
映像作品「FANCLUB LIVE “ALDEA Bar at Tokyo 2024”」とトリビュート盤『中森明菜 Tribute Album “明響”』がリリースされるなど、話題が尽きない中森明菜の2025年。タワーレコードではカタログキャンペーンも開催中だ。そんな中森明菜の『明響』収録曲の原曲や重要作をレビューする企画〈歌姫・中森明菜の伝説〉。第3回は3枚目のシングル“セカンド・ラブ”について。 *Mikiki編集部
“スローモーション”“少女A”に続く3rdシングルとして1982年11月10日にリリースされた“セカンド・ラブ”だが、実は3枚目がこの曲に決まるまで、舞台裏は大荒れだったらしい。
薬師丸ひろ子の“セーラー服と機関銃”でヒットメイカーとして名を売った来生えつこ&たかおが提供した“スローモーション”で、当時のアイドルとしては異例のバラードでのデビューを果たした中森明菜だが、(その後ロングヒットを記録するとはいえ)当初のセールス不振はレコード会社の担当者らに激震を与えた。そこで急遽戦略の変更を迫られ、のちにチェッカーズの作品でヒットを連発する売野雅勇&芹澤廣明のコンビが書いた、破格のインパクトを持つナンバー“少女A”が2ndシングルに採用される。
かくして聖子ちゃんカットだった清純派アイドルは世相を反映した非行少女的な眼差しを向ける〈少女A〉へとセンセーショナルなイメージチェンジを遂げ、楽曲は大ヒットを記録したわけだが、しかしそれにより、次のシングルの方向性をめぐって制作サイドの意見が割れる。当初、再び来生姉弟を起用した“セカンド・ラブ”で内定していたというが、“少女A”と同じ路線の“キャンセル!”(1982年10月27日リリースの2ndアルバム『バリエーション〈変奏曲〉』の収録曲で売野が作詞を担当)をシングルとして推すムードが高まっていったのだ。
“セカンド・ラブ”か“キャンセル!”か――。一時は後者に大きく傾いたというが、最終的に、ツッパリ路線や企画モノのアイドルとしてイメージが定着するのを忌避し、あくまで中森明菜はその圧倒的な歌唱力で勝負するという方針が固められる。仮に“キャンセル!”が3rdシングルだったとしてもヒットしていたに違いないが、振り返ればこの判断が、その後のキャリアの命運を分けたかもしれず、当時の担当者の先見性や慧眼に今さらながら手を合わせたい。本人の才能と努力はもちろんだが、そうした有能なスタッフの存在が〈中森明菜〉という名ブランドの確立を支えたのだ。