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レコード・ジャケットがアートだった時代

 僕が初めてヒプノシスがデザインしたレコード・ジャケットのレコードをもらったのは小学2年生、8歳の時だった。ピンク・フロイドの『神秘』と最初のフロイドのアルバムを小澤征爾のレコード・ディレクターからもらった。僕はヒプノシスがジャケットを担当したロック音楽と共に育った。僕にとってはビートルズは前の世代の音楽だった。今でも、この映画に出てくるジェネシスの『ザ・ラム・ライズ・ダウン・オン・ブロードウェイ』、10ccの『オリジナル・サウンドトラック』、シド・バレットの『The Madcap Laughs』が人生で最も影響受けたアルバムであって、自分でもこれらの曲を演奏している。

 ジャケット・デザインとしてもジェネシス、ピーター・ガブリエル、レッド・ツェッペリンのジャケットが最も好きである。当時、レコード・ジャケットもロックもアートだった。オアシスのノエル・ギャラガーは映画の中でこう言っている。「エリートは絵を買うお金を持っているが、私たち貧しい人々にとってはレコード・ジャケットがアートだった。ロックは後に商業主義的になったが、この頃はアートだった」。

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 1960年代後半から、母の知り合いだった横尾忠則、一柳慧、篠山紀信、寺山修司らが、よく遊びに来ていた。彼らもよくジャケ買いをしていた、そしてこうしたアートと音楽は彼らの芸術にも影響を与えた。ヒプノシスが「ベスト・アルバムジャケット100」という本を制作した時に横尾忠則のジャケットも含まれていた。

 この映画の監督アントン・コービンは、ジョイ・ディヴィジョンのヴォーカル、イアン・カーティスの伝記映画「コントロール」の監督である。 彼は写真家としてキャリアをスタートさせ、多くのレコード・ジャケットを作っている。彼のことを初めて知ったのは、1986年に僕がイギリスでピーター・ハミルのスタジオを訪れた時にハミルの『As Close As This』のジャケットを見た時だ。彼はU2、スージー・アンド・ザ・バンシーズ、デペッシュ・モードといったアーティストのジャケットを手がけており、ヒプノシスは自分の先駆者として解釈している。コービンは経験豊富な映画監督だ。この映画は非常にスピーディーで編集がうまい。ピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンのメンバー、ポール・マッカートニーやピーター・ガブリエルのインタヴューもあり、100分の中で多くのことを語っている。ストーリーが面白く、記録映画よりも劇映画を見ているようだ。ヒプノシスがマッカートニーらの『バンド・オン・ザ・ラン』のジャケットを撮影したヴィンテージ映像もある。ピンク・フロイドのジャケットにまつわる話は特に興味深い。