2014年に始動したグループ〈野佐怜奈とブルーヴァレンタインズ〉としての活動にひと区切りをつけ、改めてソロの道を進み始めた歌姫、野佐怜奈が初のカヴァー・アルバム『ENDLESS PARTY』をリリースした。筆者がまずオッ!?となったのが、アルバムのカヴァー・アート。〈君たちキウイ・パパイア・マンゴー〉的トロピカル感をまとった彼女がこちらへ蠱惑的な視線を向けていたからだ。聞けば、今回のサウンド・コンセプトは〈80sニューウェイヴ〉とのこと。なるほど。でもそれにしては選曲がヘンではないか? EPOや鈴木さえ子のナンバーはさておき、ゆらゆら帝国“空洞です”に大滝詠一“ナイアガラ音頭”まで、とにかくごった煮的。おっと、トニー谷の“さいざんすマンボ”まであるぞ。コミック・ソングの名品として名高いこのデュエット・ナンバー、誰がお相手を務めているかとチェックしてみれば、そこにはアーバンギャルドのリーダー/ヴォーカリスト、松永天馬の名前があった。
今回はそんな松永を招いて、野佐との対談を実施。コラボが実現した経緯やアルバムの魅力について語ってもらったのだが、松永がアーバンギャルドでデビューし、野佐がソロ活動をスタートさせようとしていた約10年前に出会い、近しい存在であったにも関わらず、両者がじっくりと話したのは初めてだったという。対談にはサウンド・プロデューサーを務めたなかじまはじめにも同席いただいた。
★参考記事:アーバンギャルドの最新アルバム『少女フィクション』インタヴュー
本人の前で言うのもアレですが、不当な評価をされているんですよ(松永)
――こうやってお二人がじっくりお話することは初めてだそうですね。
野佐怜奈「意外となかったんですよね。よこたん(アーバンギャルドの浜崎容子)とはヴォーカリスト繋がりなこともあって茶飲み友だちなので、彼女経由でアーバンギャルドは非常に近しい存在だと感じていましたが」
松永天馬「初めて会ったのは10年ぐらい前かな、野佐さんがその名はスペィド※というユニットにいた頃、渋谷にあった青い部屋というライヴハウスでよく対バンをしてまして。そのあと響レイ奈名義でソロ・デビューしてからも何度も共演してますよね。ウチのコーラスをやってもらったこともあるし」
※野佐は初期の2006年~2009年にヴォーカリストとして在籍
野佐「〈前衛都市学園コーラス部〉。懐かしいですね」
松永「実は野佐さんには2曲歌詞を書いてるんです。“涙でできたクリスマス”と“サンタクロース・コンプレックス”というクリスマス・ソングなんですが、この2曲、配信もされていないのが残念で」
――松永さんは野佐さんにどういうイメージを抱いてらっしゃったんですか?
松永「僕の周りの同世代の歌手でも、とりわけ素晴らしい歌唱力をお持ちだとかねがね思っていました。でも、本人を前にして言うのもアレですが、彼女は不当な評価をされているんですよ!」
野佐「(笑)」
松永「野佐さんはアーティストっていうよりむしろ歌手という表現が似合う人だと思うんです。僕、野佐さんのエピソードですごく心に残っているのが、Shibuya O-nestでやられたライヴで“サンタクロース・コンプレックス”を歌っているときに、いきなり泣き出したんですよ。あのときなぜあんなに〈エモみ〉が極まっちゃったんですか!?」
野佐「え?……つらかったんでしょうね、きっと(笑)」
松永「そうですか。深くは追及できませんね(笑)」
野佐「天馬さんって、その人にピッタリ寄り添った作詞をされるんです。だからあのときも歌っていて感情移入が過ぎちゃったというか、〈なんで私のことをこんなにわかってるんだろう?ちゃんと話したこともないのに〉って思って泣いちゃったんですね」
松永「そういう野佐さんのエモさは世間にあまり伝わってないような気がするので、今日はぜひそこを伝える機会にしたいですね」
野佐「天馬さんはSNSの達人ですよね。例えばそういう〈エモみ〉をSNSでアピールするコツってあるんですか?」
松永「コツ!? そうですね……深夜2時から3時の間ぐらいに投稿すれば、自然と炎上的な呟きが出てくるんじゃないですかね?」
――炎上ありきなんですね。
松永「炎上はしなくてもいいんですけど、熱量を伝えることがいまの時代良くも悪くも必要なんじゃないかなって。ちなみにキリスト教では深夜3時にお祈りすると、悪魔が現れると言われていますけども……」
野佐「ちょっと実践してみようかな」
野佐が歌うと自然に歌謡的なムードが浮かび上がってくる(なかじま)
――“さいざんすマンボ”のレコーディングを通して、お互い新たに発見したことはありましたか?
松永「今回初めて野佐さんのレコーディング現場に行ったんですが、とても細かく歌唱指導をされたんですよ」
野佐「いろいろと引き出したくなっちゃったんです」
松永「歌に対してすごく真摯な人だなぁと思いましたね。半分酔っぱらって現場に現れましたけど(笑)。思えば野佐さんが素面の状態でいるのをほとんど見たことがない」
野佐「バレてたんですね(笑)」
松永「今日も言葉に詰まったらいけないと思って、ちゃんと用意してますから……(とカバンからシャンパンを取り出す)」
野佐「え~!」
松永「もし必要でしたら自白剤として使ってください」
――(笑)。話を戻させていただくと、どういうふうに歌唱指導されたんですか?
松永「紙面じゃ伝わりづらいと思うんですけど、例えば(“さいざんすマンボ”の)〈恋を~〉のところは〈こぅうぃうぉ~〉って歌ってください、とか。ビブラートがどうとか歌唱指導というよりは、演技指導のような感じでしたね。ここまで具体的に言ってくる人はいないですし、今回のアルバムを聴いてみても、野佐さんは〈曲に対してどう歌いこなすか〉というコントロールに対して非常に神経症的で(笑)」
――松永さんのキャラクターを見極めたうえでそういう指導をされたんですか。
野佐「そうですね。天馬さんはいろんな場面でいろんなキャラクターに変身できるし、すごく器用な方だとは思ってたんですが、初めてレコーディングしているところを見て、ここまで引き出しがあるんだ!って驚いたんです。なのでついこちらの要望をぶつけてみたくなって」
松永「今回は普段のアーバンギャルドでのキャラクターでもなく、ソロ活動のときのキャラクターでもない〈トニー松永〉になれました(笑)。トニー谷も、ジョン・ゾーンがプロデュースした巻上公一さんのアルバム『殺しのブルース』(92年)に入っているカヴァー・ヴァージョンも大好きだったから、松永をトニーにしてくれてありがとう!って感じでした」
野佐「実はYMOの“ライディーン”に歌詞を付けて歌うプランもあったんですけど、諸事情で変更になって」
松永「“EDM”ってタイトルで、空手バカボンよろしくEDMブームを撫で斬りするような内容でした……」
野佐「ほかにも候補として“林檎殺人事件”(郷ひろみ&樹木希林)があって、二人で一緒にダンスしたかったんですけどね。いろいろあって“さいざんすマンボ”に行きついたんですが、結果的に良かったなと思います」
――それにしても80年代のニューウェイヴなアレンジで行こう、というコンセプトでトニー谷が登場するところがおもしろいなあと。
なかじまはじめ「こう来たか、と思いますよね。なぜ80年代だったかというと、これまで怜奈さんの作品で60年代、70年代と取り上げていたので、その流れで次は80年代だろうというのがあったんです」
松永「あの時代にムーンライダーズみたいなひねくれたポップスを聴いていたリスナーを直撃するような仕上がりになってますよね」
野佐「選曲に関しては、気が付いたらそうなっていたんですよね。(チームの)みんなの意見を聞きながら選んではいったんですが、自分がDJでかけていた曲やライヴで歌っていた曲など、基本的に私が歌いたい曲をやらせてもらった形です。あと“空洞です”と“人魚”(NOKKO)は、もともと大好きな曲だったので大・大プッシュして決めました」
――ニューウェイヴのエッセンスと歌謡のエッセンスが絶妙な塩梅でミックスされているところがいいですよね。そのあたりはどれぐらい意識されていたんでしょうか?
なかじま「怜奈さんが歌えば自然と歌謡的なムードが浮かび上がってくるんですよね。だからそこに何をぶつけたらおもしろいかってことだけにこだわりました。それで少し違和感のあるものをぶつけていった結果、こうなった」
松永「〈このタイミングでやるか普通!?〉って感じの“ダンシング・ヒーロー”(荻野目洋子)もなんとEDM調で料理されていますけど、野佐さんが歌うことで見事に歌謡になっている。いろんなジャンルを横断しているけど、野佐さんのヴォーカルがすべてひとつにまとめていますよね」
――松永さんはシンガー・野佐怜奈にどういった印象をお持ちでしょう?
松永「僕はどちらかというと創るほうの人間で、歌手であることに対しては常々アイデンティティ・クライシスなんですが(笑)、野佐さんはしっかりと曲を歌い切るところ、どう表現するかを常に考えているところが実に歌手だなぁと。だから彼女の長所を表現するのにカヴァー・アルバムという企画はうってつけだと思いましたね」
野佐「カヴァーするにあたって原曲をじっくり聴きましたけど、そちらにあまり寄りすぎてはいけないし、かといって自分らしさを出し過ぎるのも違うなと。そういったバランスを意識することで、今回、自分の歌もグレードアップしたんじゃないかと思ってます」