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ドラマ主題歌、CMソング、テレビ発の企画が入り乱れたタイアップ文化

また、この時代の音楽ビジネスについて語る時に重要なのが、タイアップ。1980年代に花開いた広告産業とカルチャーの結びつきによる波及効果、メディアミックスがもはや特別なことではなく〈前提〉となったのが1990年代。例えば、小田和正“ラブ・ストーリーは突然に”、DREAMS COME TRUE“LOVE LOVE LOVE”、CHAGE and ASKA“YAH YAH YAH”などは、いずれも人気ドラマの主題歌として、お茶の間に登場しました。そして化粧品、インスタント食品、ジュース、かぜ薬、旅行会社、様々な商品・サービスのCMソングとして流れるJ-POP。さながら、あらゆるポップスは消費のサウンドトラックであることが運命づけられているかの如き様相です。

タイアップはCMやTVドラマに留まりません。音楽活動そのものが、テレビの企画ありきのバンドやユニットも多く登場しました。「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の番組内コントから始まったユニットであるポケットビスケッツ(~ブラックビスケッツ)や、「雷波少年」での〈オリコンチャート20位以内に入らなければ解散〉という崖っぷちのチャレンジで一躍有名になったSomething ELseなどなど。

H Jungle with t“WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント”や猿岩石“白い雲のように”など、お笑い芸人によるヒットソングもこのラインに連ねていいでしょう(お笑い芸人による音楽リリースはもちろんそれ以前からありましたが、レコードでも〈ボケ〉ていたそれ以前の芸人と比べて、1990年代以降に顕著なのは、青春~人生の応援歌的な〈マジ〉な歌が増えていった所ではないでしょうか)。

ちなみに筋肉少女帯の大槻ケンヂはこの時代について、その名もずばり“タイアップ”という曲で、またエッセイ「ボクはこんなことを考えている」で、狂乱のタイアップブームについて自嘲的に語っています。また、Original Love・田島貴男は自著「ポップスの作り方 田島貴男」で、あの“接吻 kiss”の制作について、トレンディドラマの主題歌だったため非常にピリピリした現場で、タイトなスケジュールの中何とか完成させ、手ごたえに自信がなく「次は頑張ります」と答えた話をまとめて〈あの頃はタイアップさえ付けば売れたと思われがちだけど、そんな簡単なものではなかった〉と記しています。ミュージシャンから見たCDバブル時代の一場面は、なかなか興味深いのではないでしょうか。

 

CDショップの隆盛と宇多田ヒカル『First Love』の衝撃

レコードショップの風景も変わります。それまでレコードとカセットが占めていたスペースが、徐々にCDコーナーに置き換わり、CDこそが主力商品となっていきます。当初はこだわりのオーディオマニアや新しもの好きのヤングに対して、CDの技術的な革新性や音質がPRされていた訳ですが〈レコードよりもスリムで気軽に音楽が楽しめる〉というコンビニエンスな魅力こそが、広く一般に受け入れられる要因であったと言えましょう。

ちなみにCD/レコードストアとしては世界最大級の店舗と言われるタワーレコード渋谷店が現在の場所にオープンしたのが1995年。いずれはこの連載で、この最もCDが売れていた時代に、CDショップとして働いていた方々の話なども伺いたい所。

そしてディケイドを締めくくる1999年、いよいよあのCDがリリースされます。初動で200万枚、年間で765万枚という記録的なセールスとなった、宇多田ヒカルの『First Love』です。もはやここで語るまでもないほど知られたアルバムですが、CDの黄金時代を象徴する一枚としても重要な作品と言えるでしょう。

宇多田ヒカル 『First Love』 東芝EMI(1999)