるわけですよね。今回のモーニング娘。の3枚というのは、これまで12インチしか出ていないし、“愛の種”はアルバムのLPにしか入ってなかったので、この絶対に盛り上がる3曲を7インチでかけてみたいというのがひとつの夢としてありました。まずはその夢を叶えましょうというところで選曲したんですよね」

“LOVEマシーン”

中野「それと、復刻プロジェクトはほかにも色々ありますけど、僕ら二人はプロのDJではなく放送作家なので、僕らが選ぶからにはなんらかのテレビに関係しているもののほうが方向性としてはわかりやすいんじゃないかと。

レーベル名を〈TV DAYS〉にしたのもそういうことなんです。最近の音楽はテレビ発でヒットしたということが少なくなってますけど、ひと昔前はドラマの主題歌も含め、どんどん生まれていたという背景があったので、そこを掘っていくというのは僕らがやる復刻プロジェクトとしては正しいんじゃないかと。鮫肌は『ASAYAN』をやっていたので、第1弾のリリースとしてモー娘。から始まるっていうのは納得感があるんじゃないかと」

鮫肌「この3曲は本当に名曲ですからね」

 

(左から)ニッポンのレコード大将、TV DAYSロゴ。イラストは吉田戦車

モーニング娘。のブレイクはテレビのマジック

――鮫肌さんは当時、リアルタイムで番組に関わりながらモーニング娘。が盛り上がっていく熱を肌で感じられていたんですよね。

鮫肌「有名な話ですけど、最初のモーニング娘。の方たちは、平家みちよが選ばれたボーカリストオーディションがあって、それで負けた人たちですよね。ぶっちゃけて言うと、あれは次の企画への繋ぎだったんです。オーディションバラエティって、なにかの企画をやって、毎週毎週キャリーしていかないとと放送に穴があくわけですよね。

そういうスケジュールのなかで、負けた人たちを集めて敗者復活じゃないですけど、そんな感じで盛り上げていけば次の企画までの繋ぎにはなるんじゃないか?くらいの軽~い気持ちでみんなで始めたら、なぜかものすごい盛り上がっていったんですよね。途中から番組が乗っ取られるくらいに。モー娘。ありきで始まるようになっちゃった(笑)。誰もこういうふうになるなんて予想してなくて、狙ってやってなかったところで当たっちゃった。そこはテレビのマジックですよね。

僕はそれを放送作家の一人として、最初はただの素人だった人たちが国民的アイドルになっていく様を間近で見ていました。南波さん(インタビュアー)は熱と言いましたけどまさにそうで、すげえなこれというものすごい熱さを体感してました」

中野「かつての『スター誕生!』は言ってみたらそういう役割でしたよね。モー娘。はそのグループアイドル版で、テレビの役割としては正しいというか、本道の企画ではありますよね。僕は関わっていませんでしたけど、これはテレビの正しい使い方だなと」

鮫肌「つんく♂さんにしても、頼んでみたらいいよっていう感じで気軽に引き受けていただいて。でもいざ始めてみたら、つんく♂さんがあんなにアイドルオタクで、造詣が深くて、しかもアイドルの隅の隅まで知り尽くしたような楽曲を書かれるなんて、当時は誰も知らなかったんですよ」

――つんく♂さんは昔からアイドルが好きだったんですよね。

鮫肌「あんなにすごい男だったとは、という(笑)。偶然がいくつも重なってメガヒットに繋がっていったというのは放送作家としても貴重な体験でした」

――デビュー作の“愛の種”のみ“愛の種”のみ作詞はサエキけんぞうさん、作編曲は桜井鉄太郎さんでしたが、どうしてだったんですか?

鮫肌「あれは当時、曲をすぐに書いてくれる人に、というふうに聞いてます(笑)」

“愛の種”

――(笑)。「浅草橋ヤング洋品店」繋がりで。

鮫肌「いいよーってことで書いてくれたんです。本当に繋ぎの企画でしかなかったから、それを当てようとかは誰も期待してなかった。無欲の勝利じゃないですけど、偶然に偶然が重なりましたよね」