2024年2月19日(月)に開催するライブ〈BAD HOP THE FINAL at TOKYO DOME〉で、BAD HOPが解散する。ラジオやABEMAの番組「BAD HOP 1000万1週間生活」への出演、さらにラストアルバム『BAD HOP』および同作のアップグレード版『BHG Edition』『Deluxe Edition』のリリースが話題になる中、フッドである川崎から出発したドラマ、フリースタイル全盛期の活躍、日本のヒップホップシーンへの献身など、その歩みや彼らが残した音楽にも再び注目が集まっている。
Mikikiは今回、BAD HOPの解散に向けて、全キャリアから重要な5曲を独自に選んで、それぞれライターにレビューしてもらった。もちろん名曲、重要曲はほかにも多数あるので、BAD HOPの〈伝説〉をここから改めて辿ってもらえたら幸いだ。 *Mikiki編集部
Chain Gang(2015年)
by 韻踏み夫
2015年は、BAD HOPの名がシーンに知られ始めた年だと言える。5本のMVシリーズ〈BAD HOP EPISODE〉が1年をかけてアップされた。“Chain Gang”は、その最後を締めくくる一曲である。
彼らはフッドである川崎というトポスを発見し、それが衝撃を与えた。先駆がなかったわけではない。同じ川崎を拠点とするレジェンドであるSCARS“MY BLOCK”では〈Southside川崎 Stand Up〉と歌われていたし、SEEDA“影絵(川崎~大田)”は川崎の工場地帯を不穏に描いた。また、ゲットーのリアリズムという意味では、ANARCHYがいた。そうした系譜を想起させつつも、彼らは新しかった。
BAD HOPは単に地元を歌ったわけではない。日本語ラップの伝統につらなって、彼らも風景論的な翻訳を実行した。東京-ブロンクス(いとうせいこう)、名古屋-クイーンズ(TOKONA-X)、そしてここでは川崎-シカゴ。つまり彼らは、川崎サウスサイドと、シカゴのサウスサイドとを、ゲットーと南部性という点で重ね合わせたのだ。“Chain Gang”のビートは、チーフ・キーフに代表されるシカゴドリルという当時隆盛していたジャンルに属するが、これは〈シャイラク〉とまで呼ばれたシカゴのきわめてハードな環境から生まれた音楽だった。こうした時代性と翻訳的に切り結ぶことでこそ、川崎サウスサイドは発見されたのだ。
彼らの詩才も、この時点ですでに〈毛並み〉が違った。Tiji Jojoは歌う。川崎とは、〈工場以外何にもない/排気ガスで煙たい町〉だ。そこで育ったのだから、彼らも〈この町みてーにChain smoke〉する。環境と主体、フッドとラッパーが〈鎖〉のように結び付けられているということ。彼らはゲットーに〈鎖〉で結ばれ隷従させられるということ。しかし仲間との〈血なんかより濃い繋がり〉の〈鎖〉も手にしているということ。
Benjazzyはさらに、この〈チェインギャング〉の連帯を、レイシズムにあらがいながら、マルチチュード的に広げようとする。
物心つく頃に居た仲間なら多国籍でも
鎖国的なAsian Jap
Korean Chinese 南米繋がれてる
川崎のWe are Chain gang
かつて、ヒップホップは(裕福で平和な!)日本には根付かないと言われていた。しかしBAD HOPの登場は、その図式がテン年代において逆転したのだと述べた、宇多丸の次の言葉を完璧に裏付けるものだった。「残念ながら、日本はヒップホップが似合う国になってしまいました」!