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幼少期から感じていた世間とのずれ

――では、家主のライブ盤(『INTO THE DOOM』)についてはいかがですか?

家主 『INTO THE DOOM』 NEWFOLK(2025)

「正直、恥ずかしくてあまり聴いてなくて。自分がしゃべったり歌ったりしている姿を見たくないんですよね。コロナ禍だった頃にやったライブなので、歓声が少なくて拍手の音くらいしか入っていないので、過大評価されない材料にはなっていると思います」

――どういうことですか(笑)?

「めちゃくちゃ歓声が入っていたら、〈この人たちはすごく人気なんだ〉って演出されちゃうじゃないですか。演奏が終わって〈パチパチパチ〉ぐらいの方が自分たちらしいというか、適正な評価だと感じるんですね」

――それは美学としか言いようがないですね。ヤコブさんのルーツはこれまでのインタビューでも語られていて、必然的に音楽的な語彙が豊かになってしまう環境にいたんだなと思います。その中で親のレコード棚はどの程度影響がありましたか?

「9割……いや、7、8割ぐらいですかね」

――デカいですね。

「そうですね。親父がビートルズオタクで、オリジナルパワーポップみたいな音楽を生まれた頃からずっと聴かされていたので。バッド・フィンガーとかジェフ・リンのアイドル・レース、ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)とか。日本だと大滝詠一、ムーンライダーズ、カーネーション、KAN、スピッツ……」

――カーネーションを聴いたのはお父さんの影響なんですね。

「そうです。幼稚園で友達に〈カーネーションって聴いてる?〉と聞いても、誰も聴いてなくて」

――それはそうですね(笑)。

「その頃から世間とのずれを感じていました。中学ぐらいで同級生と音楽の話をするのはやめましたね」

――お父さんはセミプロで音楽をやっていたんですか? それともプロとして活動したものの、一瞬で辞めちゃったのでしょうか?

「詳しくは知らないのですが、恐らく一瞬で辞めた感じです。妙にレベルの高い親父バンドがいる界隈、みたいな感じでした。(エリック・)クラプトンくらい上手いおっさんが親父の周りに普通にいて、〈なんでこの人はスタジオミュージシャンじゃないんだろう?〉みたいな人が全然いましたね。

高校に入った頃からさらに音楽の話題を共有できなくなって、そこからプログレとかメタルとかに向かった感じです」

 

打ち込みを好きになりたいのに、心はボンゾのドラムを求めてしまう

――ちなみに、初めてオリジナル曲を書いたのはいつ頃ですか?

「高校2、3年だと思います。人間椅子と四人囃子とブラック・サバスを足して、みたいなインストを作っていました」

――それはどういう録音環境で録っていたのでしょう?

「ZOOMの小型MTRですね。お年玉かなんかで買ったものです。他にもお金を貯めて、ビッグマフとLine 6のディレイと……」

――いきなりオリジナルの曲作りに向かったんですか?

「いえ、中学でギターを弾きはじめて、ディープ・パープルとかレッド・ツェッペリンとかクイーンとかコテコテのやつをコピーしていました。自分で歌うことは考えていなくて、ギタリストになりたかったんです」

――テクニカルなギタリストになりたかったんですよね。

「そうです。本当はスラッシュメタルをやりたかったので」

――そこは聞きたかったんですよね。70sのパワーポップが好きでありながら、メタルに関してはスラッシュという。

「人間椅子を好きになって、そこからメタリカや筋肉少女帯もすごく好きになりました。ダイムバッグ・ダレルがやっていたダメージプランとかザック・ワイルドとか、ブルースを感じる泥臭いものが好きだったんだと思います。

イングヴェイ(・マルムスティーン)とかはあまり好みじゃなくて、ポール・ギルバートとかもコピーしたことはありましたが、自分の限界を感じちゃって。速すぎるというか、ちょっと〈スピード違反〉な感じで(笑)、まさについていけなかったんですね。今でも全然聴きますけど」

――(笑)。あれはほぼアスリートの世界ですからね。

「そういうオリンピック的な音楽も吸収はしたんですけど、それと並列ではっぴいえんどとかも聴いていたので、大学に入ってから〈こういう音楽を聴いている人はこういうタイプが多いんだ……〉というような、各音楽の立ち位置を自分の生活の中でジャンル分けしていく作業がのちに行われました。その中で自分はどういうものを作りたいのかという」

――なるほど(笑)。一つのジャンルを突き詰めるのではなく、自分に紐づいて入ってきたものと一個ずつ向き合っていった感じですね。

「そうですね。自分は国で音楽を聴くことがまずなくて。〈それ、イギリスのバンド? アメリカのバンド?〉と聞かれることがありますが、〈イギリスでもアメリカでもどっちでもよくね?〉って思っちゃうんです。仮にAC/DCがオーストラリアのバンドでなくても、かっこよければどうでもいいというか」

――それよりもサウンドの共通性ってことですよね。

「そうです。アナログで録っている感じとか、録音当時の機材の共通性で聴いているかもしれません。

当時から好き嫌いがすごくあったので、2000年以降は打ち込みに対しての忌避感があって、ヒップホップとかに素直にいけなかったんですね。聴いている人ともあまり水が合わなかったですし。好きになりたい気持ちはあるのに、心はボンゾのドラムを求めてしまうというか(笑)。生きづらいです」