アーバンギャルドの才人が自身のレーベルを設立し、くたびれた世に問いかける生の実感――希代の全身表現者が背負ったものは重いT字架なのか、それとも……?

〈生欲〉あるんですか?

 猛暑が日本列島を覆った令和元年の夏、それに勝るとも劣らない暑苦しさを誇る男が、タワーレコード内に新レーベル=TEN RECORDSを設立した。その男の名は、松永天馬。ご存知、アーバンギャルドの首謀者にして、歌手、音楽家、俳優、詩人、小説家、映画監督など、あらゆる顔を持つ全身表現者だ。彼は自身のレーベルを立ち上げた理由をこう語る。

 「現代の音楽は現場が大事な時代で、もちろん音源も大切ですが、それを販売したり、実際に聴かせる場所が必須になっている。その点、タワーレコードは現場を持っている強みがあるし、その現場をプレイグラウンドにしたら、非常に広がりのある遊びができると思ったんです。自分のレーベルということは、自分自身でレーベルの色を作れるし、所属アーティストが増えればイヴェントやフェスもできるかもしれない。T-Paletteとはまた違う、僕だからこそできるオルタナティヴなルートを作れるのではないかと思っています」。

松永天馬 生欲 TEN(2019)

 そのTENの第1弾リリースとなるのは、もちろん彼自身のソロ・アルバム『生欲』。前作にあたる初ソロ作『松永天馬』(2017年)で、「現代社会において商品価値に乏しい」という〈中年男性〉たる自分自身と向き合い、等身大の姿をさらけ出すことによって、他の誰でもない〈個〉としての在り方を聴き手に問い質した彼だが、今回の新作で松永が日本社会に対して言いたいことはズバリ「皆さん、〈生欲〉あるんですか?」ということ。そのメッセージは、松永いわく「変態的なEDMを作らせたら右に出る者はいない」という成田忍(URBAN DANCE)にアレンジを委ねた表題曲にしっかりと刻まれている。

 「日本社会がこれまで築いてきたアイデンティティーは、いまことごとく崩壊しているわけですよね。お金もない、家族も恋人もいない、みんなスマホをポチポチやって、どんどんミニマムになっていって、ヴァーチャルに片足を突っ込んで、生きているのか死んでるのかわからないような生き方をしている。だからこそ僕は、生きる欲望、すなわち〈生欲〉を感じてほしい。とはいえ僕自身もSNSにはびこる幽霊のような男なので、だからこそ自分自身を歌にしたり、自分の気持ちを歌詞にしたためることで、初めて生の実感や生きる指針が生まれるんです。僕も全然強くないからこそ、自分を鼓舞したくて歌っているんですよ」。

 自身を切り売りする稼業であるミュージシャン(=松永)とリスナーの共犯関係を歌ったディスコ調の“ポルノグラファー”、「ジェンダーやセックスに捉われることなく自分を突き詰めていくことで、一回死んで別の世界に行ったぐらい生き方がガラリと変わるのではないか」という希望を託したピアノ・ロック“生転換”、世のコンプライアンスに楔を打つ不道徳ソング“プレイメイト”など、松永が監督・脚本・主演を務めた映画『松永天馬殺人事件』の劇中歌も含む内容だが、それらを含めたアルバム全体に通底するのは、ありのままの自分を受け入れようとする精神だ。

 「僕は世の中の〈自己肯定感〉や〈承認欲求〉に重きを置く考えがあまり好きじゃないんです。ただ自分を受け入れることができればそれでいいし、それは肯定や誰かの承認ということではないんじゃないかなと。汚いおじさんになってしまって、自分で自分を好きになれないかもしれないけど、もっと自分を愛してほしいし、自分を見つめてほしい。だって、あなたにはあなたしかいないんだから。それは前作から一貫して持ち続けているテーマですね」。

 

〈病気〉から〈勇気〉へ

 松永がカラオケで必ず歌うという面影ラッキーホール(現Only Love Hurts)の名曲“好きな男の名前、腕にコンパスの針でかいた”のカヴァーでは、無礼メンのフロントマンでCharaやTENDREのサポートも務めるベーシストの高木祥太をアレンジャーに起用し、原曲の絡みつくような情念をアーバンなR&Bスタイルでスマートに調理。アートワークのモチーフとも結び付いた朗読曲“T字架”では、大谷能生のノイジーなトラックに乗せて、〈生〉と〈性〉、あるいは〈聖〉と〈性〉の同一視を試みる。

 「このトラックには、歩いているような、あるいは杭を打っているような印象がありまして、そこで自分自身を背負って歩いている松永天馬の姿が浮かんできたんです。この詩に出てくる〈あいつ〉とは、まあ男性器ですよね。よく言われるように自分自身の性器を〈息子〉と呼ぶと大事にしすぎだし、〈きみ〉や〈あなた〉だと距離感が違う。突き放しているけど、自分にはかけがえのない存在なので、〈あいつ〉がいいなと思って。だからこれは〈あいつ〉と〈俺〉の関係、〈T〉と〈天馬〉の関係を書いた詩です」。

 そのように松永がある意味、己の一物をも晒してみせたアルバムは、往年のフォーク・ソングばりに皆で手を取り合って歌う光景が浮かぶようなバラード“ナルシスト”で、感動的なフィナーレを迎える。

 「僕は〈自分のこと大好きだよね〉と言われることが多いんですが、それは違ってて、自分の目の前には自分しかいないから、自分を好きになったり嫌いになったりしながら自分に向き合って、その結果が〈殺人事件〉とかになるんです(笑)。“ナルシスト”は自分を愛せない男が〈今夜ぐらいはナルシストでありたい〉と願う歌。自分を愛せない人は絶対に誰かを愛することもできないし、自分を愛せたら誰かを愛せるかもしれないという気持ちで書きました」。

 そこで終わりかと思いきや、最後にご機嫌なボーナストラックが収録。松永とは近年ライヴや音源上の共演で交流を深めている、いまみちともたか(ヒトサライ/BARBEE BOYS)が書き下ろしたロックンロール“ピンクレッドVII”だ。

 「非常にいまみち色の強い世界観ですが、たぶんこれが、いまみちさんなりに考えてくださった松永天馬像なんだと思います。この令和の時代に〈あゝ 僕ぁしあわせだなぁ...〉と昭和を思わせるフレーズが登場したりもしますから(笑)。ただ、いまみちさんの歌詞はBARBEE BOYSの曲を聴いていただくとわかりやすいですが、往々にして男女のディスコミュニケーションを書かれているんですよね。そこは僕にとっても永遠のテーマですから。わかり合えないからこそ会話が生まれ、物語が生じる。カラフルな曲で、素敵なカーテンコールになりました」。

 自分自身を突き詰めることで、世に物申そうとする姿勢は変わらずだが、前作『松永天馬』にあったある種の〈後ろめたさ〉が後退し、よりストレートで声高な主張が胸を打つ『生欲』。松永天馬はいま、ありのままの自分を受け入れて、生まれ変わろうとしているのかもしれない。

 「アーバンギャルドでのデビューからずっと、現代人の心の病をテーマに掲げてきましたが、ここ数年は〈病気〉ではなく〈勇気〉を歌った詞が自然と増えてきました。少しだけでも自分が変わろうと思う勇気、自分を愛する勇気、自分を受け入れる勇気……ちょっとしたものなんだけど、そこの一歩を踏み出せない人もたくさんいると思うので、僕はその少しの勇気を歌っていきたいと思う。あなたが僕の曲を聴いて、いまより少しだけあなたらしくなる勇気を持ってくれたら。自分が好きになれないあなた、どうか鏡を見つめてください」。

上から、松永天馬の2017年作『松永天馬』(FABTONE)、アーバンギャルドの2018年作『少女フィクション』『愛と幻想のアーバンギャルド』(共に前衛都市)

 

松永天馬が参加した作品を一部紹介。