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世界デビューから50周年! ABBAの旅路を辿ってみよう

 50年の長きにわたって愛され続けているという事実そのものが、アバとその音楽の魅力を語るうえでの何より明快な裏付けに他ならない。アグネタ・フォルツコグ(ヴォーカル)とビヨルン・ウルヴァース(ギター)、ベニー・アンダーソン(ピアノ)、そしてフリーダことアンニ・フリード・リングスタッド(ヴォーカル)の頭文字……ABBAを繋ぎ合わせてアバ。4人は74年4月の〈ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト〉に出演して“Waterloo”で優勝し、スウェーデンから世界の音楽シーンへ飛躍して、数年で記録的な成功を収めるに至った。そんな記念すべき世界デビュー50周年のタイミングに届いたのが、彼らのシングル集となるベスト・アルバム『The Singles: The First Fifty Years』である。こちらには72年のデビュー・シングル“People Need Love”から2021年の最新作『Voyage』発のシングル群まで全38曲が収録。日本盤は高音質SHM-CDの2枚組となり、さらに7インチ紙ジャケット仕様のパッケージとなるデラックス・エディションは、両面ポスターやステッカーシート、“Waterloo”のシングルEPをスキャンしたディスクホルダーなどが付く豪華な内容となっている。

ABBA 『The Singles: The First Fifty Years』 Universal/ユニバーサル(2024)

 

華々しい飛躍

 アバの伝説が始まったのは66年、もともと〈スウェーデンのビートルズ〉と呼ばれたヘップスターズというバンドで活躍したベニーと、スキッフル・グループのフーテナニー・シンガーズに在籍していたビヨルンが出会って意気投合し、コンビで曲作りをするようになったのがすべての起点となる。その頃アグネタとフリーダの二人はそれぞれソロ歌手として活動していたが、69年に公演先で出会ったベニーとフリーダが婚約し、数か月後にはTV番組で出会ったビヨルンとアグネタが結婚……と、2組のカップルという形で4人の結び付きは始まった。

 70年にはビヨルン&ベニー名義の曲“Hej Gamle Man”のレコーディングにアグネタとフリーダが初めてコーラスで参加。そうするなかでデュオは4人組の活動へ拡張され、72年に〈ビヨルン&ベニー、アグネタ&アンニ・フリード〉名義で“People Need Love”をリリース(同年にデュオの“She’s My Kind Of Girl”が日本で大ヒットして〈世界歌謡祭〉で東京に招かれているが、その際も4人で来日した)。4人の連名では73年の“Ring Ring”が本国スウェーデンのチャートで首位を獲得し、同名のアルバムも発表する。ただ、長い名前が煩雑だったのか、74年の2作目『Waterloo』ではグループ名を〈ABBA〉に変更。そこからのシングル“Waterloo”が同年4月に英ブライトンで開かれた〈ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト〉にてグランプリを獲得し、シングルも全英No.1を含めて欧州各国で大ヒットを記録することになった。

 以降の華々しい飛躍については今回のシングル集にまとめられた楽曲たちが物語る通りだが、ビートルズやブライアン・ウィルソン、フィル・スペクター、ビー・ジーズらの影響を受けたベニーとビヨルンのメロディックな音楽性は、情熱的なアグネタとフリーダの歌声によって振り幅を広げ、世界的なディスコの流行にもシンクロしながらヒットを量産していった。75年の“SOS”と“Mamma Mia”は全英1位に輝き、76年の“Dancing Queen”は初めて全米No.1を獲得。以降も“The Name Of The Game”(77年)や“Take A Chance On Me”(78年)、“Chiquitita”(79年)などのヒットを連発して世界的なトップスターとなった。

 そうしたなかで78年にはベニーとフリーダが結婚するが、初の来日公演も行なわれた80年にはビヨルンとアグネタが離婚。81年にはベニーとフリーダも離婚を発表し、同年のアルバム『The Visitors』を最後にグループは実質的な解散状態に入る(結果的に80年3月27日の日本武道館公演がアバとしての最後のステージとなった)。ベニーとビヨルンはプロデューサーとして活動を継続し、フリーダとアグネタもそれぞれソロ活動を再開。活動停止の原因が2組のカップルの関係破綻に起因するだけに、それぞれ思うところもあったはずだが、グループの音楽と築き上げてきたブランドイメージを守る意識は各々に共通していたに違いない。