ファドを描く至上の音楽漫画にして、胸打つシスターフッドの物語
いしいひさいちが四コマ漫画における手塚治虫級の革新者であり、巨匠であることは言うまでもない。絞り込まれつつ最大限の効果を発揮する線画と、構成の巧みさや卓抜なセリフ回しで、日常、スポーツ、政治、現代思想まで森羅万象を鋭利な批評性を秘めた愛ある笑いに換える。
その手法により音楽を描く漫画が「ROCA」だ。「ののちゃん」のスピンオフとして始まった、ポルトガルの国民歌謡ファドを歌う女子高生、吉川露花=ロカの物語。一度まとめられた本編に2編の続編(正確には同じ物語の変奏)を加え、完全版として刊行された。

ロカは規格外の歌唱力で周囲の人々を惹きつけ世界を広げてゆくが、その描出にいしい漫画のあらゆるスキルが貢献する。歌うロカと背景に書かれるポルトガル語の歌詞の絶妙な配置。ロカの〈神話〉を織り上げてゆく、周囲の人々とのボケとツッコミの対位法。熱唱のあまりしばしば倒れてしまうロカの、才能と危うさが同居するキャラクター。さらに作者のファドに関する該博な知識と理解が反映され描写を下支えする(ロカの歌唱イメージは、登場人物の発言によると〈幻のマリア〉と呼ばれる伝説の歌手マリア・ダ・グローリアのようだ)。
そして何よりいつも冷静な作者が、おそらくはこのキャラクターを愛してしまっていることで―何しろ2編の続編も当初いしいは自費出版したのだ―、作品に静かな、しかし尋常ならざる熱量がもたらされる。2番目の続編に含まれる「夜戦」は画面だけでロカの舞台を表現しきり、後日談となる最終話では彼女の歌が世界と無媒介につながってしまう(フレデリック・ジェフスキーの“不屈の民”変奏曲が聴こえる!)。
そしてこれは、ロカと年上の同級生で粗暴な姉御肌の柴島美乃とのシスターフッドの物語でもある。二人の友情は音楽を介しての、ほとんど無自覚の相愛に踏み込んでおり、それはロックを主題にした新井すみこの漫画「気になってる人が男じゃなかった」の先駆となっている。そしてその友情/愛情の起点が双方に共通する喪失の記憶であり、かつ境遇の違い(美乃の家は裏稼業)が強固な関係に終焉の予感を漂わせることが、ファドという音楽の〈サウダージ(サウダーデ)〉の感覚と共振し、常に読み手を動揺させてやまない。描写のみならず物語の主題と音楽が深く響きあっている点においても、これは至上の音楽漫画なのだ。