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ボブ・マーリー
Photo by Adrian Boot (Fifty-Six Hope Road Music Ltd.)

ブロンクス育ちのカリブの血がボブを深く理解させた

――それがよい映画を生んだ理由ですね。あなたには大変な才能がある。そして出身がニューヨークのブロンクスだと聞きました。実は私も70年代後半にサウス・ブロンクスにいたんです。そこにはカリビアンミュージック、サルサがあって、ヒップホップの萌芽があり、レゲエがあった……すべてが同時に存在した現場を体験して、目が開かれました。だから、監督はわかっているな、と思いました。育った頃の話を聞かせてもらえますか。

「ありがとうございます。そうですね、母方はプエルトリコがルーツなので、ご指摘のようにカリブ系の人々の経験は身近にあり、多くの影響を受けていると思います。つまり、音楽や行動様式、いかにダンスを踊るのか。カリブ諸国では音楽がどれだけ重要な基盤であるか、など。

実際、ラテン文化とレゲエは互いに影響しあっているので、私は自然とレゲエの影響を受けているのでしょう。血の一部なんです。表現するのは難しいけれど、文化や経験が凝縮されているから、私たちは自然と踊ることができる。

すべてが一般化されるわけではありませんが、ラテンという特定の文化、道徳観、モラルの中で育ったので、何も持たないということがどういうことか、深く理解することができます。ブロンクスで育ったなら、持てる者と持たざる者がいることを学ぶでしょう。街は貧困が大きな部分を占め、私の両親も恵まれた環境で育ってはいません。だから私は、映画で描いたボブのキャラクターや経験に共感できるのです。

でも、彼らは最も幸せな人たちですよ。ボブは、痛みを喜びに変えることができた。経済的には貧しくても、家族がそばにいるなら必ずしも貧しいとは思いません。家族は豊かなものです。私は自分の人生がとても豊かなものだったと感じていました。お金を手に入れたいまは、かえって貧しく感じます。周りにはとてもリッチな人がたくさんいますから(笑)。

そこで、いまはまったく違う世界に住んでいるけれど、映画を撮ることで自分が元いた思い出の場所へ戻ることを試みました。家族や友情といったところへね。映画を見てもらって、そんな人と人とのつながりを感じてもらえたら嬉しいですね」

――製作者のジギーやリタさんとは何を最も話し合いましたか? 逸話を1つ教えてください。

「大半の時間はジギーと過ごしました。もちろん、ボブのほかの家族にも会ったけど、ジギーは毎日撮影現場に来てくれ、まさに家族のような関係を築くことができた。彼は真のプロデューサーで、朝5時の集合でもしっかり5時に現場にいました。とてもいい協力者に恵まれましたね。

そして、この映画の基礎にはスピリチュアリティがあります。ジャー・ラスタファリ、ラスタファリアニズム……。私とジギーは、それらを隠すことなく、映画に受け入れることにしました。ミュージシャンと信仰について描いた映画は珍しく、ボブの信仰がどれだけ深いものだったかを描いたものはほかにありません。ジギーと話し合って映画に取り入れることができ、とても満足しています」