THE RONETTES 『Be My Baby: The Very Best Of The Ronettes』 Legacy(2011)
フィル・スペクターによる音壁と凛々しい歌声で、数多現れたガール・グループのなかで群を抜いていたロネッツ。シナロケの曲には〈Baby〉という歌詞がよく出てくるが、いわゆるロッカーが多様する〈ベイベー〉ではなく、“Be My Baby”や“Baby, I Love You”など、彼女たちのチャーミングなヒット曲にニュアンスのルーツありと見る。
鮎川が最初に買ったメガネが黒ブチになったのは、この人たちの影響。もちろん、影響されたのはルックスだけでなく、シナロケのサウンドのなかには、彼らやビートルズ、アニマルズといった英国のグループから授かった叙情性がしばしば顔を出す。ジョン・レノンがメガネをかけだした頃には、鮎川も丸メガネに。
ポピュラー音楽史に名を残す〈夫婦〉は数あれど、シーナ&鮎川のようにパワフルなパフォーマーということで言えば、この人たちということになるでしょうか。彼らの出世作となった本作のプロデューサーは、稀代のポップ・マジシャン、フィル・スペクター。さしずめシナロケにおける細野晴臣との邂逅に近いか。
2008年のアルバム『JAPANIK』で、かの名曲をカヴァーしたシナロケ。“My Way”といえば、わが人生を感動的に振り返る曲という認識が、独自の和詞を聴いてきた日本人には強くあると思われますが、シナロケが聴かせるのは〈まだまだわが道を突き進むぜ!〉的な頼もしい心意気。そういえばシド・ヴィシャスもそんなふうだった。
鮎川にとって初めて夢を託したバンドであり、新しもの好きでおもしろそうなレコードがあれば片っ端から買い漁っていたという柴山と過ごした時間は、彼を音楽家として逞しくした。シナロケ結成後も、柴山は作詞やプロデュースで頻繁に関わり、最新アルバム『ROKKET RIDE』でもいくつかの詞を寄せている。
コステロ初のジャパン・ツアーで前座を務めたのが、ファースト・アルバムをこしらえたばかりのシナロケ。似たようなメガネをかけていた鮎川は、ステージに上がるや否や失笑を浴びたそうだが、そこで奮起したバンドの演奏は、メインがかすむほど素晴らしかったそうだ。インテリ風情だけど生粋のロッカー同士、その後も親交を温めていく。
80年の初来日公演でフロント・アクトを務めて以来、なかでも同じメガネ・ルックのジョーイと鮎川の親交は深かったようだ。ロックンロールの激情とポップネスを併せ持ったその音楽性は両者に通じるところで、生き様も含めて学ぶべきところも両者には多い、まさに〈Rock ‘N’ Roll High School〉的な存在。
シナロケがYMOとのコラボレーションでニューウェイヴの追い風を受けていた頃、お茶の間にまでその名を広めていたのが、近田春夫のプロデュースでデビューしたこの4人組。ヴォーカルのイリアはイケイケのガールズ・バンド出身だったり、当時のシナロケ同様、テクノ・サウンドの下にはロッキンなスピリッツが。
北の地。中標津(しるべっと)に想いを馳せた曲“シルベット”を書いた浅井健一と、かの地の知人に託された愛犬に同じ名を付けた鮎川。ロケッツの同名曲にインスパイアされた豊田利晃監督の映画「I’M FLASH!」では、中村達也がI’M FLASH! BANDを結成。“I’M FLASH”には、浅井と鮎川による幻のレコーディング音源もある。
シナロケとの交流はたぶんないが、若き日のシーナや鮎川のように、ヴィンテージなブルースやロックンロールに魅了されてバンドを始めたという頼もしい存在。チャーミングなルックスとは裏腹にスモーキーな歌声を聴かせる中野ミホの将来も楽しみである。現A&Rは福岡出身(一応、豆知識として)。
内田裕也が主宰するカウントダウン・イヴェント〈New Years World Rock Festival〉に35年間参加しているシナロケですが、裕也さんの29年ぶりとなるシングル、そのMVに参加する豪華顔ぶれのなかには鮎川も。彼が〈九州のアイドルはやっぱHKTやね~〉と言ったかは定かではないが、さしこ自体は大分出身なんよね~。