
〈気持ち悪さ〉の先に行ったポップでカラフルな松永天馬
――〈オジ〉に〈サン〉を付けてくれないし(“不惑惑惑”より)……的な。これはたしか、歌舞伎町やホスト文化に詳しいライターの佐々木チワワさんとのイベントで出た発言でしたよね。(2022年2月3日に開催された〈新宿歌舞伎町の少女フィクション&ノンフィクション 松永天馬 × 佐々木チワワ対談トーク〉)
「そうです! 佐々木さんが、おじさんのことを〈オジ〉って呼んでいて、〈オジ〉は〈サン〉付けされないんだと知りました(笑)。〈オジ〉というのは、ある種のちょっとキモカワ、キモカワイイコンテンツやキャラみたいな感じなのでしょうか……※」
――アルバム『不惑惑惑』全体を通して、おじさんなのに大人の実感はないけれど、若い人とは明確にちがう、その気持ち悪さを引き受けた上で、中年期を楽しみたいという意志を感じました。
「僕も40歳を前に惑いっぱなしのモラトリアム中年であるんですね。アンチエイジングが叫ばれて久しいですけど、現代人に必要なのは真っ当なエイジングなのかもしれない。でもさっき話したように、上手にエイジングできない。けれど、そんな状況だからこそ、そんな〈惑っている自分〉にワクワクしたいという気分から“不惑惑惑”が生まれました。自分は結構生真面目な性格なんですけども、そんな自分を解放して遊ばせてもいいんじゃない?と思って書いた曲です。
あとは、〈気持ち悪い〉の先にある気持ち良さというか、〈気持ち悪い〉と〈気持ち良い〉の境界が、TikTokなどを見ていると近年近づきつつあるなと……。不快なものが映っていても、リズムにのると気持ちよくなるような」
――それこそ、“SEXY HARAJUKU”の歌詞は、シンプルに〈気持ち悪い〉と感じてしまいましたね。
「ふふふふふ! はい! そうですね」
――すみません(笑)。
「いやいや(笑)。今回のアルバムが全体的に、結果的に出揃ってみるとかなりカラフルな感じになったんです。1枚目のアルバム(『松永天馬』)が非常にモノクロのアンダーグラウンドの、僕自身がアーバンギャルドの反動としてやりたかった演劇的な、地下的な文化を取り入れたものであったとしたら、2枚目の『生欲』(2019年)っていうものは、汗臭い男らしいアルバムになっていて」
――たしかに『生欲』は、もう少しザラッとした質感がありましたね。
「今回は、ある意味その〈気持ち悪さ〉の先に行ったというか、ポップでカラフルな感じになったかな」
言葉は交わせば交わすほど風に紛れてしまう
――ソロワークで最初に発表された“ラブハラスメント”からずっと、松永さんは欲望を持つことそのもの、コミュニケーションそのものが気持ち悪いものであることについて描いています。本作も1曲目の“そうだろうどうだろう”だったり、“SEXY HARAJUKU”=〈セクハラ〉だったりとか、そこに問題意識を持っているというか。
「コミュニケーションというかディスコミュニケーションであったり、ディスタンスであったりは、ずっと僕自身のテーマではありますね。
自分は言葉や歌詞に対してこだわりがある。けれど、その言葉っていうものは、交わせば交わすほど風の中に紛れていってしまうものというか、理解していると見せかけられるけれども、実際には理解できない気持ちが勝っていくようなものだと思っていて。だから、ディスコミュニケーションを描き続けたい。
アーバンギャルドでも浜崎容子さんという存在は、ディスコミュニケーションのアイコンとしてロールしてくれてる部分があると思います。僕の歌詞に登場する女性は、永遠に理解し合えない相手なんじゃないかな」
――理解し合えないからこそ、美しい関係、良い関係ということでしょうか?
「良いとか悪いというよりも、もう、〈そうだろう?〉って感じです(笑)」