愛娘のホイットニーをトップスターの地位まで育てたシシー・ヒューストン。ただ、それだけじゃない彼女固有の輝きはある!というわけで、その魅力を演出したプライヴェート・ストックのカタログと共に振り返ってみよう!

 ホイットニー・ヒューストンの母親で、ディオンヌ&ディー・ディー・ワーウィック姉妹の叔母にあたるシシー・ヒューストン。と、娘や姪たちの名前とセットで語られ、逆七光りとでもいった地位に甘んじている感もある。だが、シンガーとしての実力と功績はシシーも負けていない。60年代に在籍したスウィート・インスピレーションズでは、アレサ・フランクリンやエルヴィス・プレスリーをはじめ、ウィルソン・ピケット、ヴァン・モリソン、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスなどのバック・コーラスを担当。アレサの“Ain’t No Way”(68年)で高らかに響き渡るソプラノ・ヴォイスもシシーによるものだった。高音域の声で伸びやかに歌い上げる歌唱はホイットニーに受け継がれ、娘をスパルタで鍛え上げた指導者としての顔も持つ。ソロとしてはビッグ・ヒットこそないが、90年代に出した2枚のゴスペル・アルバムはグラミー賞も受賞した。

 

名作の影にシシーあり

 その原点は教会にある。1933年、ニュージャージー州ニューアークで8人兄弟姉妹の末っ子として生まれたシシー。本名エミリー・ドリンカード。シシーは愛称、ヒューストンは再婚した夫ジョン・ヒューストン(むろんホイットニーの父親)の姓だ。5歳で歌い始め、兄弟姉妹とドリンカード・フォーというゴスペル・グループを結成。それはやがてワーウィック姉妹も参加するドリンカード・シンガーズとなり、マヘリア・ジャクソンの前座を務めるなどして人気を集めた。この延長線にあるのが、世俗と接点を持ったスウィート・インスピレーションズである。結成メンバーはワーウィック姉妹とドリス・トロイだったが、ソロで活動を始めた彼女たちに代わってシシーらが参加。その後、シシー以外のメンバーを一新し、67年にアトランティックと契約してからレコーディング活動に乗り出す。彼女たちはトム・ダウド制作のアルバムを連発しながらバック・コーラスの仕事もこなし、シシーは69年までグループに在籍した。

 一方、姪ディオンヌの活躍に刺激されたのか、ホイットニーが生まれた63年頃にはソロ録音も開始していたようで、60年代後半にはコングレスやキャップからソロ・シングルをリリース(この時期の名前の綴りはSissie Houston)。そして70年、英米のレーベルから『Presenting Cissy Houston』を発表し、ジェイナスが権利を買い取った同作(表題もセルフ・タイトルに変更)で本格的にソロ活動をスタートさせる。75年まで在籍したジェイナスでは多くのシングルを出したが、この間、目立ったのはバック・コーラスの仕事。ロバータ・フラック、ダニー・ハサウェイ、バート・バカラック、ポール・サイモン、ベット・ミドラー、リンダ・ロンシュタット、デヴィッド・ボウイなど、後に名盤と呼ばれる70年代前半の作品群でシシーは引っ張りダコだった。なかでもハービー・マンとは濃密な時間を過ごし、シシーがリードで歌った76年作『Surprises』はふたりの連名作となったほど。それらを経て入社したのが、このたび日本で本格的なリイシューが行われるプライヴェート・ストックである。