世界中にロックバンドの復活劇は数あれど、結成から数えて37年の時を経て初めてのアルバムを制作し、実際にリリースしてしまうなどという例が、過去にどれほどあっただろうか。
VENUS PETERのフロントマンで、現在はソロアーティストとしても活動する沖野俊太郎が、そのキャリアの最初期にあたる1987年、フリッパーズ・ギターとしてデビューする以前の小山田圭吾を誘って結成したバンドが、VELLUDOだ。散発的なライブの他は、1988年に一枚のEPを残したのみで消滅してしまった同バンドは、おそらく、両者のコアなファンには少なからずその名が知られているだろう。しかし、当時そのライブを目にし、レコードを手にしたものはごく少数で、よくある言い方をあえてさせてもらうならば、正真正銘の〈幻のバンド〉だった。
しかし、昨年2023年。そのVELLUDOが突然の復活を遂げ、一夜限りのライブを披露したのだから驚いた。しかも、ライブにとどまらず、こうして初めてのアルバムを作り上げてしまったのだから、輪をかけての嬉しい驚きとはこのことだ。
以下のインタビューで語られている通り、当時のレパートリーをなるべく〈そのまま〉レコーディングしたという本作『Between The Lines』は、いわゆる〈リユニオン盤〉によく聴かれるような円熟のムードとも異なる、一種不思議なほどのフレッシュさを湛えている。それは、沖野と小山田をはじめとしたメンバーたちが、あの当時に抱いていた同時代の音楽へのみずみずしい思いが、〈そのまま〉パッケージされているからなのかもしれない。
結成の経緯から、当時の音楽的な関心、再始動に至る流れと今作の内容について、沖野と小山田の2人に語ってもらった。
偶然の出会いから生まれたネオサイケバンド
――改めて、1987年当時どういった経緯でVELLUDOというバンドが結成されたのか教えていただけますか?
沖野俊太郎「当時僕は文化服装学院に通っていて、普段から割と派手な格好をしていたんですが、ある日原宿を歩いていたら、ある人にいきなり声をかけられたんです。〈私、バンドをやりたいと思っていて、今ボーカルを探してるんです〉って。それが、後にフリッパーズ・ギターのメンバーになる(現ライター/エディターの)井上由紀子さん。僕はギタリストだったので〈ボーカルはイヤだけどギターならいいよ〉と答えたんです。
連絡先を交換したらその後実際に電話をくれて、井上さんの家に何人かで集まる機会があって。で、部屋にあった『POPEYE』を井上さんが見せてきて、ストリートスナップのページに載っていた写真を指差して、〈私、ボーカルはこの子がいい〉って言ったんです」
小山田圭吾「それが僕(笑)」
沖野「そしたら、たまたまその日一緒に部屋に集まっていた太田くんっていう子が、〈あ、彼なら知っているよ〉って言って(笑)」
小山田「高校の頃に、友達とコピバンを組んで新宿のJAM STUDIOでライブをやったりしていたんですけど、太田くんもその時に対バンで出ていて。それ以来の知り合いだったんですよ。
それで井上さんから今度は僕に電話がかかってきて、バンドに誘われたんだよね。その頃は特に何にもやってなくて絵の専門学校に通いながらバイトして過ごしている感じだったから、〈いいですよ〉って話を聞きに行ったんです。そしたら、井上さんはどうやらプラスチックスとかああいうテクノポップっぽいものをやりたかったみたいなんだけど、僕と沖野くんは少し違っていて。沖野くんは60sのサイケとかが好きで、僕もニューウェーブの中でももっと暗いのが好きだったから(笑)」
沖野「そうそう」
小山田「その時に、沖野くんからドアーズの“Break On Through (To The Other Side)”を宅録でカバーしたテープをもらって聴いてみたら、すごいカッコいいなと思って。エコー&ザ・バニーメンの話でも盛り上がったよね。で、沖野くんが中学時代の友だちと一緒にVELLUDOというバンドを始めるという話を聞いて、僕も誘われたという経緯です」
沖野「実際は小山田くんの後に中学時代からのバンド仲間を誘って結成して、バンド名はその後付けました」
――片や井上さんの方のバンドが、Pee Wee 60’s〜ロリポップ・ソニック(筆者注:フリッパーズ・ギターの前身バンド)に繋がっていったということですね。
小山田「そういうことです」
――沖野さんのやりたい音楽的な方向性みたいなものは、当初から割とハッキリしていたということですかね?
沖野「あんまりそういう感じでもなくて。元々モッズ系のバンドとか古いロックが好きで聴いてはいたけど、ネオサイケ的なものをやりたいねという話になったのは、やっぱり小山田くんと出会ってからでしたね。小山田くんの家に遊びに行くようになって、色々な音源を聴かせてくれるようになったので、僕も徐々にフェルトとかエコバニとか、80年代のUKのインディー〜ネオサイケ的なものが好きになっていきました」