タワーレコード代表取締役社長・嶺脇育夫にひたすら好きなアイドルについて語ってもらう(不定期)連載。社長がひたすらに愛を傾けるさくら学院について熱弁を振るった渾身の初回が非常に好評をいただいていることに気を良くしたわれわれ、今回は社長が15年に渡って見続けている名門のハロー!プロジェクトについて訊いてまいりました! ハロプロ愛の歴史から、注目すべき研修生たちに巻き起こるドラマなど、奥深いハロプロの世界を教えてもらい、今回も流石の説得力に……お楽しみください!
――さくら学院へのピュアな父兄心が露わになった初回が非常に好評だったので、今回はやはりハロー!プロジェクトについて訊きたいなと思って来ました。いまさらかと思いますが、ハロプロのそもそものところから……。
「そこから行く? ハロプロ知らない人いる?」
――あ、言い方を誤りました。ハロプロの紹介ではなく、嶺脇さんがハロプロにハマるようになったきっかけを教えてください!
「ハロプロが気になりだしたのは、2000年ぐらいかな? タワーレコード新宿店の店長だった時代に、何人かのスタッフにハロヲタがいて、〈いいですよ〉っていうのはずっと聞かされてて。でも〈アイドル? ケッ!〉みたいな感じだったのよ」
――最初はそんな感じだったんですね。
「そのとき僕はハンク・ウィリアムズとかマール・ハガード、ジョージ・ジョーンズといったいわゆるカントリー系にハマってた時代で。ただ、99年にモーニング娘。の“LOVEマシーン”がヒットしたりして、たぶんどっかで気になってたんだろうね、たまたま仕事が終わって疲れて家に帰って、確か金曜日だったと思うんだけど家でビール呑みながらTVを観てたの。そのときにちょうどモーニング娘。が映ってて、〈あれ? あの娘可愛くない?〉ってなったのが辻(希美)ちゃんだった。『タモリ倶楽部』※でもその話をしたんだけど、吉田豪さんが〈人間、弱ってるときにアイドルにハマりやすいですよね〉って(笑)」
※テレビ朝日系「タモリ倶楽部」2011年11月25日放送回〈もしタワーレコードの社長がアイドルヲタだったら〉に出演
――ハハハハハ(笑)。
「それでタモリさんが〈(人の)弱みにつけこんでくるんだなあ〉っていう一連の流れが最高だったね。流石にこの仕事をしているから、辻・加護(亜依)の名前くらいは知ってたけどね。それで、“MEMORY 青春の光”(99年2月リリース)の……当時短冊(8cm CDシングル)だったかな? そのサンプル盤をたまたま店で見つけたので、一度聴いてみようと思って聴いたら、カッコ良かったんですよね。クレジットを見るとベースにウィル・リー、ドラムにクリス・パーカーが参加しているわけですよ。ギターがハイラム・ブロックかな? そんな超一流セッション・ミュージシャンを起用して豪華に作ってるんだなと思ったり……そういう言い訳しやすくなる情報がどんどん(笑)」
――辻ちゃんが可愛いという以外に、音楽ファンとして好きな理由になる事柄が(笑)。
「でもシンプルに曲がカッコ良かったっていうのもあって、そこからです、2001年の夏」
――ほう。
「ちょうどその頃にモー娘。の第5期メンバーのオーディションをやっていて、それを見てたんですよ。高橋愛ちゃん、新垣里沙ちゃん、紺野あさ美ちゃん、小川麻琴ちゃんが5期メンバーで入って、それも結構衝撃だったの。紺野あさ美ちゃんなんて、いま言うと悪いけど、歌もダンスもそんなに上手じゃなかったから、〈なんでこの子が受かるんだろう?〉っていうのがおもしろかったんだよね。紺野あさ美ちゃん、辻ちゃんが好きだっていうのはいまの僕に繋がってるなって思うね」
――というのは?
「〈出来の悪い子が好き〉っていうこと。応援したくなるから。いまもそういう気持ちはずっと続いてる」
――私のイメージでは、日本のアイドル好きの人たちはそこがツボなんだろうなと思っていました。もちろんそういう人だけじゃないと思いますけど、完成されてないものに惹かれる人が多いというか。
「ヘタということを受け入れられない音楽ファンにはきっとわからない気持ちだよね」
――ん~……かもしれません。
「やっぱり多少ヘタなほうが感情移入しやすいんだよね」
――庇護欲をそそる?
「応援しなきゃっていう気にさせられるんだろうね。成長していって人気者になってほしい。だから紺野あさ美ちゃんは結構人気があったので、なんか嬉しかったよね。ちゃんと自分のポジションを掴んだし。TVで紺野あさ美ちゃんが主人公のバラエティー番組「13人がかりのクリスマス」(2001年、フジテレビ)というのがあったぐらいなんで。応援するファンだけじゃなく、TVの制作サイドもそういう気持ちだったというのがおもしろかった。日本独特の感じかもしれないね」
――ほ~。
「辻ちゃんが主人公の番組もフジテレビであったんだよ(「サルティンバンコに連れてって! 緊急! 中澤スペシャル」※)。辻ちゃんがファミレスできくち(伸)プロデューサーと〈なにやりたい?〉と話をして、〈プリクラ撮りたい〉って辻ちゃんが言うので加納典明を連れてきたら〈普通のプリクラが撮りたい〉って言ってみたり、〈美味しいものが食べたい〉って言うと料理人の神田川俊郎と周富徳に餃子を作ってもらったり――そういう可愛い番組があったんですよ、伝説の」
※通称:「のの(辻の愛称)スペシャル」
――へ~。
「そこからもうハマり症なんで、辻ちゃんや紺野あさ美ちゃんっていう推しメンも出来たからそれまでの作品も速攻で集めたよね。ほとんど買いまくり。そうだ、松浦亜弥ちゃんも結構好きだったんですよ。2001年の夏前ぐらいから松浦亜弥ちゃんの“トロピカ~ル恋して~る”のPVをよく観たりしていて」
――それは辻ちゃん可愛いとなる前ですか?
「前だったね、いま思えば。ハマるほどではなかったんだけど、イイ曲だな、可愛いな、くらいで。たぶんそのときは精神的に元気だったんだろうね(笑)」
――ハマるほど弱ってなかったんですね(笑)。
「付け入る隙がなかった(笑)。しかし決定打は辻ちゃんで、そこからハロー!プロジェクトという存在を知るじゃない。その前からもちろんハロー!プロジェクト自体は知ってたんだけど、どんな人がいるんだろうって思って、当時は本もいろいろ出てたのでそれを全部買って隅から隅まで読んで、メロン記念日やカントリー娘。、ココナッツ娘。のCDを買ったりした。それで、ライヴへ行くわけですよ。〈観に行きませんか?〉と誘われてハロプロのライヴを観に行ったんだけど、それが僕がいままでに観たことのないステージだった。ステージというかお客さんが。実はステージのことは1mmも覚えてないの(笑)。中野サンプラザだったんだけど、立見席で観てて、僕の斜め前にミニモニ。の格好をしたオジサンがいたんですよ。それをすごく覚えてる。コスプレしたオジサン」
――よりによってミニモニ。!?
「ミニスカ履いて」
――へ~……。
「でも当時はそういう人がいっぱいいたんですよ」
――いまとは違うんですか?
「全然違う! 当時はまだハッピの文化もあったし、ハチマキ文化もあったな、推しメンの名前書いたりしてるやつ。全身に写真やバッジをいっぱい貼ってる人たちとかも。そういう人たちを見て、日本でも海外でもそれまでにいろいろライヴを観に行っていたけど、ここまで全身でファンであることをアピールして応援しているお客さんたちがいる現場は初めてだなって。なかでも、そのミニモニ。のオジサンはすごく印象に残ってるんです。それで楽しくなって、ファンクラブに入ってチケットを買うようになったんですよ」
――なんかそれはイイ話ですね。
「いま思えば、何がそんなに楽しかったんだろうっていう感じなんだけどね。寝ても覚めてもモーニング娘。で。あの頃は毎日モー娘。関連のTV番組があったので、それを全部録画して、帰ったらまずそれ観る。インターネットで関連サイトをチェックするのもおもしろかったし。ライヴ会場へ行くと、ダンスの当て振りをして踊ってる人たちがいるんですよ。会場の代々木競技場第一体育館とかさいたまスーパーアリーナで、開場する前からお客さんが音出して、コスプレしている人やヲタ芸している人もいて、お祭りみたいで楽しかったんだよね」
――それは楽しいかもです! 嶺脇さんはコスプレしないんですか?
「まったくしない! そこまではね……。あと、モー娘。はサブカル的な要素が強かったんで、〈TV観てると加護ちゃんの元気がないから応援しなきゃ〉とか言って杉作J太郎さんがロフトプラスワンで応援イヴェントをやったり※とか」
※2002年に行われた〈私設あいぼん祭〉〈私設あいぼん祭・頂上作戦〉のこと
――本人は不在だけど(笑)。
「そのうえ非公認で(笑)。加護ちゃんはディズニーが好きだからDVDプレイヤーとディズニーのDVDを買って送るために、来てるお客さんがカンパしたりとか。そのイヴェントでは、Jさんセレクトの映像を観ながらいかに加護ちゃんが可愛いかっていう話を延々と壇上でするの。その映像の合間、10分に1回くらいには東映のヤクザ映画の汐路章さんや山本麟一さんなどの映像が挿まれたりするんですよ」
――どういうことですか?
「あまりにも加護ちゃんが可愛いから、みんな気分が上がるじゃない。それをクールダウンさせなきゃいけないから」
――ほほ~(笑)。
「まあそういうのを観てゲラゲラ笑うっていうのが楽しかった。〈オレ達、モー娘。の味方ッス!〉というイヴェントをやっている人がいたり、RHYMESTERの宇多丸さんがコンバットRECさんとモー娘。のことでずっとケンカしてたり(笑)、あと〈爆音娘。〉っていうハロプロの曲だけを爆音でかけて踊るイヴェントもあった。そうやってモーニング娘。をいろんな角度から楽しむ人たちがいたんです。まあハロプロの事務所的にはNGなことも多くあったと思うんだけどね」
――でもそれだけ熱くなれるというのは、ある意味美しいですね。
「僕はいちファンとしてそういうイヴェントに行ったりしていました。そこからBerryz工房も好きになって、いまに至ります」