アーバンギャルドのリーダーであり、俳優や文筆でも幅広く活躍する音楽家の松永天馬。彼が、3作目のソロアルバム『不惑惑惑』を2022年11月2日(水)にリリースする。松永が楽曲提供を行っているアイドルグループのキングサリが参加した“バニーガールアーミー”など、先行リリース曲も話題の本作。〈不惑〉の年齢を迎えた松永の思索や、消費が加速化した現代社会への視線が刻まれた作品になっている。今回は、そんな『不惑惑惑』について、ライターの藤谷千明がインタビューを行った。話題はサブカル中年の苦悩から推し活の光と闇まで、多岐にわたり……。 *Mikiki編集部

松永天馬 『不惑惑惑』 TEN/TOWER RECORDS LABEL(2022)

 

〈大人〉って何なんでしょう?

――ソロでは〈中年男性〉にフォーカスした作品を発表し続けている松永さんですが、今年40歳を迎えるそうで。本作のタイトルもそのものズバリ『不惑惑惑』。

「ファーストソロアルバム『松永天馬』(2017年)をリリースしたときは35歳でした。アーバンギャルドでは少女性や女性性、僕からするとフィクショナルなものをテーマにしているじゃないですか。だからこそ、ソロは自分の身体性を感じられるドキュメンタリーでありたいという気持ちで作り始めたのだけど……。現在は男性性というか、〈おじさん〉であることも定かではなくなってきたという……」

――それは松永さんご自身が、〈おじさん〉である実感がないということでしょうか。

「今の時代を生きている人全体がそうなりつつあると感じています。昔は、孔子の〈四十にして惑わず〉という言葉――〈不惑〉というのがあって。これは、40歳になればいろんなものから解き放たれて、戸惑いもなくなるし、自由になれますよ……という言葉であったはずなのですが。少なくともこの現代日本において、40歳で不惑になっている人なんているのかな?」

――まあ、10年前から〈サブカル男は40歳を超えると鬱になる〉(吉田豪「サブカル・スーパースター鬱伝」より)などと言われてはいますね。私(インタビュアー)は、松永さんのひとつ上、現在41歳ですが、たしかに周囲を見回してみても、男女、既婚未婚、仕事内容問わず、〈不惑〉という状態の同年代は見当たりませんね。交際範囲の問題かもしれませんが。

「僕は結婚もしてないし、子供もいない。あるいは、武道館でライブをするだとか、バンドが解散したら、活動休止をしたら、句読点をつけることができたのかもしれないけれど、そういうこともなく。そうやって、曖昧なままずっとずっと青春の終わりを先延ばししてるような感じで、気が付くと、40歳になってしまったという……。〈←今ここ!〉って感じです。なので40歳になったら、もう〈いよいよだな〉と」

――〈いよいよ〉とは?

「いよいよです(笑)。いよいよおじさんだし、いよいよ若者ではないじゃないですか」

――そうですね。それこそアーバンギャルドや松永さんは〈サブカル〉と呼ばれることがありますが、サブカルチャーというものは本来はユースカルチャーとイコールであったはずが。

「ユースカルチャーとニアイコールですよね」

――現在〈サブカル〉的ものを愛好している、こだわっている人の多くは、おそらくほぼおじさんとおばさんのような。これはもちろん自分のことを含んだ上で申し上げております。

「とはいえ、大人になったらリッチになるわけでもなく、大人になったら演歌を聴くようになるわけでもなく、〈何が大人になったことなのか?〉というのが本当にわからないのですよ。だから、逆に皆さんに訊きたいですよ。〈大人〉って何なんでしょう?」

――それは、『不惑惑惑』の歌詞にもあらわれていますね。〈人生無免許運転でモラル失くしたモラトリアム中年/クレカも持てない サインも書けない〉(“不惑惑惑”より)。おのずと年齢だけは重ねているけど、それ相応の責任が持てないというか。

「たとえば、かつては結婚して妻子を持って〈一家の大黒柱〉になることで、男性として認められた、社会を構成する一員になれた時代もあったじゃないですか」

――でも現代はそれが成立する社会状況ではないし、そもそも松永さんは〈そういうの〉を絶対に引き受けたくないタイプの人間でしょう。

「それはそうですけど。その一方で、親は老いていくし、友達は死んでいくし、確実に自分は老いていくし……」

――そうですね。健康に影響が出るし、健康に影響が出ると否が応にもメンタルに影響が出るし……と考えると、〈年齢は記号だ〉っていうのは大嘘だと思っていますね。

「まあ、死にますからね。ふははは。死ぬっていうことはゆるぎない事実ですから。なのに、老いは悪というか、なるべく遠ざけたいものっていう世の中じゃないですか」