
PEOPLE TREE
耳で聴いたピープル・トゥリー

ヒューマン・リーグのマーティン・ウェアとクレイグ・マーシュによる電子音楽プロジェクト。この初作に続く流れでティナを『Music Of Quality & Distinction (Volume One)』(82年)に起用したことが彼女の復活に繋がった。そんな縁からマーティンはカムバック・シングル“Let’s Stay Together”や“1984”のプロデュースに起用されている。

『Get Yer Ya-Ya’s Out!』のスペシャル版ではアイク&ティナのライヴ音源を聴くこともできたが……その時代もソロでもティナをツアーのオープニングに起用し、彼女に曲を歌われている例も多いのはやはりストーンズだろうか。〈Live Aid〉におけるミック・ジャガーとティナの凄まじいパフォーマンスはもはや語り草。

ソニー&シェールで同じ苦労を味わったからか、この〈ポップの女神〉と〈ロックンロールの女王〉は75年のTV共演から意気投合して仲を深めたという。示唆的な表題の本作ではティナの“Paradise Is Here”をカヴァー。後にティナも手掛けるメトロと組んだ『Believe』(98年)での前線復帰後は、ティナと同じロジャー・デイヴィスにマネージメントを委ねている。

訃報が届く前の今年初めの時点で、次のツアーが〈ティナにインスパイアされたものになる〉と語っていたピンク。クリエイティヴ・コントロールを握った路線変更作『M!ssundaztood』(2001年)から世界的にブレイクした彼女だが、その転機を推進したのはティナを手掛ける敏腕マネージャーのロジャー・デイヴィスであった。

もともと〈復活〉前のティナをよくクラブに観に行っていたというカナダの青春ロッカーは、この全米No.1作品で“It’s Only Love”をティナと熱血デュエットし、彼女の“Back Where You Started”(86年)を提供/プロデュースしてもいる。ちなみにティナは最終的に〈三銃士〉とのコラボをコンプリートすることに成功。

カヴァー巧者だけあって、そうと知られていないカヴァー曲も数多いティナながら逆のパターンもある。彼女のシングル“Typical Male”(86年)のB面に収まっていた“Don’t Turn Around”は、アスワドのレゲエ・ヴァージョンを経由して、スウェーデンから世界に飛躍したこの4人組の特大ヒットになった。

コーラス/ダンサー隊として、アイク&ティナのステージや音源を華やかに盛り上げたアイケッツ。PPアーノルドら多くのソロ歌手を生んだトリオだが、特にオリジナル構成員だったロビー・モンゴメリー、ヴェネッタ・フィールズ、ジェシー・スミスは、65年にアイクの元を去ってミレッツとしてデビューし、実力派ぶりを見せつけている。

68年にアイケッツに加入し、ティナと口論になるまでの数年間は活動を共にしたクラウディア。70年代にはソロ活動も行ったが、それより有名なのはアイク&ティナがローリング・ストーンズの前座を務めた時期にミック・ジャガーに惚れ込まれ、“Brown Sugar”のモデルになったことか。ボウイとも同様の逸話がある。

21世紀に入ってからは後進と絡む機会もほぼなかったティナだが、2008年のグラミー授賞式ではビヨンセと“Proud Mary”を弩級のコラボレーション。豪快なステージングの迫力は言わずもがな、ダンサーと大暴れする“Single Ladies (Put A Ring On It)”のパフォーマンスも強引に考えればティナっぽいかも?

低迷期のティナに手を差し伸べ、TVでのパフォーマンスに誘ったりもしていたロッド。その後はバーナード・エドワーズが制作したこちらの自作にてマーヴィン・ゲイ&キム・ウェストンのカヴァー“It Takes Two”でティナとの熱いデュエットを実現させた。

彼もまたアイク&ティナ時代からのファンだったという人。彼女のカムバック作にて“1984”がカヴァーされたことを受けてなのか、本作ではレゲエ風味のタイトル曲のデュエット相手に招いてシングル・ヒットさせている。ティナの『Live In Europe』では同曲に加えて“Let’s Dance”でもデュエットを披露した。