グローカルミュージックの想像力というのは、何も地方や郊外の専売特許ではなく、都市の真ん中であっても花を咲かせるものだ。首都・東京に限れば、ひとつ前のディケイドではceroやシャムキャッツのような東京インディーの役者たちが次々に登場し、さらに遡れば渋谷系という今や世界中の音楽マニアが認知しているムーブメントがあった。数多のプレイヤーが入り乱れることによって発生する交雑を彼らは歓迎し、独自のシーンを築いていた、らしい。
座布団忍者は、それを知っていた。2025年に早稲田大学の軽音サークルで結成された現役大学生による4人組バンド。3人のソングライターを有し、レゲエにロックステディからブルーアイドソウルにチーチャ/クンビアetc.と興味の赴くままに音楽を手に取りながら、日本語詞のキャッチーなメロディーでそれらを料理する若き才能。須藤朋寿率いる〈NEWFOLK〉よりデビューアルバム『Still, You Dance』を発表し、下北沢・BASEMENTBARでのリリースパーティーはソールドアウトした。こうやって並べると眩く映るかもしれないが――実際、ステージの上の彼らは眩い――座布団忍者は澄み切った眼で自分たちの鳴らす音を実直に観察している。自意識と照らし合わせて、理知的に、2026年の東京における〈ポップミュージック〉の在り方を考えながら。
『Still, You Dance』という大変に聴き馴染みよく、それでいてステップをさりげなく誘う作品の裏側に張り付いているフィロソフィーは、とてもではないが一言で説明できない。以下にお届けするのは、そんな怪作を生み出した座布団忍者の初となるインタビューだ。先に言っておくが、少し長くて、どこか拗れている。しかし〈ワールドミュージック〉というラベルとの距離感と〈東京の大学生〉という4人の本人性を、『Still, You Dance』という泣きながら微笑みかけるポップアルバムの栞として記憶の隅に留めておくことは、あなたのダンスを妨げることと全くイコールではない。
断言してみよう、少し頭でっかちの方がダンスフロアは楽しい。疑問に思うならば、今日は『Still, You Dance』という3つの単語を覚えてもらうだけで結構。ただ、その呪文はついて回る。そしてあなたは必ず帰ってくる。彼らの用意した、高温多湿の天国に。
バラバラでもない4人の出身地
――早稲田大学の軽音サークルで結成されたそうですが、みなさんの出身はバラバラですか?
秋田温奏(ギター/ボーカル)「僕は茨城です。今日も土浦から来ました」
金子凌大(ドラムス)「高校まで土浦にいて、秋田くんともその時に知り合いました」
野﨑千鶴(ベース/ボーカル)「私は東京出身です」
河上憲将(ギター/ボーカル)「僕も東京、聖蹟桜ヶ丘。そんなにバラバラじゃないけど、大丈夫ですか?」
――大丈夫です(笑)。とはいえ、茨城出身の方が関東の大学サークルで結成されたバンドに2人いるのは珍しいというか。
秋田「同郷の田山ショーゴっていうシンガーソングライターと地元にいる頃から交流があったんです。それで大学に入った時に早稲田のサークル事情を聞いて、今入っているRock Climbingや中南(中南米研究会)をオススメしてもらいました。知らないサークルでしたけど、高校の頃からダブとかロックステディが好きだったので、何とか馴染めました」
金子「僕は秋田くんと同郷だけど高校は別で、顧問不在の軽音同好会で出会ってるんです」
秋田「当時は上手いドラマーが自分の高校にいなかったから(金子)凌大さんを呼んでたんです。それで〈大学でバンドをやろう〉って決めた時、別のサークルから凌大さんを引っ張ってきました」
――当時から金子さんは上手かったんですか?
秋田「上手かったですねぇ。〇〇の人に教わっててね」
金子「それ言っちゃダメじゃない(笑)?」
――〈某有名バンド〉としておきましょう。
金子「(笑)。高校に入ってドラムを始める時にレッスンの先生を探して、そこで色々教えて貰ったんです」
秋田「ポリスを聴いていて、レゲエのフィーリングもわかるドラマーって茨城の高校生にはいなかったんです。凌大さんは(スチュワート・)コープランドも好きで、かつ手堅いドラムを叩く人で。なので大学に入ったら誘おうと決めていました」
――秋田さんはどうやってダブやロックステディを知ったんですか?
秋田「最初はポストパンクが好きだったんですよ。ポップ・グループとかスリッツとかオレンジ・ジュースを聴いていたら、ある日デニス・ボーヴェルというプロデューサーの名前がそのレコードに書いてあることに気づいたんです。それでUKダブを知って、レゲエやロックステディを辿ってハマりました」
