©Nadav Kander

いくつもの顔を持つ男が21年ぶりのオリジナル・アルバムを完成。現代世界への警鐘にして、あらゆる〈関係性〉のタペストリーである『i/o』で音楽界きっての賢人が訴えるものとは?

さまざまな顔を持つアーティスト

 半世紀以上のキャリアを誇るのみならずその活動は多岐に渡るがゆえに、いつ何をきっかけに彼を知ったかによって各人が抱く人物像が異なる。21年ぶりのオリジナル・アルバム『i/o』を発表したピーター・ガブリエルとは、そういう一言二言では形容できないアーティストである。

 例えばジェネシス時代の彼は、英国プログレッシヴ・ロック黄金期を象徴するフロントマンだった。1950年に生まれ、10代前半からバンド活動を行なっていたピーターは、67年に結成されたジェネシスでヴォーカルとフルートを担当。奇想天外な衣装と演劇的パフォーマンスで、バンドに圧倒的な独自性を与えた。

 だが、米国でもヒットした6作目『The Lamb Lies Down On Broadway』(74年)を最後にジェネシスを脱退。この時期に西欧圏外の文化への造詣を深めた彼はソロに転向し、77年以降、『Peter Gabriel』と題された4作のアルバムを送り出すことになった。ソロ初期においては、最新のテクノロジーで実験したり、アフリカや南米各地の音楽の要素を引用したりして、独自の音楽性を模索。よりメロディックに歌を聴かせるスタイルに移行すると、80年発表のサード・アルバムで初の全英No.1を獲得し、“Games Without Frontiers”をはじめヒット・シングルも生まれた。

 こうして存在感を増していったピーターは、5作目の『So』(86年)でメインストリームに進出する。ファンクからアンビエントまでを包含し、革新性と多様性をポップに消化した同作は、MVも大人気を博した“Sledgehammer”などのメガヒット曲を輩出。米国だけで500万枚を売り上げ、〈ブリット・アワード最優秀男性アーティスト賞〉に輝いたほかグラミー賞の主要3部門にノミネートされた彼は、〈MTVビデオ・ミュージック・アワード〉では史上最多の9冠を達成。同作でピーターを知った世代にとっては、問答無用のポップスターだった。

 それだけでなく80年代の彼は活動域を大きく広げ、映画音楽で高く評価されると共に、いわゆる〈ワールド・ミュージック〉にフォーカスしたフェスティヴァル〈WOMAD〉をローンチ。同様に世界中の音楽を紹介するレーベル、リアル・ワールドも設立し、グローバルな音楽のアンバサダーとして多大な貢献をしてきたことは言うまでもない。アムネスティ・インターナショナルを音楽界からサポートするなど人権活動家としての影響力も増し、のちにThe Elders(世界的課題の解決を目指して2007年にネルソン・マンデラ氏を中心に誕生したNGO)の運営に深く関わることになる。

 他方で自身の音楽制作はペースを落とし、『So』に続く2作――92年の『Us』と2002年の『Up』の間には10年の空白が生まれ、以後は自身の歩みを再確認するような企画作品が続く。世界各地のミュージシャンと音楽作りを楽しんだ『Big Blue Ball』(2008年)然り、オーケストラを起用してのカヴァー作『Scratch My Back』(2010年)然り、セルフ・カヴァー集『New Blood』(2011年)然り。また、2010年にジェネシスの一員として、2014年にはソロでロックの殿堂入りを果たしたピーターが後輩に与えたインパクトもここにきて可視化され、殿堂入りの際にピーターを紹介したコールドプレイのクリス・マーティン、ジャスティン・ヴァーノン、The 1975のマシュー・ヒーリーらがリスペクトを口にしている。ヴァンパイア・ウィークエンドが“Cape Cod Kwassa Kwassa”でオマージュを捧げたこともご存知の通りだ。