なぜ、いまこの男なのか? 理由はともかく80年代から今世紀に至るまで名裏方として活躍するプレストン・グラス。レジェンドの秘蔵音源集や90年代の知られざる好盤が揃ったこの機会に彼の功績を振り返ってみよう
アース・ウィンド&ファイア(EW&F)の総帥モーリス・ホワイトが生前に残していた12曲のデモ・トラックから成る配信リリース作『Manifestation』が、このたびCD/LP化される。モーリスは85年にセルフ・タイトルのソロ・アルバムを出していたが、単独名義作はデモ集とはいえ久々で、少し手を加えればそれなりにヒットしたかもしれないと思わせる名演が揃っている。
そんな楽曲群をモーリスと共同で手掛けたのがプレストン・グラスだ。モーリスとはEW&F『Touch The World』(87年)の第1弾シングル“System Of Survival”を共同プロデュースして以来の仲。『Manifestation』にはプレストンが2000年代後期のリーダー作で披露していた“Breakin’ In A Brand New Heart”(のインタールード)やファンキーで軽快なアップ“Punic Button“も収録されており、デモはモーリスが病気のため第一線から退いた00年代前半頃までに録られたものと推測できる。
鍵盤とドラムをメインにさまざまな楽器をこなし、ソングライティングやプロデュースを手掛けるプレストンは、モーリスと組む前からも大御所クリエイターのサイレント・パートナーとしてキャリアを積んできた。かつてブラック・コンテンポラリーと呼ばれた80年代のソウル・シーンにおける〈裏方の裏方〉として、シンセサイザーやドラムマシンを駆使してポップなグルーヴを生んだ才人。後にUCLAで教鞭も執るほどの叡智にも富んだ名匠である。
1960年にカリフォルニア州モントレー近郊で生まれ、ニューオーリンズで育ったプレストン・グラス。音楽教師だった祖父母の影響もあって兄のアランと共に幼少期から音楽に親しみ、5歳の時に父親にギターを買い与えられたことをきっかけに演奏やソングライティングを始めた。高校時代には兄アランが自分たちで書いた曲を音楽出版社に送りはじめ、プレストンは憧れだったトム・ベルの音楽セミナーに参加。そこでベルに「高校卒業後にまた会おう」と言われた通り、グラス兄弟は70年代後半にベル主宰のベルボーイ・ミュージックと契約を結ぶ。当時シアトルに移住していたベルのセッションでグラス兄弟が最初に書いたのはディー・ディー・ブリッジウォーターの“That’s The Way Love Should Feel“(80年)。その後も兄弟はベルの側近として、フィリー・マナーに染まったテンプテーションズ、デニース・ウィリアムス、フィリス・ハイマンの作品にソングライターとして名を連ねている。