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沖野と小山田の人生初レコーディング

――VELLUDOは、1988年当時7インチ(“Self Love Portrait”)を一枚だけ出していますが、これはどういった経緯でリリースされたんでしょうか?

沖野「当時僕が付き合っていた子の繋がりです。その子の友達の彼氏が、Office Paraっていうインディーズレーベルをやってる人の弟だったんです」

小山田「近いような、遠いような……(笑)。当時、キャプテン・レコードとかあの辺りのインディーズブームがあって、Office Paraもその周辺のレーベルだったような。DIP THE FLAG(筆者注:dipの前身バンド)からサイコビリー系のバンドまで、結構幅広い感じだったよね」

沖野「オーナーの大脇(康昭)さんにデモを聴かせたら気に入ってくれて」

――それで早速レコーディングに入ったわけですね。

小山田「はい。人生で初めてのレコーディングで、小田急線の狛江にある街スタのオールナイトパックでやった記憶があります(笑)。エンジニアも、そのスタジオの人がやってくれて。ミックスもその人と大脇さんが一緒にやったんじゃないかな。

当時はレコーディングのことなんて何にもわかってなかったけど、今聴くと、わからないなりに色々やっているんですよね。“Velvet Sun”の終わりのところで、当時僕がディスクユニオンで100円ぐらいで買ったブルガリアンボイスのレコードをサンプリングしてみたり」

沖野「あ〜、そういうのも一応やったね(笑)」

――どれくらいプレスされたか覚えていますか?

小山田「相当少なかったと思います(笑)」

沖野「一応『FOOL’S MATE』にレビューは載ったよね(笑)。そこから、次のシングルを出すつもりで“Mighty Mystic Eyes”と“Candy Rain”を録ったんだけど、大脇さんが突然失踪してしまってオクラになっちゃって(笑)。2020年にYouTubeにアップしたのは、そのときの音源です」

――ライブも結構やられてたんですか?

沖野「いやいや、10回もやってないと思います」

小山田「新宿のANTIKNOCKとか、渋谷のLIVE INNとか。固定ファンも5〜6人はいた気がする(笑)」

沖野「LIVE INNはOffice Paraのイベントも結構やってたよね」

小山田「結構大きなハコなのにね。お客さんは全然入ってなかったけど……(苦笑)」

 

沖野の海外放浪とフリッパーズ・ギターのブレイク

――そしてその後、セカンドEPのお蔵入りとともに、バンドも自然消滅した、と。

小山田「そう。沖野くんが突然ニューヨークに旅立っちゃうんですよ。特に〈バンド続けようよ!〉みたいな話し合いもなくて、〈そうなんだ、気を付けて行ってきてね〜〉みたいな感じでした(笑)」

――なぜニューヨークに行こうと思ったんですか?

沖野「シングルを出してみて、何か反応があってあわよくば有名になれるかなと思っていたんですが、見事に皆無で。〈日本じゃダメだ〉って日本のせいにして(笑)、音楽やるならやっぱり海外だと意気込んで行ったんです。行ったはいいけど、結局バンドもやらずほとんどレコード屋通い(笑)。

あとは、ライブハウスにも結構行きましたね。当時のイギリスの人気バンドがまだ小さな会場で観られたんですよ。『Isn’t Anything』(1988年)を出した頃のマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのライブを、30人くらいしかお客さんがいないところで観ました(笑)。あとは、ハッピー・マンデーズをCBGBで観たり。あれは忘れられないですね」

小山田「ニューヨークの沖野くんから〈プライマル・スクリームを観たよ〉って写真付きで手紙が送られてきたのを覚えてます(笑)」

沖野「そうこうしていたら、VELLUDOのベースの西森(均)が、日本からフリッパーズ・ギターのファースト(1989年作『three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった』)を送ってきたり、小山田くんも手紙で〈タイアップが決まったり、なんかすごいことになっちゃってるよ〉って書いてきたり、かなり焦ったのを覚えています。こんなことしている場合じゃないぞ、と(笑)」

小山田「ニューヨークの後にロンドンにも行ってたよね。その時期、フリッパーズのPV(1990年の“恋とマシンガン”)の撮影でパリに行った時、街中で偶然沖野くんと会って(笑)」

沖野「そうそう。本当に観光でただ街を歩いていただけなんだけど(笑)」

小山田「その後僕もロンドンに遊びに行って、沖野くんの家に遊びに行きました。当時、マンチェスタームーブメントど真ん中の時代で、ちょうどストーン・ローゼズがブレイクした後で、プライマル・スクリームの“Loaded”がヒットしてたり、そういう状況だったよね。ローゼズの“Fool’s Gold”のPVを沖野くんの家で見た気がする」

――そういう経験が後のお2人の音楽的な蓄積に繋がっていくわけですね。

小山田「そうそう。で、沖野くんもしばらくすると日本に帰ってきて、VENUS PETERをはじめるんです」