最新技術と経験に裏打ちされたホログラムコンサート

そもそも、ホログラムコンサートとはどんなものなのだろうか? 特にホログラムコンサートがまだ一般的ではない日本に住む私たちにとっては、なかなか想像しにくい。

「Rolling Stone」の記事には、実際の公演の成功やファンの満足度の高さなど、ホログラムコンサートの詳細がレポートされている。最新技術による自由さ(「ホログラムを袖からステージに向かって歩かせたり、バンドやオーケストラ、音楽監督や観客と交流させるとか、何でも可能になったんです」)や無限の成長の可能性など、そこで語られていることは非常に興味深い。

マリア・カラスを筆頭に、ロイ・オービソンやバディ・ホリーなど、世界で100公演以上のショーを手がけているベースホログラム社は、ミュージシャンの前に半透明のスクリーンを設置し、最新のエフェクトを駆使して、そこにホログラムを投影しているという。3Dホログラム、レーザー、特殊スクリーンなどを駆使した先端技術による臨場感のある映像と生演奏の組み合わせによるライブは、すでに海外で大絶賛を浴びてきた実績がある。

今回のホイットニーのコンサートはそのベースホログラム社と名ミュージカルを多数手がけてきた名門Gフォー・プロダクションズによるものなので、最新技術と信頼感が組み合わさった、この上ない公演だと言えるだろう。すでに米ラスベガスやヨーロッパでは上演済みで、直近では11月初旬にスペインでの公演が行われており、いずれも大盛況に終わっている。

スペイン公演の様子

公演を目撃した各国のメディアやファンによる感動と絶賛の声を引いてみよう。「優美で完璧だった。本当に純粋に美しく、まるで彼女がそこにいるみたいだった」。「もう一度行きたい。ファンなら誰でもそう思うはず」。「ショーを観ていると、それがホログラムであることを忘れてしまう」。「観客を驚きの世界に連れていった」。「ホイットニー・ヒューストンのホログラムは、私たちを踊らせ、一緒に歌わせ、そして時には涙した」。「並外れたボーカルとCGによるホログラムはハイクオリティーで、本人がまるでそこにいるかのような臨場感を作り出した」。

ホイットニーが目の前にいて歌っているかのようなリアリティー、彼女と同じ空間と時間を共有できるダイナミズムを体感できることは、上の文章から伝わってくるはず。〈ホイットニー・ヒューストン ホログラムコンサート〉は、テクノロジーと興行経験の両方に裏打ちされた、最先端かつ最高品質のライブなのだ。

 

時代に先駆けた輝かしいキャリア

ここで、今更ではあるものの、ホイットニーの輝かしい経歴を短く振り返っておこう。

ホイットニーは、63年8月9日に米ニュージャージー州ニューアークで生まれた。幼い頃から教会の聖歌隊に参加し、ゴスペルを基礎から学んでいる。そして、母である歌手のシシーのステージで歌ったり、モデルや著名歌手のバックを務めたりしていたところ、名プロデューサーのクライヴ・デイヴィスにスカウトされ、85年にアルバム『Whitney Houston(そよ風の贈りもの)』でデビュー。音楽シーンに登場するやいなや、瞬く間にスターダムを駆け登っていった。

ホイットニーは、“Saving All My Love For You(すべてをあなたに)”から7曲連続で全米シングルチャートの1位を獲得している。7曲連続1位というのは前人未到であり、いまも彼女が唯一のアーティストだ。

85年作『Whitney Houston』収録曲“Saving All My Love For You”

さらに、87年にはセカンドアルバム『Whitney(ホイットニーII〜すてきなSomebody)』が全米アルバムチャートの1位を獲得。これは女性アーティストとして初めての偉業であり、男性アーティストが幅を利かせていた時代の転換点になった。ホイットニーの存在は、各ジャンルやシーンで女性ミュージシャンたちが活躍する現在の先駆けだったと言うこともできる。

87年作『Whitney』収録曲“I Wanna Dance With Somebody”

ホイットニーといえば、誰もが思い浮かべるのは、言わずと知れた“I Will Always Love You(オールウェイズ・ラヴ・ユー)”での名唱だろう。この曲は92年、初の主演映画になった「ボディガード」の主題歌で、全米シングルチャートで14週連続1位を記録するという大規模な成功を収めた。もちろん、ホイットニーにとって最大のヒット曲になっている。

92年作『The Bodyguard: Original Soundtrack Album』収録曲“I Will Always Love You”

ホイットニーはアルバム・シングル・ビデオのトータルセールスで2億枚を売り上げ、グラミー賞を6部門受賞、俳優としての活躍でエミー賞も2回受賞している。あらゆる方面で比類なき才能を開花した全身表現者だった彼女は、いまもなお大きな影響を後進に与えつづけている。